冬眠室…
味気ない名前のその部屋は、連邦軍の中でも、Sランクに挙げられてる機密が詰まっている。そのため、誰でも入れるというわけではない。
関連した研究をしている、極一部の技術者のみが立ち入れる場所だった。
関連した研究、といっても、この研究を完全に極めているのは、連邦軍では唯一人、ミアニアル・キリーという男だけである。
彼は、医療部の研究官であり、医者だった。ただし専門は、人工生命体ヴァイシャ。彼は惑星連邦軍唯一人の、ヴァイシャ・ディム(ヴァイシャ作製者)である。が、まだ22歳である。栗色のやわらかな髪と大きな緑の瞳、そしてしなやかな肢体と尖った耳は、彼の祖先が短毛の優美な猫だったことを想像させた。
部屋には、強化ガラスの柩が20ほど並んでいるが、使用中なのは3つだけである。
その3つには、冬眠中の「ヴァイシャ」が納められているのである。柩に接続された無数の管から、何かが注入され、何かが出て行く。その音だけが、部屋に響いていた。
部屋の一番奥には、蛇口の付いた水洗可能な、解剖台のようなものがある。
そしてさらにその奥に、何者からか取り出された脳が、やはり重装備を施された培養ケースの中で息をしていた。
壁も天井も白いが、その白い壁には無数の計器が埋め込まれ、赤や青のランプを白い壁に反射させている。
「こんなもの見て、楽しい?」
同僚ケイス女史の冷ややかな問いに、キリーは肩を竦めた。
「それは君に聞きたいよ」
彼はそう答えて車椅子の車輪を回し、柩のひとつに近づいた。ケイスのきつい視線も、彼を追う。
柩を満たす培溶液の中で、金髪のヴァイシャが目を開けた。淡い茶の瞳が動く。
「君は感がいいね、アキユ」
キリーはそのヴァイシャを透明な蓋越しに覗き込み、接続された小さな端末に、喋ったことと同じ事を打ち込んだ。
「もう少し寝ておいで、アキユ」
――MADA,NETETE,IINO?
モニターに、アキユからの問いが映される。キリーは、いいよ、と答えた。
「ただ、明日までだけどね。明日、君の相棒が来るんだ。休職処分を終えてね。ちょっとひねくれ者なんだけど、君とうまくいくと思うよ。悪い奴ではないからね…」
「それが、先週見つかった「アキユ」なの?」
ケイスの言葉に、キリーは頷いた。
「3人蒐の、一人さ。これで“ラグシスティン”が見つかればいい。司令部のセレイシュウに、このアキユ。そしてラグシスティン…。3000年前の、最強の3人組だよ」
「……」
黙ったままのケイスを一瞥し、キリーは車椅子の中で座る位置をずらした。
「この前、敢えて会わせなかったんだけど、明日は僕の作ったヴァイシャを紹介するよ。仲良くしてくれよ、アキユ。君たちほど完成度は高くないけど、我ながらいい子だと自慢に思っているんだ」
―――ANATA-WA,VISYA-DIM?
