tea”外伝

――連邦軍特殊機械兵隊――

<第7聖戦歴6994年>

−雨−

「ミアニアル・キリー博士ですね?」

冷たい銃口が鈍く光り、雨が滴る。

キリーは、黙って肯いた。

ここは、基地の中である。

土砂降りの雨の中、近くの大学から戻ってきて、医療棟の前で車を降りたキリーとその同僚めがけて、同盟軍側の強襲ヘリが、3機も下りてきたのだ。

同僚のルーパード・クライスンがキリーを庇うように前に出る。2人のさしていた傘は、路上に転がり雨を受け止めている。その回りに、護衛の兵士たちが息絶え、水溜まりに血を注いでいた。

「用件は、ヴァイシャのことです。ですからクライスン博士、あなたにも御同行願います」

ガスマスクのしたの、くぐもった声、5つの銃口。兵士たちは、誰も動けないでいた。キリー博士を、もちろん誘拐されるわけにはいかないのだが、それ以上に死なせるわけにはいかない。

彼はこの世界で、2000年ぶりにヴァイシャを作り出したのだ。その最高機密が、味方の兵士たちが見守る中で誘拐されようとしている。

「さあ博士がた、風邪を引かないうちに、ヘリの中へどうぞ」

キリーは、自分の前に立つルーパードを見やった。

冗談じゃない…

これ以上不愉快なことは無かったが、自分では、もうどうにもならない。ここに、ドウテックが居なかったことだけが救いだ。

素直に、先に歩き出したルーパードの後を追って、キリーはヘリに乗り込んだ。

「では、こちらのシートベルトをつけて…」

武装した乗員が、座った2人にそう言いかけた時だった。

シューッと何か吹き出すような音がして、突然、武装ヘリの一機が離陸する。

「アレック!」

キリーが見たのは、バスタディン戦機だった。雨に打たれた真紅の装甲は艶やかに発色し、顔面部にある3つの瞳が、それも赤い光を発する。吹き出した蒸気でバスタディンの足元は霞み、見る者に、何か無気味な印象を与えた。

立ち上がりかけたキリーの肩を、武装乗員が押さえつける。

「離陸しろ!あれはアレック・バスターだ!何をしでかすか分からん!」

彼の、操縦士への指示を聞いて、キリーはおかしくなった。

まったくその通りだ…。アレックなら、多少手荒くしても確実に助けてくれるだろう。

余裕の生じたキリーは、隣りのルーパードに視線を向けた。彼もまた、自分を見ている。が、その顔は蒼白で緊張していた。何か言いたげだが開かない唇が、ピクピクと痙攣している。

ヘリが舞い上がり、シートベルトをしていなかった2人は、その揺れに椅子を掴んだ。先に離陸したヘリは、バスタディン機相手に果敢に攻撃をしている。キリーたちが乗ったヘリのドアガンナーたちも、命綱を腰のフックに素早く引っかけ、機銃を乱射する。キリーとルーパードのことは、他の乗員が素早くベルトで固定する。

ヘリは、地響きを立てて近付いてきたバスタディン機の肩辺りの高さまで浮上していた。

『警告する。戦闘を中止し、直ちに着陸せよ』

パイロットの、パストム・リーの声だ。新人だが、なかなかしっかりと威嚇している。

慣れてきたじゃないか。キリーは、パストムの顔を思い浮かべ、また笑いたくなった。慣れてきたと言うより、素質かな?航空士官生の頃からパストムは、操縦管を握ると「人格」が変わる、内気な「男の子」としてちょっとした有名人だった。

相棒のアレックに焚き付けられて、最近ますます過激だ。

一機の武装ヘリがバスタディンを背後から銃撃する。が、機銃の弾はバスタディンの装甲に音を立ててぶつかるだけだった。

戦機の身長は18メートル前後だが、バスタディンは特に装甲が充実している。搭乗している2人と違い、ずんぐりとした体型の戦機であり、その回りを飛び回る戦闘ヘリは、まるで虫のようである。


