自己紹介 |
98/01/01当時、このページにはこんなことが書いてあった。 |
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98年は… 98/01/01更新 某電器メーカー勤務 97年の時点では、かなり早いうちに辞めるのではないかと、そう思ってました。 でも気がついてみると、世間一般のサラリーマンは12月にちょうどボーナスが支給される時期。 どちらかと言うと、宵越しの金を持たない私にとっては、欲しいものが買えるかもしれない唯一の資金源。 結局は10月あたりからは、ほとんど惰性で会社に行っていたような気がします。 冒頭にもあるように、98年は決行します。 恐らく6月になると、またしてもボーナスの時期がやってきてしまう訳で、 そこまで行くとまた惰性の二文字が頭に浮かんでしまいそうです。 正直いって、自分も今の仕事に決して向いているとは思えませんし、 時期的にはちょうど梅の見頃になる時期あたりではないかと。 競馬の方では、今年は待ちに待った愛馬のデビューが控えておりますし、 充実した一年を迎えられるのではないかと思います。 毎週のように土日は競馬場で過ごす… 出来る事なら皆勤賞と行きたいところですね。 まぁ、交通費を含めてそこまではお金が続かないと思いますが(笑)。 |
で、それから年を重ねること7年後 ちょうど桜の咲く季節に勤務先を退職 気がつけば体重も80キロ台前半 だいぶ成長してしまいました 個人的には、あれからよく7年もったなという印象 朝、定時に出勤するのは年2〜3回、変な意味で確立された自分の形を創造してました これを書いている時点で、未だ無職 実家に居候している状態で、一昔前で言う『ぷー』、今で言うと『ニート』って所。 辞めた最大の理由は、お世話になった元上司が辞めてしまったこと 考え方の合わない最後の上司と仕事をするのに、ほとほとうんざりしたから とでも言っておこうか。 あまり詳細に言うと、大半は愚痴になってしまいそうなので辞めておくが。 |
競馬に出会ったきっかけ |
初めて競馬場へ行ったのは、学生の頃(ホントは馬券を買ってはいかんのですけれども)、 競馬を見ていたと言うことになると、かなり以前からと言っても過言ではないですね。 元々休みの日になると、1日中テレビのスポーツ番組を見ていたくらいのテレビっ子で、 やたらとテレビでスポーツ観戦してたもの。 それに、父親がお世話になった方が結構競馬好きで、 そんな時代(小学生の頃)から競馬の中継は見ていた記憶がありますね。 ギャロップダイナが空馬で勝ってしまったレースもなんとなく記憶に残っているし、 確か浪人していた年の有馬記念がメジロデュレン−ユーワジェームスで決まって ユメ馬券という見出しを夕刊新聞か何かで見た記憶が未だに残ってます。 やっぱりのめり込むきっかけになったのは、ホクトの馬を見てからですね。 とは言っても、ヘリオス、ビーナス以降からなんですけど。 桜花賞でシャダイカグラに差されたときは泣けました。 たぶん、あそこでホクトビーナスが粘り切っていたら、 今、ここまでのめり込んでいなかったように思います。 加えてホクトヘリオスの派手なレースぶりと、歯がゆいまでの成績。 この2頭にすべて集約されますね、私の競馬への道は。 ホクトヘリオスの後はホクトフウジン、ロイヤルスマイルと続いたんですけど、 フウジンが今一つの成績、ロイヤルスマイルが未出走としばらく小康状態でした。 でもその後のホクトフィルはご存知の通り、ホクトの血に皿に輪をかけたような歯がゆさ。 朝日杯3歳Sで3着(勝ち馬エルウェーウイン)、 セントライト記念3着(勝ち馬ラガーチャンピオン)とG1どころか重賞でも惜しい内容が続き、 結果的には上山へ。 あそこは一度行ったことがあるけど、直線が非常に短いし、果たしてフィルにあっているのかどうか… 風の噂によれば、一旦は脚部不安で登録を抹消したものの、 97年8歳にして再度登録されたらしいし、上手く日程が合えばもう一度その姿を見に行きたいですね。 私の場合、どうしても場外で馬券を買うよりも、馬場へ行ってみる方が多いような気がします。 現にこのところの福島開催(97年1回)は3/8の観戦だったし、 今回の2回新潟も2/8の観戦、3回新潟も既に1回行っているし、 新潟記念は毎年恒例、そして今年は応援している馬が新潟3歳Sに出るような話だし、 ここも行くことになりそうです。 馬券の方は決して上手くはないです(笑)。 ホクトの馬から学んだジリっぽさが身についてしまって、気がつくと典型的な追い込み馬、 しかもレースの勝負がついた頃にエンジンがかかって、最後に猛烈な脚を見せる、 しかも届かない… そんな馬が結構好きになってしまってますね。(爆) 何はともあれ、無事EXCEL−24がデビューしてくれることを今は心待ちにしている状態ですね。 |