「そうだよ。でもまだ、ドウテックという子しか作ってないんだけどね。あと二人制作予定なんだ。“ザッツ”と“ラスト”っていう名前だよ」
「くだらない。付き合いきれないわ」
ケイスが、腹立たしげに言い残し、部屋を出て行く。
キリーは肩を竦めた。
「アキユ、君は友達が一杯いていいね」
彼はそう言ったが、端末には打ち込まなかった。
「君には、僕の考えが理解してもらえるといいんだが…。ケイスだって、わかってるんだけどね。彼女は、僕を心配してくれている…嫌ってるのも事実だけど」
そして少し考え、ため息をつき、キーボードに手を置く。
「後で、最近の世界情勢についての情報を移植してあげよう。データとして打ち込んでもいいんだが…ドウテックの記憶を併用したほうがいいかもしれない。だが、君の情報処理能力はシュウといい勝負だから、無用の心配なんだろうか…。まあいいさ。なるべく、君の負担が軽くて、楽しめる方法で情報移植をしていこう。といっても、ドウテックは邪念が多いからなあ」
キリーは再びため息をついた。
「…おしゃべりして悪かったね、アキユ。明日の朝まで寝ておいで。情報移植は、君の相棒が来る前…1時間もあれば終わるから」
―――OK! Dr.KILLY. OYASUMI-NASAI(^^)/
「…お休み」
記号を組み合わせた「笑顔マーク」にキリーは苦笑いを浮かべ、端末の電源を切った。
医療部第6セクション…
ここは冬眠室の前面にあり、個人の研究室となっている。メインとなる研究室の他、書斎、事務室、そして、責任者のための居住スペースが完備され、冬眠室を除いても、1000平方メートルもの広さを有している。
その中で2番目に狭い部屋である書斎で、ミアニアル・キリーは、客を迎えていた。
「だから」
と、キリーは肩を竦めた。
「………やれやれ、尋問されてる気分ですよ、ギルバード部長」
医官としては最高階級である少将の位を持つキリーは、不満そうに、そして少しふざけるようにして車椅子の車輪で白い床を擦った。
キイィ、と、小さな音が鳴るのに合わせ、彼は目を細めて喉を鳴らす。
「僕は善良な、一軍人なのに」
「尋問なんて、そんなつもりはないんだがね」
と、ギルバード・ライドシェン中将も肩を竦める。
「先週見つかった“アキユ”の可能性について、キリー先生の意見を聞きたいのさ」
「可能性、ああ、可能性ね」
キリーは、再び車椅子の車輪を軋ませた。
「司令殿も、高級幹部たちも、それから勤勉な研修生たちも、みんなしてそれを聞きたがりますよ」
「だけど、俺の聞きたい可能性は、奴等の聞きたい可能性とは違う」
ギルバードも、高級幹部と呼ばれるべき階級の軍人だった。銀色の髪、冴えた蒼の瞳。シリル惑星連邦軍の誇る特殊機械兵隊“tea”の、最高責任者である。
“tea”は現在、3機の戦機と3人のヴァイシャ、そして4名の相続人(パイロット)及び戦闘要員、5人の事務官を抱える、小規模な組織だった。
が、特殊工作から宇宙での実戦まで、彼らは何でもこなす。いわば特別な組織である。そしてこのギルバード自身も、実際は事務ではなく、実戦が専門だった。
「俺は、“アキユ”とザイアード坊やとが、うまくやれるという確信が欲しいのさ。ザイアードなら、アキユにも不足はないと思うがね」
と、ギルバードはアキユのデータの束を、指ではじいた。
「行方不明のラグシスティンより、向いてると思うのだが」
「過去のデータを見た限りでは、ギル部長の見解に賛成しますよ」
「キリーは、アキユと話したのか?」
「しましたよ」
キリーは、白衣の裾をちょっとひっぱった。
「なかなかの、好青年ですよ。皆の好きな「可能性」という言葉を使うなら、彼には、無限の可能性があります。ザイアード向きでしょう。いや…アキユなら、ザイアードの潜在能力を、最大限に引き出せるでしょう」
「………それは、診察の結果なのか?それとも、ヴァイシャ・ディムとしての見解か?」
「見解です」
と、キリーは臆せず答える。
「ドウテックを創り出した俺の、敗北宣言ですよ」