コクピットの中は、前にパストムのシートがあり、その後方の斜め上に、パストムを見下ろすようにしてアレックのシートがある。

「パストム、どうする?」

アレックは身を乗り出し、パストムの右肩越しに声をかけた。

「キリー先生の乗せられてるヘリ、あれだろ。奴等だって、キリー先生を殺せないんだ。その点じゃあ、俺等のが強いと思うぜ」

「アレックは、いいよね。自分の立場が弱いかもしれないって、思ったことないだろ?」

と、パストムはため息をつく。

「後ろからの機銃の、損害率を出してくれ」

「計上するほどもねーな。装甲にちょ〜っとだけ傷、地上戦には支障無し」

「…ふむ。損害率を気にしなくていいなら、思い切って、ヘリを手掴みにしてみようか?」

「お、いいねぇ。パストム。それいいな。やろうぜ」

アレックはシートに深く座り直した。

「出来るか?アレック」

「任せときな。戦闘レベルは幾つにする?」

「当然、スペシャルにしよう。なにしろこっちは、キリー先生が人質なんだから」

と、パストムはシートや天井の機器と接続されたヘルメットをかぶり、ゴーグルを下ろした。

計器の目盛りやモニターに映る数値や文字が、緑の光りを帯びる。

「機体バランスと武器の使用タイミングは僕が管理する。アレックは、制動を頼む」

「了解だ。任せときな!」

アレックも天井に手を伸ばし、ヘルメットを引き下げた。


ヘリはセンサー代わりの瞳を狙い、バスタディンの顔面に回って機銃掃射を仕掛ける。が、バスタディンには傷も付かない。戦機はいきなり手を伸ばし、ヘリ上部のプロペラ部分をがっしりと押え込んだ。ぐしゃっと音がしてプロペラが曲がり、煙が吹き出す。その衝撃で、命綱をつけただけの兵士が、ヘリから飛び出し振り回される。

バスタディンはその機体を持ったまま、キリーたちが乗っているヘリを見据えた。上空はいつのまにか友軍の武装ヘリで覆われている。

「空路を開けろ!こっちにはキリー博士がいる」

隊長格の兵がマイクを通して叫ぶが、ヘリたちは従う気配がない。

「ちっ!」

彼は舌を打つと、操縦士の椅子に掴まった。

「どちらにしろ、奴等はこのヘリを捕まえることは出来ない。バスタディンにだけ注意して、強行突破しろ!」

機体が、ふわっと持ち上がる。もう一機のヘリが、寄り添うようにつけてくる。

キリーは、再びルーパードと視線を合わせた。

「…キリー。もはやここまで…かな?」

ルーパードはにやりと笑った。そして、兵のほうを向いた。

「キリー博士の顔を見せれば、アレックは取り乱すよ。アレックはキリーに懐いているからね。シートから立たせて、顔をみせてやるといい」

「では、キリー博士には命綱を付け直してもらって…。ああ、クライスン博士は危険です。そのまま居て下さい」

やっぱりそういうことか…。と、キリーは軽く息をついた。腰にベルトが回され、フックが引っかけられた瞬間だった。

ルーパードが、その兵を突き飛ばしたのだった。突き飛ばされた兵は、機銃を担当している同僚にぶつかり、ふたりとも外に飛び出した。が、ベルト一本でかろうじてぶら下がる。

そしてルーパードの手には、黒光りする銃が握られていた。

「博士!何をするんです!」

「このくらいの抵抗をしておかないと、連邦軍に戻れないだろ?」

「スパイだったなんて最低だな、ルーパード。回りの皆から、君と親友だと思われてる自分を、深く恥じることにするよ」

と、キリーは嘲笑とともに言い放った。ルーパードの指先が震える。

「……こうなったらキリー、君と心中するだけさ」

ルーパードは、何が起きたのか気にしてしきりに振り返るパイロットに銃を向け、笑った。

「ヴァイシャの作製法…。君に出来て、どうして僕に出来ないのだろう?君が教えてくれた通りにしても、全然だめさ。君は、嘘なんかついてない。真実を教えてくれてるのにねぇ…」

プロペラの騒音に負けないくらいの銃声がして、操縦士の後頭部から、血が吹き出した。

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雨の音が聞こえる。

冷たく濡れていく背中の感覚で、キリーは自分が雨の降る地面に横たわっていることに気が付いた。人の声が、雨音と同じくらいに騒がしい。

キリーは、ゆっくりと目を開けた。

顔の横に見える水溜まりが、赤い。

僕の血かな?

