2004年正月 岡山・倉敷・高松の旅
 


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2004年1月1日

あけましておめでとうございます。いよいと毎年恒例正月旅行の出発日が来ました。今回の目的地は瀬戸内海を挟んだ、岡山・香川
両県で昨年正月の九州(福岡・長崎)同様、今年もJALバーゲンフェアと言うバーゲン型航空券で出発です。このJALバーゲンフェアとは、
JAL(日本航空)が指定した期間に通常より大幅に安い値段で空の旅を楽しんでもらおうと言う制度でこの冬休み期間ではこの日
(1月1日(元日))が唯一の設定日となっていて、私がこれから利用しようとしている、羽田→岡山線は通常だと25,800円が10,300円と
実に6割引で利用する事が出来ます。(つなみにこの制度、平成15年度分は1月14日に全日程の予約を終了。16年度(2004年
4月以降)の設定日については2月上旬に発表予定)さて、私の方のフライトとは言いますと、羽田→岡山線の最終便が18時15分発の為、
元日恒例の天皇杯サッカー決勝戦のテレビ中継が終了後、すぐに自宅を出発。横浜駅東口からリムジンバスで羽田空港に向いました。
しかし、元日早々渋滞に。と言うのも本来リムジンバスは高速湾岸線を経由して空港に向かいますが、この日は空港周辺の道路が
混雑している為、1号横浜羽田線(横羽線)を使い、羽田ランプから一般道路を通るルートで向かう事になり、順調に行けば30分で
行く所がこの日は40分以上もかかってしまいました。そして羽田空港国内線ターミナル南口に到着し、手荷物検査を受けて出発
ロビーへ。あれ搭乗手続きは!?と言う声も聞かれそうですが、横浜駅東口にある横浜シティエアーターミナル(通称 YCAT)には
ANAとJAL&JAS(今年4月よりJALに一本化予定)の自動チェックイン機が設置されていて、航空券を機械に通し、座席の指定を
受けるだけで、簡単に搭乗手続きをする事ができます。18時15分過ぎ、いよいよ私が利用する(JL489便)の搭乗が始まりました。
搭乗口は自動化されていて、一人ずつ搭乗券を改札機に通して飛行機に乗り込みます。



お客様の搭乗が全て終わり、いよいよ離陸体制に入りました。機内には、ベルト着用サインが点灯し、乗客全員がベルトを着用しました。
そして暫くしてから着用サインが消え、機内では飲み物や毛布の貸出しサービスが始まりました。そして福岡・長崎編でも言いました通り、
飛行中(シートベルト着用ランプが消えている場合)に限って、デジタルカメラとMDプレーヤーの使用が出来ると言うので、今回も機内の
写真を取りました。写真は今回利用したJAL489便の普通席です。



19時40分頃、JAL489便は定刻より若干遅れて岡山空港に着陸。バス乗り場には既に飛行機の到着に合わせ、岡山・倉敷方面行きの
リムジンバスが待機していて、私は今夜の宿泊先でもある倉敷行きの方に乗りました。そして岡山空港からバスで40分程で倉敷駅北口
(チボリパーク前)に到着。さて、初日の宿はどこか言いますと、倉敷駅南口からタクシーで10分程にある倉敷ユースホステル(YH)です。
しかし到着してもフロントは無人。一体なぜ。これにはちゃんと理由があります。このYHは、倉敷市の中心部からちょっと離れた山の上に
ある事に加え、夜は沿道が真っ暗になってしまう事から、事前にYHへ電話を入れれば、最寄りのバス停まで迎えに来てくれるサービスが
あるからです。そして私がYHに着いて10分程で宿泊客と見られる人がYHに到着し、続いてYHの管理人(ペアレント)さんも戻って来て
ようやく、宿泊手続きとなりました。つなみにここのYHの客室は、ドミトリーと呼ばれるYHでは標準的なお部屋です、



2004年 1月2日 午前9時過ぎ、宿泊者の車に便乗して頂いて倉敷YHを出発。倉敷駅南口から1キロほどの所にある美観地区と言う
所まで送っていただきました。この倉敷美観地区と言うのは、白い壁に川辺の柳並木が映る一体として知られ、
年間に数百万人の人が観光に訪れると言う岡山県内有数の観光スポットで、地区の中には今回は訪れませんでしたが、
大原美術館や日本郷土玩具館などの観光施設もある他、岡山周辺の地酒を販売しているお店もあります。