そこに、今名前の出たドウテックがノックをして入ってきた。茶色い髪と瞳。「人」の男性と変わらない容姿をしているが、耳だけはキリーと同じように長く大きく、そして尖っている。白衣姿が多いこの場所で、一人ジーパンとポロシャツという格好の彼は、ギルバードに向かって軽く敬礼した。
そして、キリーに向かって困ったような顔をして見せた。
「PAPA、アキユが起きたがっています。どうしましょうか?」
「情報移植は、終わったのかい?」
「終わりました。問題はありません」
「…どうしようか?ええと…」
キリーは、ギルバードに視線を戻す。
「アキユを柩から出すところを、ザイに立ち会わせようかと思ったんですけどね。アキユは待ちきれないのかな?」
「ザイアードが停職処分食らった理由を、アキユに知らせたのか?」
ギルバードのその言葉は、非難というより、呆れを含んでいた。
「こうこう、こういう理由で停職処分を食らっていた男が、アキユの相棒になるって、そう伝えただけですよ。彼の好奇心を煽りたいとも思ったしね。新しい相棒のために、柩から起きる瞬間を見せてやってくれと頼んだんですが」
「なるほど」
と、ギルバードは、軽く息をつく。
「で、そのザイは、いったいいつ現れるんだか…。こっちに直接出勤しろと、言っておいたんだが。まあいい。キリー、奴にはやはり、アキユが目覚める様を見せておきたいな」
「…そうですね。ドウテック、アキユにそう伝えて」
「はい、了解しました」
ドウテックはにっこりと笑い、部屋から出て行く。
それを見送り、ギルバードはキリーに視線を移す。
「ケイス女史とは、うまくいってるのか?」
「……それなりに、うまくいってますよ」
と、キリーは自嘲気味に答えた。
「人間関係は、難しいですよね。ヴァイシャ作製のが、どんなに簡単か…」
「…」
「レイバック・フィリィ博士が、どんな気持ちで“イヴ”を封印して隠したのか、よく分かりますよ」
「物騒な発言だな、キリー」
ギルバードは、微笑んだ。
「それなら、偉大なフィリィ博士が、“イヴ”をどこに隠してしまったのか、想像がつくってことだよ」
彼の言葉に、キリーはかなり長い間黙っていた。
そして、ようやく微笑み返す。
「想像がつくどころか、正確に知っています。でも、今の俺じゃあ、彼女を再生することは出来ない…。いや、彼女はもう、永遠の「機密」ですよ」
二人の間にそれほどの気まずさはなかったが、沈黙が続いた。が、それを止めさせるように内線のアラームが鳴る。
“キリー博士、ザイアード少尉がお見えです。どちらにお通ししますか?”
キリーのこの研究室で修行中の、フェル・セルメイト研修医の声だ。キリーは、肩を竦めた。
「直接冬眠室に連れて行くよ。だから、その前で待たせておいてくれ。今、ギルバード部長と一緒に行くから」
“分かりました”
ぷつっ、と音声が切れる。
「…キリー、次のヴァイシャは、いつ誕生の予定なんだ?」
ギルバードの言葉に、キリーは見上げた瞳孔を細めた。
「ドウテックの、次ですか?」
「ああ」
キリーは、少し考えるような仕種で首を傾げた。
「………いつに、しましょうね?ザッツ…次の子はザッツというのだけど、彼はもう、いつでも起き上がれます。だけど、戦機パイロットがいない。戦機部はもちろんだけど、この軍には、もうパイロット有資格者がいないでしょう?」
「整備班に、戦機のコクピットを改造してもらえばいいだけのことさ」
繋がらない会話に、キリーは用心深くギルバードを見上げた。が、ギルバードはにやっと笑い、言葉を続ける。
「次の戦機は、ほぼ9割り方出来上がっている。MKオリジナル“KILL”…だったな。仕上げとして、専用ヴァイシャとの調整をすればいいだけだ。もっとも“ザッツ”っていうのは、戦闘用ではなくて、実験用なんだろ?」
「…ええ、そうです。もちろん、最前線投入も可能なヴァイシャですが…その機会はないでしょう。アキユが見つかったのだし」
「そりゃそうだ」
と、ギルバードは立ち上がった。
「さて、ザイアードとアキユを会わせなきゃならん。どういう結果になるかな…」
