環境との調和に配慮した農業土木事業について

T はじめに
 地球温暖化や生物多様性の減少等、限りある地球環境に対し人間の社会活動の与える影響についての認識が高まっており、各界において環境保全。環境回復への取り組みが成されている。
 農業・農村は元々自然の物質循環を基礎とし自然と共生してきた。水田等の農地を始め、用水路、ため池、堤といった農業用施設も二次的自然を作り出し、良好な農村の自然環境を作り出してきた。ところが、急速な経済の発展にともない、生産性の向上や経営の合理化を目的に進められた農業土木事業は、合理性や経済性を重視するあまり、自然環境に少なからず悪影響を与えてきた。
 近年、国土や環境保全、自然との共生、循環型社会の形成等、環境との調和への要請が高まる中、平成11年 食料・農業・農村基本法が制定され、農業農村の持つ多面的機能の重要性や農業の自然循環機能の維持増進が謳われた。さらに、平成13年の土地改良法改正において、土地改良事業の実施にあたっての原則として「環境との調和への配慮」が追加された。
 ここでは、今後の農業土木事業に係わっていく上で欠くことの出来ない「環境との調和への配慮」について理解し、技術者として対処のしかたの参考となると思われる内容を取りまとめた。

U 「環境との調和への配慮」とは
1.配慮すべき「環境」と
  農業土木事業としてはこれまでも「水環境整備事業」「環境保全型かんがい排水事業」「農業集落排水事業」など、環境関連事業を数多く行ってきたがこれらは人間にとって都合の良い環境の創造や悪環境からの回避、環境への負荷の低減が主目的とされてきた感があった。平成14年1月に公表された「農業農村整備事業における環境との調和の基本的な考え方」(以下「考え方」)によると、今後目標とする農村の環境は人と農の営みと自然との共生により形成・維持されてきた良好な環境を基本としており、配慮すべき環境要素として、大気、水、土壌等の環境の自然的構成要素、野生の動物の個体郡やそれらが構成する生態系、人と自然との触れ合いの場や景観が上げられている。これを見ると、今後、農業土木事業の配慮すべき「環境」とは、これまで事業を進める中で、その目的と社会的風潮により犠牲としてきた、農業農村に元来存在した自然環境であると言える。
2.「配慮」の仕方とは
 これまで農業土木が目的としてきた農業生産性の向上や経営の安定は、もはや不要となったわけではない。自給率の向上や多面的機能を持つ農業農村の持続的発展のためには軽視する事の出来ない要素である。このため、改訂された土地改良法の下で事業を実施して行く現場技術者に具体的な考え方、手順を示した「環境との調和に配慮した事業実施のための調査計画・設計の手引き」(以下「手引き」)では環境との調和への配慮について「農業生産性の向上等の目的を達成しつつ、可能な限り環境への負荷や影響を回避・低減すると共に、これまでに失われた環境を回復し、さらには良好な環境を形成することが必要である」としている。
  環境への負荷や影響の回避、低減については、人為的手段の施されていない水路を防災や利水の目的で改修する場合、土木的手段を加えるものの、そこに生息した小動物の住みかを確保する例, 失われた環境の回復については、合理性と経済性を最優先して築造されたコンクリート三面張り水路の老朽化による施設更新の際、自然生態系に配慮した構造に変更する例が示され,今後の事業の目指す環境のレベルを、未整備の状態よりは低く、現時点で整備済みの物よりは高く設定し、農業の生産性の向上を現在よりさらに向上させるイメージを示している。

V 環境との調和に配慮した事業の進め方
1.実効性のある仕組み

 「手引き」では環境との調和への配慮を実効性のあるものにするためには、調査・計画・設計の各段階において、環境との調和への配慮を行うことが必要であり、地域住民や専門家等に意見を踏まえたマスタープランの作成や、事業実施や維持管理の段階において環境への影響や環境保全対策の効果についてのモニタリングの必要性を上げている。つまり、これまでの様に受益農家のための事業ではなく、地域全体に視点を移した事業計画の仕方を特徴といている。
2.環境との調和に配慮する考え方
 「手引き」では次の「環境配慮の5原則」に基づき行うこととしている
 @ 回 避 : 行為の全体または一部を実行しないことにより、影響を回避すること
 A 最小化 : 行為の実施の程度または規模を制限する事により、影響を最小とすること
 B 修 正 : 影響を受けた環境そのものを修復、修興又は回復することにより、影響を修正すること
 C 影響の軽減/除去 : 行為期間中、環境を保護及び維持する事により、時間を経て生じる影響を軽減又は除去する。
 D 代 償 : 代償の資源又は環境を配置又は供給することにより、影響を代償すること。
 環境との調和に配慮する対策を選定する場合、事業の目的への影響や費用、維持管理の観点から「回避」→「最小化、修正、影響の軽減・除去」→「代償」の順番に実施の可能性を検討する事とし
 農道整備事業において、その路線上に保全対象種の生息地が確認された場合の例として下記を上げている。
(a)まず、保全対象種の生息地を避けた路線選定が出来ないかを検討する
(b) (a)が不可能な場合、道路下に隧道を設けて動物の移動経路を確保したり(修正)、工事期間中保全対象種を捕獲し、一時的に避難させる事(影響の軽減/除去)検討する
(c) (b)も不可能な場合、保全対象種の生息地を事業の影響を受けない場所に代替地として確保する。
3.環境との調和に配慮した設計の考え方
 たとえば水路の設計の場合、従来のように、必要な水を安全かつ効率的に流下させるなど農業用水施設としての機能を確保するとことに加え今後は、関係農家を含む地域住民、有識者等の意見を反映し、生物の生活環境の確保や環境に配慮した資材の採用など総合的な検討が必要となってきている。 

