●はじめに
新農基法の制定、土地改良法の改定により、農業土木事業も環境関連事業の色合いが強くなり、ビオトープという
言葉を耳にする機会が増えてきた。 そこで、時代に取り残されないようにと手にした本が
農村ビオトープ(農業生産と自然との共存)
であり、非常に興味深い内容であったため、ここに読書感想文を公表する事とする。
文中、この本の文章をそのまま引用しているところが多々あるが、個人的な雑文のため、引用文に対する各々の注釈は省略した。内容に興味を持たれた方には上記本の一読を是非お勧めしたい。
●農業土木の犯した罪
何気ない一言が人の心を傷つけてしまう事があるように、意図せずして罪を犯してしまうこともあるようである。 これは認識の違いによるものが大きく、立場の違う者からは理解しがたい場合もある。
現在、環境問題に対する関心の高まりの中、農業土木の目指したきたものは下記のような評価を受けている
◇水利施設の近代化
農業土木は水供給の安定化による農業生産の増大、用排分離による生産性の向上のため、水利施設の近代化を進めてきた
しかし、それによって
かつては木と石と土で築造された水路や堰が鉄やコンクリートに変わり、ホタルをはじめ多くの水棲昆虫が産卵、生育場所を失ったほか、堰による生物通路の遮断によって魚類の分布域の縮小や生息数の減少が進んだ
◇農業水利事業
合理的かつ経済的で安全な水輸送施設の整備のため、農業水利事業を行ってきた
しかし、それによって
堰、落差工等の施設が魚類の双方向移動に障害を与えた。コンクリートライニング水路によって、水路流速が早くなり、水路内の流水環境が単純化した。
◇パイプラインの普及
水資源の有効利用、配水管理の省力化、水質の確保、農業生産の効率化のため、パイプラインの普及を進めてきた
しかし、それによって
生物の生息域が減少した上、加圧送水が可能になったったことにより、畑地潅漑による台地の利水型農地開発が進み、歴史的に温存されてきた林野の減少、そこに生息してきた小動物の減少につながった。
◇圃場整備
大型機械化による農業の近代化、用排分離による土地生産性の向上のため、圃場整備事業を行ってきた
しかし、
区画の整形・拡大によってかつての土の畦畔に形成されていた里型野草とそこに住む昆虫類の数が激減した。また、水路のU字型コンクリート化によて、かつて素堀の水路では水田と行き来しながら生息していたドジョウやゲンゴローなどの様々な水田水棲動物が生息出来なくなった。さらに、乾田化の徹底によってかつての湿田が様々な湿地昆虫を育み、野鳥の格好の餌場になっていた機能が消滅した。
◇農業の機械化
労働生産性の向上、大規模経営、農業所得の安定のため、農業の機械化の基盤作りを行ってきた。
しかし、それによって
役畜の牛馬がいなくなって、稲藁を廐舎の敷材に用い堆肥として田圃に戻すサイクルが消滅して土壌の有機物が減少し、土壌微生物生態系が貧弱化している。また、資料用の草刈り場であった畦畔や用水路法面は雑草が繁茂するままになっている
●多面的機能の嘘
農業土木はこれまで犯してきた罪に対する罰なのか、その存在価値が希薄化し事業量も減少してきた。そこで、新たな生き残りの策として、農業・農村の多面的機能の発揮、環境対策にその活路を見いだそうとしている。
しかし、多面的機能の発揮(特に水田)について見ると
◇水田の洪水防止機能
農家は田と稲を守るため、雨の激しい時には田の水が落ちやすくする。棚田では畦を低くし、大雨の時にはオーバーフローさせて水を早く排水出来るようにしている。地下浸透の少ない田に少しでも水がたまれば、流出率は100%に近くなる。
◇水質浄化機能
水は養分を溶かし込み、集める、いわば田んぼの手足であって、水質を浄化するような発想は農家にはない。 除草剤で草を排除する近代化技術によって「水質浄化機能」は低下するばかりである。除草剤による水質汚濁・土壌汚染はダイオキシン含有除草剤によって、全国的に広がっていることが明らかになっている
◇水源涵養機能
水田が水を大事に繰り返し使ってきたのは、水が足りなかったからであり、農家に水源を涵養しようという意識はない
◇生き物を育てる機能
現在の稲作技術にオタマジャクシやメダカやトンボのヤゴやゲンゴロウやホタルを殺さない水管理の技術はない。
◇風景を形成する機能
畦草刈りの労力を惜しみ、コンクリート畦畔を理想とする近代化思想から、棚田を保全する意識は生まれない
現在の稲作技術は「多面的機能=公益的機能」を持ち合わせていない。これまでの「公益」は「食料増産」であって、これをかなえるために排除してきたものが、今求められている「公益」となっている。農業土木技術も同様であり、今後目指す農業土木の役割は、これまで築き上げてきた技術や施設を否定し、自らが排除してきた物を取り戻す努力が必要となってきているが、水路の落差を無くし、コンクリート3面張り水路を親水や景観、環境に配慮した水路に変えていくだけでは、自然生態系の保全や多面的機能の発揮のために十分で無いことも認識すべきであるようだ。
●農村の生態系悪化の主犯は誰?