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冬眠室の白い壁の前で、栗色の髪と瞳のフェル医師が、敬礼する。その隣りに、ドウテックと問題のザイアード・タンデスが立っていた。この冬眠室前に来るのにも、2つのパスワードを入力してこなければならない。フェルが知っているパスワードは、ここまでだった。フェルが、可愛らしい笑みでキリーたちを迎えてくれる。
「やあ、ザイアード」
キリーの愛想のいい笑顔に、呼びかけられた本人は憮然とした顔で肯き、キリーの後ろに居るギルバードに向かってだるそうに敬礼する。身長は180近く、がっしりした体躯を着慣れていない軍制服で包んでいる。制服より、戦闘スーツのがよほど似合う。彼は、頭を振って黒髪をうるさそうに払い、ため息をついた。
「ザイアード・タンデス、本日より復職しました」
「ご苦労さん。さっそくだが、新しい相棒を紹介しようと思うんだ」
ギルバードの言葉に、ザイは露骨な嫌悪を浮かべた。
「いりません。ヴァイシャなんか、もうこりごりだ」
「そういうな。お前が壊したあの戦機とヴァイシャは、『不良品』だったのさ」
「…俺と組ませようっていうヴァイシャは、どんな奴なんです?キリーの作った奴じゃないでしょうね?」
「僕のヴァイシャは、実戦投入用じゃない」
と、キリーは不満気に鼻を鳴らした。
「それに、噂くらい知ってるだろ?先週見つかった、戦機とヴァイシャのこと」
彼の言葉に、ザイアードは黙ったままだった。
「彼と君を、組ませたいんだ。ギルバード部長も、賛成してくれている」
「組みたくない」
遮るようなザイに、それまで黙っていたギルバードが肩を揺する。
「ザイ。見つかったヴァイシャは、特Aの2世代組だぞ」
ギルバードの言葉に、ザイは一瞬好奇心を煽られたようだった。それを押し隠すような上目遣いで、ギルバードの言葉の続きを待つ。
「エル・ア・キユル・BBだ。いわく付きの、戦機さ。知っているだろ?どうする?」
「どうするって……」
言いよどむザイに、ギルバードはにやりと笑った。
「組みたいだろ?だから、命令してやるよ。“アキユと組め”」
憮然としていたザイの表情が、瞬く間に崩れる。彼は、笑みを隠すように俯き、それから前髪を払いのけるように勢い良く顔を上げた。
「部長には、感謝します。キリー先生にもね」
「そうしてくれ。とくにキリーのことは持ち上げて置けよ。これからずっと、世話になるんだから。さ、キリー。アキユを起こしてくれないか?」
「了解」
キリーはパスワードを打ち込み、指紋を照合することにより、冬眠室のドアを開けた。
「フェル、ドウテックも、手伝ってくれ。ギルバード部長とザイもどうぞ」
彼はそう言って先に入っていく。
「PAPA、アキユのバイタル・チェックは、フェルがやってくれました」
ドウテックはキリーの車椅子を押し、アキユの柩の前で止めた。
「情報移植のチェックは、僕しか行ってませんが…」
「かまわないよ。じゃあ、アキユには復活してもらおうか。ええと、フェル、そのグローブを取って」
キリーの指示に、フェルは手にぴったり張り付く、外科医が手術につかうようなゴム製の白い手袋を取り出し、渡す。
その手は微かに震えていた。
「……そうか。アキユが寝る時、フェルには手伝わせてあげなかったんだっけ」
と、キリーは肩を竦める。
「君も、ギルバード部長とザイアードと一緒に見ておいで。みんな、柩を覗き込んでかまわないから。ああ…この培溶液は、人体には有害なんですよ。ちょっと触るだけなら、手荒れで済みますが…無味無臭ですけどね。ドウテックは大丈夫だけど…」
彼はそう言いながらキーボードに何か打ち込んでいく。
「アキユ、待たせたね。君の相棒が来たよ。肺から培溶液を出すのが、ちょっと苦しいかもしれないな。君の体力があまり戻ってないから…。まあいいよ、やってみよう」
ピピピッと甲高いアラームが、小さい音で鳴り出す。
「うーん。コンピュータのほうは、アキユを起こすことに反対らしい。ドウテック、アラームを切ってくれ。そこのバルブも開けて…そう。そっちの青いほうをね」
ドウテックが、柩の足側にある何かの装置の山にある小さな青いボタンを押すと、柩の中の薄青い液体が減っていく。