W 環境に係わる業務の実例
環境に係わる業務の経験は少ないが、これまで係わってきた業務のうち、今後、環境との調和に配慮した設計を行っていく上で考慮すべき問題を含んだ業務の実例を取り上げる。
1.魚溜工を設けた排水路改修
 底幅約7m、高さ約2.5mのブロック積み護岸の排水路改修で、底はコンクリート張りで中央部幅4.0mは小流量時の流積を確保するため、護岸下端より40cm下がった断面となっている。
この排水路には渇水期の魚類の避難と繁殖のための施設として、延長20m区間を標準部中央よりさらに50cm低くし、底を空石張りとした上、魚巣ブロックを片側全面に設置した「魚溜工」が計画された。その位置は約500m間隔で集落や公園付近に配置され、水路上面から魚が観察できる親水デッキや、道路を隔てた公園と排水路堤防を歩道橋で結び、堤防から川底へおりる階段を設ける等、生物の生息や親水性を十分考慮した設計であった。
 しかし、完成した魚溜工の親水デッキから見た景色は、放流されたコイが閉じこめられたようにひしめき合う姿だった。ちょうど水量の少ない時期だったので、本来の機能が発揮されていたのではあるが、設計者達が机上の協議で思い浮かべていた魚溜工は、このような物では無かっただろう。コンクリートで固められた川底に点在する僅かばかりの憩いの場が、魚たちにとって良い環境を与えているのだろうか?せめて底のコンクリートだけでも無ければと考えてしまうが、台風による洪水の被害を伝えるテレビの映像を見ると、草木の繁茂や土砂の堆積を防止し、洪水を速やかに排除する能力を向上させる底張りコンクリートを、安易に否定することは出来ない。
2.水性植物の生息域の造成
 農業用ため池に流入する河川の河口部分に、水質浄化を目的とした水性植物(主にヨシ)の生息域を造成するための設計業務であった。水性植物の脱窒素、リンの効果については、様々な研究で実証されており、この事業の完成による水質浄化の効果は十分期待できる物であった。
 ここで問題となったのは、造成を行う河口部が池の水位の影響のある範囲内であった事であった。造成面の高さは池のFWLからヨシの生育を考えた高さで決定されるが河口部河床はこれよりさらに低いところにあるため、水需要の多いときや渇水期にはヨシへの水供給がされない。 このため、造成部に水を供給するため200mほど上流の河床に集水管方式の取水施設を設け、φ200のパイプで導水することになった。
 農業土木事業の縮図とも見える計画である。しかし相手が「ヨシ」なのである。水路や田の畦畔の何処にでも繁茂して、田舎者の私には単に邪魔物にしか思えなヨシのために、ここまでしなくていけないのか。失われた自然を取り戻すためには必要な事かもしれない。しかし、河口を埋め尽くすほど繁茂したヨシから「俺達をナメンナヨ」の声が聞こえて来そうな気がしてならない。
3.環境対策としての排水路改修計画
 当初農業用の用排兼用水路として築造された水路が付近の宅地化によって水質が悪化し、用水路をパイプライン化して水路は排水専用となった。その後、住宅地の中を流れるこの水路は、土砂の堆積、草木の繁茂が進み、虫や小動物の生息の場となったが、付近住民にとっては不快な環境であった。
 このため、水路を暗渠化する計画が持ち上がり実施化されたが、計画時点から大きく変わった経済事情により、現在、工事費のかかるこの工法に見直しがかけられている。この事業は当時の感覚としては「環境対策」の事業だったが、最近の「自然との共生」を目指す環境思想にはそぐわないところもある。
 しかし、カエルの鳴き声に悩まされ、虫や蛇の進入に怯える環境は人の生活にとって快適ではない。今取り戻そうとしている自然の中には、好ましくないために排除してきた物があることを、認識しておくべきではなかろうか。

Xおわりに
平成14年度以降、原則として全ての農業農村整備事業において、環境との調和への配慮を行うこととなった。
その「考え方」や「手引き」は示されたが、実際の運用には多くの課題が発生するように思われる。
従来、土地改良事業は農家の申請事業であり、受益者の特定された公共事業であった。これが、今回の土地改良法改正により事業実施手続きに、地域住民等の意見書提出や市町村との協議が追加された。これは、今後、農業農村整備が都市化・混住化の進展の中で実施されること、環境との調和への配慮を行うことにより事業の受益対象が非農家を含む地域住民全体になること、さらに、そのために生じる維持管理の費用分担が円滑に成されることを目的とした物である。 しかし、土地改良施設は既に維持管理の時代に入っており、今後の事業が直接農家の利益に結びつかないこと、現在、地球環境問題について国民の関心は高まっているが、農業農村整備事業の行う環境対策は切実な危機感をもってとらえられている問題でないこと等を考えると事業認可時点での同意の形成が容易で無くなるものと思われる。また、施設の維持管理についても現在土地改良区を主体とし、これを農家の奉仕活動で補いながら行われているが、今後、非農家も含んだ形での維持管理体制を形成しようとすると、一般企業に勤務する者の時間的拘束や、施設への係わり方の違い等から平等な参加が困難となる。このような状況に対応できるような土地改良区の新しい形について現在取り組みがされているがこれが適切に行われない場合、地方行政の負担が増加する危険性も含まれている。
 このように、環境との調和に配慮した事業の展開は越えるべきハードルが多いように思えるが、事業の調査計画・設計に当たる技術者にとっても、これまでの工学的視点から生物の生態から見た土地改良施設の果たすべき役割についての視点に変更が必要とされること、地域住民の意見を反映しながら、自然や生態系の特徴を踏まえた創意工夫による計画・設計の能力が求められることは、これまで農業土木事業に取り組んできた技術者にとって今後大きな課題となっていくものと思われる。

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