美観地区から15分程歩いて倉敷駅に向かい、そこから山陽本線で岡山駅へ。岡山駅前広場には来年行われる、
国民体育大会’(はれの国 岡山国体)まで、あと何日と言うカウントダウンボードが観光客を迎えてくれていて、
正月早々早くも2005年へ準備が始まっていました。その岡山駅前から路面電車+徒歩で向かったのが、美観地区同様、
岡山県の重要な観光地のひとつ、岡山後楽園です。




ここ岡山後楽園は、金沢の兼六園・水戸の偕楽園と並ぶ日本三名園のひとつして知られていて、正月2日目のこの日も
全国各地から多くの観光客が訪れていて、広大な芝生や敷地内から見える、岡山城をバックに記念撮影している人も
見受けられました。またこの日は、暦の上での書初めと言う事で園内の施設では、書初め大会みたいなのが行われていて、
小学校高学年位の女の子が書初めに挑戦している所を見かけました。後楽園から岡山駅へ戻り、暫くしてから今度は宇野に
向かいます。あれ!?高松へはマリンライナーで60分なのに、なぜ宇野へ。と言いますのも、これも旅費節約作戦の一つです。
通常、岡山→高松の普通運賃は1,470円なんですが、宇野駅までJRを使い、宇野と高松を結ぶフェリーを使いますと、JRと
フェリー代を足した合計が960円と実に410円も安くなってしまうんです。しかも今回利用した宇高(うたか)国道フェリーは、
なんと24時間営業で朝から晩まで概ね1時間に2便ずつ運航しているから驚きです。そして16時53分頃、フェリーが入港。
船からは何台もの車が上陸してきて、中には地元両備バスが主催した、日帰りバスツアーの参加客を乗せた観光バスや
瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道)の通行料金が高いからかどうか、知りませんが栃木ナンバーの乗用車も見かけました。
宇野港を出ておよそ1時間。いよいよ今回の旅の最終目的地高松市に到着です。今夜の宿は何処かと言いますと、
フレンドリー高松と言うビジネスホテルです。実はここを探すのが大変でした。と言いますのも、このホテル最寄り駅は
ことでん(高松琴平電気鉄道)の瓦町と言う駅なんですが、駅を出てもホテルらしいものは、全くなく道を尋ねても、そう言うの
知らないナーと言う声もでる程でした。そして暫く市内を歩いているとタクシーの営業所を発見。そこからタクシーでホテルに
向かったんですが、無線で調べても(ウイークリーマンション アサノ)言う名前しか、出ないのでどうなる事か思いましたが、
無事にホテルにたどり着く事が出来ました。そしてホテルの領収書を見ると、やっぱり(ウイークリーマンション アサノ)と書いて
あって、そこの人によれば、ここのオーナーが(ビジネスホテル アサノ)と言うのを経営していて、宿泊客の中に、ビジネスホテル
と、ウイークリーマンションを間違えて泊まった人がいた事から、最近になって、(ウイークリーマンション アサノ)を現在の名称
フレンドリー高松に変えたそうです。まあー何はともあれ、無事宿舎に到着。どうぞごゆっくりお過ごし下さい。お部屋はこちらです。



2003年 1月3日高松の中心地、瓦町で朝食を取り、こどてんに乗ってJR高松駅に程近い、高松築港(ちっこう)へと向かいます。
その道中、懐かしい車両に会いました。ことでんの車両は他地区の私鉄で活躍していた車両が向方の新型車両の導入に合わせて、
移籍してくるものが多いみたいでその中に、元々小泉首相のお膝元でもある、神奈川県横須賀市とその周辺を走っている、
京浜急行(京急)で使われていた車両もありました。下記に紹介している写真がその車両で右側の黄色い電車で1205番のナンバーを
付けているのが、元京急の700型車両で、左側にある白と黄色のツートンカラーの車両が、元京急の1000型車両です。



高松築港駅から歩いて2・3分の所にあるJR高松駅は、四国有数のターミナル駅で高徳線・予讃線・土讃線の始発駅でもあります。
また、写真では紹介していませんが現在,、サンポート高松と呼ばれる駅周辺の再開発事業が進行中で、近い将来には、市街地が
一望できる展望フロアのような施設も入ったビルが完成する予定です。今後の駅前開発が楽しみなJR高松駅を9時50分発の
高徳(こうとく)線徳島行きのワンマン列車で出発。およそ8分程度で次の目的地、栗林公園北口駅に到着です。駅から歩いて3・4分の
所にある、栗林(りつりん)公園は、もともと明治維新にいたるまでは、松平家の下屋敷と使われていましたが、明治初期に県立公園として
一般公開を開始し、太平洋戦争後の昭和28年に国から特別名勝の指定を受けました。園内には高松市の木にもなっている、松の木が数多く
植えられている他、園内に10ヵ所以上あるとも言われている池には、鯉がたくさん放流されていて、観光客や家族連れが鯉にエサを
与えるシーンも、数多く見られました。