農村の生態系悪化の要因として、農薬・肥料の多投入、圃場整備等によるビオトープの減少が上げられるが、さらに農村地域の都市化・混住化も大きな要因である。現在日本の農地は486万6千haであるが、戦後の農地の転用・改廃は著しく約200万haにおよび、その大半は宅地、工業用地、鉄道道路用地として失われてきている。かつて多様な生物の棲家であった農地そのものが減少するとともに、混住化に伴う生産・生活廃棄物などによる周辺環境(水路の水質)への悪影響がさらに生態系の弱体化を招いてきた。
このように、農村の生態系悪化をまねいたのは、農業生産方式や技術の近代化だけがその要因ではなく、高度経済成長に伴う国土の無秩序な開発利用にも責任がある。さらに言えば、これらの基礎となっている、合理性と経済発展のみを重視してきた社会思想が一番の原因であり、この主犯を裁かない限り、本質的な生態系保全は実現されないように思う。
○生態系保全への取り組み
農業土木事業の生態系保全への取り組みは既に始まっている。大規模区画整理事業においても、保全・復元が妥当な生物生息空間を避ける、といったエリアの取り方が配慮されるようになってきた。また、末端水路や幹線水路、河川への繋ぎ込み部分の落差工に工夫を加える事で河川や海と水田との間を魚類が往復出来るよう配慮されるようにもなってきている。さらには、水生昆虫や野鳥の広域移動に必要なところに水辺や林を新設するビオトープネットワークの創出なども始まっている。
今後、このような事業を行っていく上で興味深い事例として大阪ガスがLPG基地造成に伴い行った環境保全エリア整備での設計及び施工上の配慮事項を引用する
◇池沼、水路整備にあたっての設計における配慮事項
□水深
最大1m程度の水深に設定したが、乱杭で水深が5〜10cmの部分を区分し、水深の浅いところに生育・生息する動植物の環境も合わせて整備した
□動物への配慮
動物の隠れ場所、産卵場所となるワンド、中の島、乱杭護岸、流木丸太等を配置した。一般水路内には、小動物の脱出のため、段差を解消するよう石積みや丸太積みを行った。
◇池沼、水路整備にあたっての施工における配慮事項
□整備作業の時期
作業は出来る限り動植物の休眠期間中(晩秋から冬)に行うとともに、春〜初夏における鳥類の繁殖期間中は、営巣の可能性のある場所での作業休止とするとともに、騒音発生防止に努めた。
□環境への配慮
整備に伴い発生する汚水・濁水による影響を防止するため、沈砂池を設置して工事中の水処理を行った。水田等内でやむをえず作業を実施する際は、水田への影響を軽減し、重機の沈下を防止するため、枕木による仮設道路を設置した。池沼の掘削中に、地中からスギの根株が現れたが、これらの根株は、魚類や水生昆虫の良好な生息場所となるため、根株はそのまま水中に残すこととした。
□生物への影響防止
外部から、帰化植物や雑草類など、本来生息していなかった種子が持ち込まれるのを防止するため、作業用の機器や作業員の靴は、作業開始まえに消毒した。整備期間中に死滅する可能性のあるものは、出来る限り捕獲して避難させ、整備後もとにもどした。池沼等の底盤を掘削した際に発生した表土はできるだけ近い場所に仮置きし、整備後に埋め戻した。
●「メダカやトンボやホタルじゃ、メシは食えない」
メダカとりに夢中になる子供達の姿は微笑ましく、夕闇に舞うホタルの光は人の心を癒してくれる。経済の発展の為に犠牲にしてきたメンタルな満足感を取り戻そうとする努力は持続的な人間社会の発展にとって不可欠であり、生態系の復元、保全はその具体的なアクションの1つと考えられる。食料増産から農業所得の安定、農村環境(人にとっての住環境)の改善へとその主目的を変えてきた農業土木事業も今、自然と共生する環境創造型事業をスローガンとして進んでいる。
フナやドジョウの遡上のための魚道、小動物や昆虫が出入り可能なU型水路(側溝)など、新たな事業目的にあった技術の開発は進んでいるが「メダカやトンボやホタルじゃ、メシは食えない」と言う農家の声に耳を傾ける努力をしないと、農業土木は新たな罪を犯すことになるのではなかろうか。
●今後の課題
前述の大阪ガスが整備した環境保全エリアでの維持管理上の課題として以下の2点が上げられている。
◇生態系のコントロール
アメリカザリガニの食害により一部の植物が減少・消滅。また、アオミドロの繁茂による水生植物の生育阻害が発生した。殺虫剤や除草剤は他の生物への影響を考慮して使用しないこととしたため、アメリカザリガニはトラップによる駆除、アオミドロは人手による引き上げを行い、多くの労力を費やした。
◇維持管理のための人手と経費
保全対策には多くの労力を要しており、決して安価な保全対策方法となっていない。水田と生物を保全するために、誰がどのように人手を変えるかの問題が、今後の検討課題となった。
上記はここに取り上げた環境エリアだけの問題では無く、今後、農村の生態系保全を図っていく上でも考慮すべき重要な課題である。維持管理の問題については、土地改良法の改正により法的準備は整っているが、具体的な取り組みについて種々の問題を抱えているように思われる。農水省ではデカップリングの考え方から、棚田の保全等、環境保全のための補助金支払制度を設けているが、これが農家の所得安定を保証するもので無ければ、継続的な維持は困難である。
農業・農村には、多面的機能発揮だけでなく、食料の安定供給と言う重要な任務がある。しかし、これも農業所得の低迷、労働力の不足、農地の減少等、解決すべき多くの問題を抱えている。このため、農村の生態系保全は農業問題と合わせて検討していくべき問題である。目標とする自然を、原自然から近代化以前の農業社会に共生するよう変化してきた二次自然ではなく、近代化農業と共生可能な新たな自然系(3次自然)に設定し、農業生産技術にその手法を組み込むと共に、自然の保全・管理を、それにより所得を得られる新たな経済活動と位置付け、食料及びその他の農産物の生産という農業の目的に付け加える事により農業経営の安定をはかる事も今後検討すべきであると考える。