その液は、仰向けに寝たアキユの顔を完全に出したところで、減少を止めた。
「アキユ、目を開けて…そうだ。それから、鼻から空気を吸うんだ」
彼の目が開けられ、茶色のガラスのような瞳が眩しそうに瞬く。そして胸が何度か上下すると、口から、培養液よりも濃い青い液体が溢れ出てくる。
「!」
フェルが、声にならない悲鳴を上げ、一歩後退った。
「アキユ、焦らなくていいよ。もう一度鼻から息を吸って…そう。繰り返して」
アキユの口から溢れた青い液は、培溶液の薄い青の中に、次第に広がっていく。
「げほっ!」
不意にアキユがむせ、青い液を透明な柩の蓋に飛び散らせた。その生々しさに、ザイアードでさえ気分が悪くなる。蓋に飛び散った液には胃液や唾も混じって、糸を引いてアキユの顔や体に落ちていく。
フェルがごくっと唾をのみ、また一歩下がる。ギルバード部長が彼女の腕をつかみ、支えた。
「アキユ、もう一回咳をするんだ。それで終わる。だめなら洗浄機を使うことになるぞ。だからもう一回頑張って」
アキユの眉間に皺がより、もう一度咳をする。再び青い液が飛び散り、そして彼の口の端からよだれが滴れていく。
「ふむ…これなら大丈夫だろう。アキユ、培養液を流すからね」
キリーの操作で、アキユの頭部側から、透明な液体がシャワーのように吹き出し、培溶液と入れ替わっていく。
「これは普通のお湯です。ちょうど38度くらいで…培溶液が34度に保たれてるので、アキユにはかなり温かく感じているでしょうね。覚醒するのにちょうどいい」
柩の中は曇り、アキユの姿が見にくくなる。
「さて、これでいいだろう。アキユ、柩を開けるからね。君の体を起こすのは、僕の作ったヴァイシャだよ。昨日話した…ドウテックさ」
柩の蓋が頭部の側からゆっくりと持ち上がり、蒸気が溢れる。ドウテックが、その縁に心配そうに屈み、アキユの肩に手を掛ける。
「大丈夫?起き上がれる?」
「ウ…スコシ…メマイ・シマス………」
その『アキユ』は、ドウテックに助けられて上半身を起こすと、機械音声で呟いた。ドウテックは彼の肩に白いガウンをかける。
「安定剤を処方するよ。立てるかな?」
キリーの言葉に、アキユが顔を上げる。
「ドクター・キリー…?…ネムル…眠る前、あまり話が出来なかったけど…」
アキユの声は、次第に柔らかな肉声へと変わっていった。キリーは、肯く。
「そうだね。僕が君の主治医だと伝えただけだったんだよね。何しろ君の体力も精神力も限界だったから…」
ドウテックに支えられ、彼は立ち上がり柩から出た。そしてキリーの前に立つ。
「本来なら、グローブを外すのが礼儀なんだけど、なにしろこんな体なのでね。勘弁してくれよ」
「いいえ、ドクター。丁寧な治療を感謝します」
「いや、こちらとしてもいい経験をしたよ」
と、2人は握手をする。キリーは車椅子を動かし、ザイアードたちのほうに体を向けた。
「紹介しよう。こちらの銀髪の彼が、ギルバード大佐。現在の、機械兵隊の部長さんさ」
キリーの最後の言葉に、アキユの瞳が微かに光を帯びた。
ただのヴァイシャでないような感じを受け、ザイアードはアキユを見つめた。金の髪、茶色の瞳。細い肢体。他の、アレックやイクサート、そしてドウテックと、基本体型は変わらない。それでも、どこかが違う印象を受けた。
この2000年の間に、半ば伝説と化してしまった戦機。勝率98%を誇る化け物…
「それから、こっちの黒髪の彼がザイアード・タンデス少尉。君の相棒だよ。ああ、握手と自己紹介は、後のがいいね」
その言葉に、アキユの視線が動く。その視線にあまり感情は入ってなかったが、ザイアードを値踏みしているようでもあった。
「ドウテック、手伝ってあげて。フェル、彼に簡単な問診をして、結果を持ってきてくれ。ドウテックがよく分かってるから何かあったら聞けばいい。ギルバード部長たちは、僕の書斎へ連れて行くよ」
と、キリーは手袋を外して廃棄物ボックスに投げいれると、車椅子を少し動かす。
「アキユ、焦らずゆっくりと支度しておいで。医者として、この2人に君の事を説明するのに、1時間はかかるから」