栗林公園散策後、再び高松駅に戻り、いよいよ讃岐うどんの昼食です。ここ高松は、そば屋よりうどんの店が圧倒的に多く、
高松駅の構内には、立ち食いそばならぬ、立ち食いうどんの店がある程の凄さです。私は高松駅から歩いて2・3分の所に
ある、店で食べたんですが店内は観光客や帰省客で大盛況でした。そして、午後に入ると正月休みを四国で過ごした人たちで
高松駅構内は込み合ってきました。私も今日、ここ高松を出発しJRで帰路に向かいますが、昨今は高速バスで帰省する人も多く、
高松駅前バスターミナルからは京阪神への高速バスが次々と発着し、大きな荷物やお土産などをバスのトランクルームに入れる
姿が多く見受けられました。写真の高速バスのうち、左側の黄色い車体が、高松エクスプレス社担当の大阪・なんば行き、
右側なにわナンバーを付けた車体が、西日本JRバス担当の高松エクスプレス号JR大阪駅行きです。



15時27分、高松駅5番乗り場に瀬戸大橋線快速マリンライナー44号岡山行きが入って来ました。この快速マリンライナーは
1988年の瀬戸大橋開通と同じにデビューし、高松⇔岡山を平均60分弱で結んでいます。そして、このマリンライナーは昨年
10月から全ての車両が新型車両に置き換えられ、基本編成の5両のうちの1両が右側の写真のような2階建て車両で、
2階がグリーン車指定席で1階(左側の写真)が普通車指定席となっています。また写真では紹介していませんが、
普通車自由席も関西地区のエース223型が採用され、ドアの数が2つから3つになり、乗り降りがスムーズになりました。



高松駅から約1時間で岡山駅に到着。しかし予想外の事態が。スケジュールでは岡山駅到着後30分程の間隔があるので、
食料補給や駅弁購入には丁度いいんですが、マリンライナーから降りて、一先ず姫路行きのホームに行って見るとまだ入線まで
20分以上もあるにも関わらず、もう乗る人の列が出来ていたんです。それもそのはず、この日は正月休みを故郷などで過ごした
人たちのUターンラッシュのピークで、東京へ向かう新幹線や空の便はほとんどの便が予約で満席となっていて、のぞみ号と
ひかり号の自由席の中には乗車率が120%を越える列車も出てました。また丁度、この時期は1日2,300円で日本中を移動できる
(青春18切符)が使えるともあって、普段は地元の通勤・通学をサポートしている山陽本線の普通列車も、この日ばかりは、私のように
大きなリュックや旅行カバンを持っている人たちが大勢乗っていました。そして、岡山から60分程北上した相生駅で途中下車。(あれ?
相生に何か美味い店でもあるの!?)と言う声が聞かれそうですが、全然違います。通常、京阪神方面へ向かう新快速電車(下の写真の
電車です。)
は姫路駅始発ですが、一部の電車は、車両基地のある網干(あぼし)や、今いる相生から分かれる赤穂(あこう)線の
播州赤穂(ばんしゅうあこう)まで運転しているものがあり、相生駅18時35分発の三ノ宮・大阪・米原方面長浜行きもその一つです。



18時35分、米原方面長浜行きは相生を出発。私は8両編成の最後部にある補助シートに座っていましたが、正月3日の夜の割には
利用している人が意外に多く、加古川あたりからは立ち客も出て来て、大阪駅発着の頃には混雑がピークに達し、網棚に荷物を
載せる人も増えてきました。そして21時20分相生から220キロ離れた滋賀県の米原駅に到着。着いたホームの反対側には既に関ケ原
方面大垣行きが待機していて、私も含め、大半の乗客が乗換えました。米原を出ておよそ40分で到着。次に乗る夜行まで時間があったので
コンビニに食料を買いに行って駅に戻ると、構内には東京へ向かう夜行快速列車(ムーンライトながら号)の利用者が今や遅しと入線を
待っていて、利用者の多くが私のように青春18切符を使っていました。22時50分頃大垣駅4番ホームに臨時夜行列車(ムーンライト
(ML)ながら92号)が入ってきました。通常ながら号は毎日1往復していますが青春18切符が使える時期は利用者が集中し、日に
よっては発売してから数日(場合によっては即日)で指定券が完売になる事から年末年始や夏休みなどには、今回乗車するMLながら
92号が運転されます。このMLながら92号もともとは臨時大垣夜行(色々呼び名がありますが私は臨時大垣夜行と呼んでいます。)と
愛称で運転されていましたが、当時は全車自由席(すわなち早いもん勝ち)とあって毎年2回東京ビックサイトで行われる、
コミックマーケットと言うイベントがある日は、毎日運転しているMLながら号の指定券が取れなかった人がこの列車に殺到し、
インターネットで得た情報によれば始発の品川駅では、夕方から並び始め、2002年夏にはホームに人が入りきれず入場制限が
出る程でした。そして2003年夏から臨時大垣夜行は、快適に移動して頂きたいJR側の配慮とや車両の老朽化から、これまでの
急行型電車(右側の写真)から、特急型車両に置き換えられ、全車指定の臨時夜行快速MLながら91号・92号に生まれ変わりました。