誰かが自分の頭の下に何かマットのようなものを差し込み、水溜まりが見えなくなる。

「最悪の事態だな…」

キリーは、ため息をついた。

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「キリー!しっかりしろ!」

声を掛けられ、キリーははっと目を覚ました。自分を、心配そうな顔が取り囲んでいる。

「…」

ここはどこか聞こうとしても、声が出ない。

「軍病院だ。大丈夫。君は助かったよ。…残念なことに、両足のほうは切ってしまったが」

と、ボード・アラムス医師が答える。しばらく間を置いて、キリーは微笑んだ。

「部署対抗のスポーツ大会に、出なくて済むわけだ?」

かすれ声だがしっかりした返事に、ボードだけでなく、回りの見知った顔もホッとしたように和む。

「事件からは、丸一日経っている。翌日の夜だよ。食べ物は無理だけど、何か飲むかい?」

「水が欲しい。それより、ルーパードは?」

和んだ皆の顔が、一瞬にして緊張する。

「生きてるよ。大丈夫とは言い難いけどね…」

「助かりそうなの?」

「…多分、無理だろう。肺まで潰されている。頭しか無事に残ってないからね…。まあ、彼のことは、皆で何とか頑張るさ。君は、早く起き上がれるようになれよ」

キリーは、アラムスを見上げる。

「回復次第、軍法会議の証人席が待っていると?」

「…」

アラムスは、肩を竦めた。

「調査部はもう動いている。君の話を聞きたいそうだけど、明日以降にしてもにらった。真実を知ったのは、今ここにいるメンバーくらいだ」

ぐるっと見回すと、幹部クラスばかりだ。キリーは笑い、痛みに顔をしかめた。

「やれやれ…。最悪だよ」

「…水を飲んだら、少し寝るといい。すぐ明日になるよ」

キリーはもう一度アラムスと視線を合わせ、それから目を伏せた。

「今はとりあえず、助けてくれた皆に感謝するよ…」
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理論?

「ええ、MKオリジナルはオリジナルじゃないと、噂です」

何でそんなことが…

研修生や、入りたての後輩たちが、揃って冷たい視線を自分に向けている。ああ、僕は研修生たちや後輩の指導は担当してないからね…。ルーパードは面倒見が良くて、みんなに人気があるんだ。

僕は、人付き合いが苦手だもの。すれ違ったって、挨拶を返すのがやっと… 。しかも、故郷のムラウリア惑星を見捨てた、裏切り者だもの。詳しい事情を知らない研修生や新入りは、僕を軽蔑する…

「気にするなよ、キリー。僕は分かっているよ。なにしろ、上の連中がちゃんと分かっているんだから…」

ルーパード、君は親切だね。君にとっての僕は、大勢いる友達の一人だったけど、僕にとって君は、本当に数少ない友人だった。明るくて親切で、誰からも好かれて、いつも人気者。君を一人占めしたいなんて、そんな身分不相応な願いを抱いたことはなかったけど、君と同じこの医局に入れた時は、やっぱり嬉しかったんだ…

でもね、ルーパード。ドウテックは、僕が生み出した。だけど誰のものでもない。そう、僕のものでもない…。ドウテックは、自分で……

「我々は、真実を明らかにするためにあなたを告発します。あなたは、クライスン博士の研究を横取りしたんだ!」

冷たい視線、侮蔑、差別、偏見、疑念…

彼らの“それ”より、君の言葉のが僕は辛かったよ。

「キリー博士を責めないでくれ。僕はそんなの、気にしてないんだ」

研修生たちの疑いを、否定も肯定もしない意味ありげな返事。

「どうして僕に作れないんだ?!どうして君に生み出せるんだよ?!皆にあんなに言われたら、僕はもう、否定できない!頼む、キリー。金ならいくらでも出す。ケイスのこと、好きなんだろ?彼女のこと、君に譲るよ…」