彼はアキユに片目をつぶって見せ、そしてギルバードとザイアードを促し、冬眠室を出ていった。
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ドウテックは、ノイエルから差し入れられた青い戦機スーツをシャワー室の前に置いた。
「アキユ、着替えをここに置くよ。ノイエルからの差し入れ。下着もね」
シャワーの音とともに、アキユのくすくす笑いが聞こえてくる。
「ノイエルは、本当に行動が早いなあ。ありがとう、ドウテック。彼女には、会ったときにお礼を言っておくよ」
「うん、そうして。PAPAが…ええと、キリー博士が、本当にゆっくりでいいからって言うんだけど…お腹空いてるなら、何か用意するよ?」
と、ドウテックは、扉に少し顔を近づけた。
「えーとね」
彼が近づいたのを察知したかのようにかちゃっと扉が開き、悪戯げなアキユが顔を覗かせる。
「食べたいものはないや。今食べたら、消化する前に出しちゃいそう」
「それ、大丈夫なの?薬、PAPAが処方してくれてるから…」
「うん、食べるのは、その薬でいいや。出来れば、カフェ・オレかなにかで…」
「……」
しばらく沈黙した後、ドウテックはひとつの確信を持った。自分は、本来の役割を果たせばよいのだ。そしてアキユも、そうしようと思っている。
「牛乳で薬を飲むのは厳禁だよ」
と、ドウテックはアキユの濡れた髪を軽く叩いた。
「アレックにイクサートに…君までも、手が掛かりそうだね」
「へへへ…でも、あの2人ほどじゃないと思うよ。ドウテック、ところで今、季節は何?」
「ああ、時差まで正してあげてなかったね。今は夏だよ。第7聖戦歴6995年の8月さ。記録的な猛暑が続いてるところだよ」
「じゃあ、カフェオレはアイスにしてね」
「分かったよ。用意しておくから、泡を全部流すようにね」
ドウテックは、もう一度アキユの金髪に触れ、扉を閉めたのだった。
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「うわ、薬、錠剤なんだ?」
アキユは、薬包紙に乗った3つの白い錠剤を見て、息をついた。居住スペースのダイニングからは、基地の緑地帯が見える。昼過ぎの日差しが眩しい。緑地帯には、遅い昼休みを日光浴で楽しむ軍人たちが少なくない。
「錠剤は、苦手だったかしら?」
白湯を差し出すフェルに、アキユは肯いた。
「どちらかといえば、液体のほうがいいな。粉末も苦手で。それにしても、ここ、キリー博士の居住区でしょ?俺が入れてもらってもいいの?」
「大丈夫だよ。PAPAは、書斎と研究室だけ、僕たちヴァイシャを入れたがらないんだ。そこに入らなければ、あとはどこでも大丈夫。だからアレックたちも、よくここに入り浸っているよ」
「ふうん…フェル先生も、ここに住んでるの?」
アキユの問いに、フェルは一瞬驚いたような顔をする。
「やあね、そんなわけないでしょ」
「そうだよね。フェル先生は、ザイアード少尉…彼と、“できて”いるみたいな感じするものね」
「ヴァイシャって、みんなそうやって詮索好きなの?」
フェルは、ふっと膨れて見せる。
「もお、そんなことばっかり言ってるとね…」
と、そのとき、キッチンのほうからインターホンが響く。
「っと、キリー博士だわ」
フェルは慌ただしくカウンターの向こうへ消えてしまう。
「だめだよ、アキユ。あの2人は、まだ“できて”ないんだから」
ドウテックは、アキユに目をくばませた。
「いい感じなんだけどね。なかなか、まとまらないんだ」
「フェル先生は、まんざらでもないんじゃない?」
「ザイアード少尉も、気にしてるみたいだよ。ただ、彼のほうが踏み切れないみたいだけどね…」
フェルが戻ってきて、ドウテックはニヤニヤしながら口を噤んだ。
「ドウテック、私のこと、何か言ってたでしょう?」
「別に、何も」
「本当かしらね?そういえばキリー博士、もう少しかかるんですって。だから、ピザの宅配でも何でも取っていいよって言ってるけど…どうしようか?」
「食欲はないや」