23時丁度、MLながら92号は大垣を出発。大垣を出た頃にはまだ空席もありましたが、車内放送のとおり(大垣発車時点で本日は満席と
なっていますとアナウンスがありました。)岐阜・尾張一宮・名古屋と列車が止まるたびに、東京へ遊びに行く人やこの列車を振り出しに
東北・北海道方面へ青春18切符で行く地元の旅行客が次々と乗ってきました。

2004年1月4日 0時03分刈谷(かりや)駅に到着。青春18切符は東京・大阪の一部線区以外は午前0時を回って最初の停車駅まで有効と
なっていて、今私が乗車中のMLながら92号の場合は刈谷駅から日付が変わります。どうやって処理するかと言いますと、この列車
(MLながら92号)は全車指定席の為、必ず車内で検札(車掌に切符を見せる事)があります。その際車掌に乗っている列車の指定席券と
乗車券を見せ、(18切符に日付を入れてください。)と一言いいます。そうしますと、18きっぷに新しい日付(今回の場合は1月4日)を
入れてくれます。そして0時45分頃豊橋駅を出た直後に(放送によるご案内は横浜到着まで休ませて頂きます。)と言うアナウンスがあり
車内も静かになりました。私も暫しの睡眠時間に入り、目が覚めた頃には、もう品川駅の手前まで進んでいました。(しまった!
寝過ごしちゃった!どうしよう。)大丈夫です。全く問題ありません。なぜなら、ながら92号は4時21分に横浜駅に到着しますが、三ッ沢へ帰る
地下鉄の初電車は5時41分までありません。ここ2・3年横浜駅西口周辺には24時間営業のまんが・インターネットカフェが相次いでオープンし、
初電車まで時間を潰す事ができますが、これですとお店や使う時間帯などによって異なりますが、概ね1時間滞在して400円前後は
かかってしまいます。その一方で青春18切符は夜行快速列車で目的地に着いても、その日の夜12時までは使う事が可能ですし、
指定席券の値段も横浜着・東京着共、同額(510円)なので、指定席券を申し込む時点で東京までにして置いたんです。



おはようございます。長らくのご乗車お疲れ様でした。MLながら92号は4時47分東京駅に到着。(上にある右側の写真は東京駅7・8番線
ホームにある時計で時刻は、4時49分を指しています。
)東京駅には、まだ新幹線の初列車まで1時間以上あるのに関わらず人が結構います。
それもそのはず。私が利用したMLながら92号は途中の沼津駅で毎日運転のMLながら号(上にある左側の写真)に道を譲っていて、
そっち(MLながら号)の方が5分程度早く東京駅に着いたからです。つなみにこの電車は折り返し5時20分発の普通電車静岡行きに
なる為、早朝にも関わらず清掃業者の人が車内の整備と掃除を行っていました。(これには頭が下がります。)4時55分東京駅を
京浜東北線大船行きで出発。およそ37分で横浜駅に到着。いつもなら(横浜・横浜です)と駅社員のアナウンスが入るのが当たり前ですが、
駅アナウンスは全くありませんでした。そして駅構内は人の数がまばら・・・。しかしこれが4・5時間後には、いつもの休日風景になって行くから
驚きです。5時41分横浜駅地下鉄ホームに新横浜方面あざみ野行きの初電車が到着。三ッ沢に地下鉄が出来てからもう十数年たっていますが、
こんな時間帯に乗るのは滅多にない経験です。そして午前6時頃、前回の旅行より2時間も早く三ッ沢の自宅に戻り、全日程を終えました。


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