ケイスを譲る?彼女は君のこと、本当に好きなんだよ。それなのに、君はひどいね。

僕はちゃんと、好きな女性がいるんだよ。

ルーパード。君が『一体』、ヴァイシャを作りだせばいい。わざわざケイスを失う必要はない。

君が僕を友人として見なしてくれるなら、名誉なんて惜しくない。

協力するよ。君の嘘が、真実に少しでも近くなるように…

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キリーはふと、目の前にある夢に対して、自分が「あの時のこと」を思い出していることを自覚した。

ドウテックを目覚めさせる少し前から、ヴァイシャの真の製作者はルーパード・クライスンだと噂された。が、実はドウテックの体が出来上がった頃にはもう、キリーが打ち出したヴァイシャ作製の新理論と技法を、理解できる者はいなかった。

「PAPA、痛いの?PAPA、大丈夫?」

キリーは、ふと目を開けた。ドウテックが、心配そうに覗き込んでいる。

「あれ、ドウテック…。病室に入れてもらえたのか…」

「当然です、PAPA。PAPAの看病をするのは、僕だけなんだから」

「ドウテックだけ、ねえ」

キリーは、微笑んだ。ドウテックだけというのも情けない。

背中が痛い。無いはずの下肢にも、痛みがある。痛みを感じる神経が、痛みの場所を間違って伝えているためだ。切断したところでよく見られるこの現象を、キリーは黙って受け入れるしかなかった。

この幻の痛みが消えたら、足も無くなったのだと自覚しなければならない。

自分の足の側に大きな窓があるが、外を見るためのものではなく、中にいる患者を観察するためのものである。看護婦が2人ほど忙しく行き来しているのが見える。

そしてそのまた向こうに、「外」との仕切りである大きな窓があり、雨模様の景色が見える。

「名前さえ書けば、自由に出入り出来るようにアラムス先生たちが取り計らってくれたんだ。泊り込んでも構わないというから、出来る限りそばにいるからね」

「ありがとう、ドウテック。頼りにしてるよ」

続けて、ルーパードのことを聞こうとして、キリーはやめた。ドウテックは、知っていても答えないだろう。彼はリモコンを手に取ると、ベッドマットを少し起こし、キリーが座った格好で居られるように操作した。背中の痛みが、少し和らぐ。息苦しさも消え、キリーは酸素マスクを外した。

「今日の夕方、来るそうです。調査部の担当者が」

そう言ったドウテックは、不満そうだった。が、キリーは肯いた。

「早く済ませたい。済ませて…証人席には座らないようにしたい」

「………アラムス先生が、それについて、最善を尽くしたいとおっしゃってくれました。あなたのために、どうにか穏便に終わらせてしまいたいと…」

「ああ。そうできるなら……」

通路から、激しい足音と金切り声、悲鳴が聞こえ、二人は窓のほうを振り返った。

「ケイス先生の声では…」

ドウテックが訝しんだと同時に、窓の外の通路にケイスの姿が見え、彼女はうろたえる看護婦の制止をものともず、キリーの病室に入ってきた。

「どうして…」

怒りで顔を歪めたケイスの瞳から、涙が落ちる。

「どうしてあなたが助かったのよ!ルーパードの研究を、どうしてくれるのよ! なんでドウテックがここにいるのよ!あなたが、ルーパードの研究者としての将来を奪った! 卑怯者! 敵のスパイなんて、最低よっ!研究だけ持って逃げれば良かったのよ!何でルーパードまで巻添えたのよ!」

彼女は、小さな丸い椅子をキリーに向かって投げつけた。椅子は、とっさに腕をかざしたキリーに当って床に転がる。続けて彼女は、サイドテーブルにあったミネラルウォーターのボトルを手で払い落とした。