と、アキユが肩を竦める。
「じゃあ、この第6研究室を案内してあげるよ。温室もあるし…外には出られないんだけどね」
「でも、行きたい!案内してよ。フェル、カフェオレごちそうさま。コップ、どこに片したらいい?」
「そのまま置いておいていいわ。ドウテック、キリー博士から連絡あったら、ポケベルを鳴らすから、戻ってきて」
「了解。行こう、アキユ」
ドウテックは立ち上がり、アキユに手を差し出した。
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書斎…
「いわくつき、というけど、それって真実なのか?」
ザイアードの問いに、キリーは肩を竦めた。
「まあ、真実だろうね。ヴァイシャ研究者の間では、有名な話だし…。もちろん、有名な話が、全て真実だとは言わないけど」
「……」
キリーは、ちらっと不安そうな顔をしたザイアードに、身を乗り出した。
「そんなに気になる?彼は大丈夫だよ」
「キリーがそれだけ自信ありげに保証するのが気になるよ」
「そうかな?でもあれは、いいヴァイシャだよ。ドウテックに、戦機の搭乗能力を与えなかったのは正解だったと思うくらいにね」
その言葉に、ザイアードは微かに笑った。
「キリーは、正直なのかな?」
「まあね」
ふと、会話が途切れる。ザイアードは探るように、目の前の「人間国家機密」を見た。
死ぬまで、いや、死んでもこの基地から出ることのない、ただ一人のヴァイシャ・ディム。
「…キリー、きついこと、聞いていいか?」
「何?」
「………キリーの造った次のヴァイシャは、あのアキユの能力も参考にされたのか?」
キリーは一瞬驚いたような顔をし、にやっと笑う。
「比べはしたけど、参考にはしなかった。ザッツは、もう出来上がっているからね。だから、アキユの能力は、ラスト…3人目のヴァイシャのときに、“目標”にするつもりさ」
「ラストは」
と、ギルバードが口を挟む。
「ラストは、アキユ以上の能力を持つ可能性があると?」
「でしょうね。いや、ラストには必ず、アキユ以上の能力を持たせますよ」
キリーは、2人に向かって意味ありげな薄笑いを浮かべた。
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「うわあ、すごいね。ちょっとした公園だ」
アキユは、そう言って温室の中に駆け込んだ。透き通った特殊防弾壁が、天井から側面へ、なだらかな弧を描き、夏の光を取り入れている。が、さほど暑くは感じない。
温室の中は噴水があり、小川が流れ、本物の木々が緑の葉を人工の風に揺らしている。そしてその木々の間から、時々、鳥の歌声が聞こえた
「すごいだろ?PAPAお気に入りの場所なんだ。残念なことに、鳥のさえずりは本物じゃないけどね」
「でも、この水音は本物だものね」
と、アキユは小さな噴水に近づき、その縁に腰を下ろした。
「こんなに充実してるなんてね…。博士は、本物の公園には行かれないんだ?」
彼の言葉に、ドウテックは軽く肩を竦めた。
「そうだよ。PAPAは、永遠にこの基地から出られない。そこの緑地帯にだって、護衛がないと行かれないよ。僕を作り出したばっかりにね」
「……」
アキユは、口元に微かに笑みを浮かべる。
「俺を作った人と同じだ。でも彼は、きみのPAPAとは全然違うタイプだけど…」
と、彼は言葉を切った。
「ところで、俺の最初の仕事は何だろう?ザイアード少尉との初仕事」
「ああ、戦機に乗る仕事じゃないと思うよ。BBは、修理と、君よりも長い休息が必要になるらしいから」
「そうか…さあ、この新しい世界を楽しまなきゃ」
アキユは、吹っ切るように微笑んだ。
聖戦歴6995年。アキユたち属する連邦軍と合意軍の停戦は2年目に入っていたが、和平交渉は遅々として進まず、小規模な戦闘は日常と化し、停戦などすでに言葉だけとなりつつあった。
しかし双方の国民はすでに戦闘に飽き、民間レベルでの和平交渉や食糧援助などの対話は繰り返され、両政府とも、そのレベルからの終戦を期待していた。
しかし、終戦を望まない者も多いことは、確かな事実である。