「スパイ罪で死刑になればいいんだわっ!皆望んでる!死ねばいいっ!」

「……」

ドウテックは、黙って静かにケイスの後ろに行くと、彼女の腰に腕を回して担ぎ上げた。医者や看護婦、警備の兵が集まってくる。

「何するのっ!放してよっ!」

「……行きましょう、キリー博士は、まだ面会謝絶です」

彼はケイスを担いだまま、慌てて駆けつけてきた人々のほうを振り返った。

みな、黙って道をあける。

「放して!」

ケイスの声が響く。ドウテックはそのまま外へ歩いていってしまう。

「キリー。大丈夫か?」

アラムス医師が、ぼんやりしているキリーの頬を軽く叩く。キリーは、アラムスと視線を合わせ、そしてその視線を落とした。

「…多分、痣だけでは済んでない」

彼は、右手に左手を重ねた。

「大丈夫。痛いのは、手だけだ」

「キリーの着替えと、それからシーツ交換を用意して」

と、アラムスは見ているスタッフたちを振り返る。

「レントゲンも、撮ろう。右手だ」

数人のスタッフたちが、部屋に入ってきた。


ドウテックは、ロビーに出るとケイスを降ろした。ルーパードの取り巻きだった研修生たち30人以上が集まり、ケイスとドウテックを黙って半円に囲む。

「………」

ケイスは、ドウテックを上目遣いに睨み付けた。ドウテックは、人間さながらに、意地悪な笑みを浮かべる。

「あんなことして、見苦しかったですよ。ケイス先生」

「何よ、その態度…」

「見下すって、こういうことでしょ? 自分の無い才能を埋めるために人の出した結果を盗むのって、最低。自分の御ひいきを守るために、他人を攻撃するのは、もっと最低。好きな男の為にとはいえ、分かっている真実を無視して、恥も外聞もプライドも捨てて喚き散らす女なんて、最低よりもまだクズだ」

誰も、何も言わない。ケイスも黙ったまま、ドウテックを見上げる。

「僕を作り出したのは、ミアニアル・キリー博士。僕を外に連れ出して、いろんな事を教えてくれたのはルーパード・クライスン博士。だから僕は、キリー博士と同じくらい、クライスン先生が好きだったよ。尊敬していた」

「………」

ケイスは、ドウテックから視線を逸らせた。

「だから、あの二人がずっと親友でいてくれればと思ってた。勝手なことを言う取り巻きより、キリー博士のほうを大事にして欲しかった。なのに…」

ドウテックは、黙っている彼らをぐるりと見回す。

「クライスン博士は、ケイス先生と付き合いだしてから変わったんだ。あなたにいいところ見せようとして、キリー博士より優秀なところ見せようとして…。だから僕は、ケイス先生が諸悪の根元だと思ってる。好きだったクライスン先生の思い出を壊さないようにするには、あなたを憎むしかない。嫌うしかない」

「……」

「永遠に、嫌いだ」

ドウテックはくるっと向きを変え、関係者しか入れない透明な扉の中に入っていった。


右手の平の、中指から続く骨にヒビが入っていた。キリーは、包帯を左手で撫でた。

事情を聞きに来たのは、まだ若い青年将校だった。背が高く、物腰も柔らかくて優しそうである。が、こういうのが「恐い」のだ。らしくないしぐさが、敵を危険な状況に追いつめる。

まだ若いのに一人で来るあたり、とても優秀なのだろうな、とキリーは考えた。

「急を要すると判断しましたので、どうかこのようなところで事情をお伺いする失礼を許してください」

と、彼は心から申しわけなさそうに眉間にしわを寄せる。

「僕は、情報部所属のブライアン・コンパール准尉です。お手間は取らせないと思います」

彼は、膝の上でパソコンを広げた。

「基礎的なことは、把握出来てると思います。わからないのは、クライスン博士が、今回の事件を起こした理由です」

「理由?」

キリーは、聞き返した。笑いが込み上げてくる。

「いきなり、そんな質問?随分ですね…。事実を無視して?」

「事実?」

と、今度はコンパール少尉が怪訝そうに聞き返してくる。彼は、首を傾げた。

「事実といいますと?」

「被害者はクライスン博士だと、そう信じてる人も居るってことです。他の人にだって、事情、聞いたんでしょう?」

「ああ、聞きましたよ」

コンパールは、あっさり認める。

「医薬研究部の部員と、あとは研修生、学生実習生。総勢約100人。昨日一日で。聞くのはいいけど、報告書がねぇ…他の仕事しないで、これの為だけに二晩も泊り込めば、仕上がるでしょう、多分ね」

と、彼はうんざりしたように息をつく。

「事実…まあ、そう呼ぶのは相応しくないと思いますけど、あなたが思っているとおり、クライスン博士の味方する人は少なくなかったんですよね。」

「………」

「…正部員以外は、ほとんどそうでしたねぇ。興味深い事です。噂に関する研究をしている同僚が、この例について、『デマを信じたのは何故か』という観点でレポート出すことになってるんですよ」

キリーは、コンパールを見つめた。この男、どこまで本当のこと言っているんだ?

「あ、本当なんですよ、博士」

と、彼はいっそうまじめな顔をキリーのほうに突き出した。

「正部員のほとんどは、上から下まで真実をきちんと理解してましたけど、それ以外が、驚くほど嘘を信じてるんです」

「…それが、本当なら?彼らの信じる嘘が、本当は真実だとしたら…」

「ありえませんね」

コンパールは、キリーを遮って断言した。そして、呆れたようにキリーを見る。

「実はね、実習生と研修生の50人中50人が、連名であなたを告発していたんです。先月半ばにね。もっとも、10人ほどは3日のうちに、横つながりの人間関係上署名したが、本当はそんなこと思ってないので、署名を消して欲しいと頼みに来ましたけど」

「………」

「同じ頃… もうばれてしまうことなので話しますが、同じ頃、戦機部のほうから、クライスン博士に対する調査を依頼されたんです。理由は定かにしてないんですけど、まあ、あそこは野生のカンの寄り合い所帯ですからね。こういう事態になりそうなことを、感じていたんでしょう」

「……」

「それで、研究部の上層からは、あなたとクライスン博士について、詳しい報告書をだしてもらっていたんです。それには、クライスン博士は多分、学生や後輩たちの思い込みを、あなたに対するライバル心故に否定できないのだろうと書かれていました。」

「そんなこと………」

「だからあなたが、クライスン博士を庇うことはありません。絶対にね」

キリーは、項垂れた。 …恥じることにするよ、ルーパード…

「どうしてこんな強硬な手段に出たんでしょうね、クライスン博士は」

と、コンパールは声の調子を変えてそう言った。

「ケイス女史を捨ててまで、スパイを行うメリットが、あったとは思えないんですけどね」

「それは、僕にも分かりません…」

キリーは、視線を落としたまま答えた。ひびの入った右手が痛い。

「ただ、ケイスは、本当は、真実をきちんと理解してたと思います」

「ええ、僕もそう思いますよ。彼女は、クライスン博士の言葉が、真実だと思い込もうとしていただけです」

「…」

「彼女にも事情を聞きましたけど、そういう印象を受けたんですよね…」

コンパールは、長いため息をついた。

「もしかしたらクライスン博士は、彼女の一喝を期待していたのかもしれませんね。なのに彼女のほうが、クライスンの言葉に流され、惑わされてしまって…。そんな彼女に、追いつめられたのでしょう。そういう見方で、賛成してくれますか?」

コンパールは、多分そういう報告書を書くつもりなのだろうとキリーは考え、少し間を置いてから肯いた。

「賛成します。コンパール准尉。ただ…」

ふいに、涙が落ちる。

「言い訳に聞こえるかもしれない。あなたが信じるかどうかも自信がない。でも…」

涙が落ちるが、声は震えなかった。右手が脈打つ。

「どうしてみんな、僕とルーパードが、ケイスを取り合ったと言うんだろう? ケイスをすごく好きだったけど、恋愛の対象じゃない。ケイスは本当に、ルーパードが好きだった。彼が僕と張り合う理由はなかった…」

「好きになるって、そういうことなんですよ、博士。回りの他人が、みんな敵に見えることがあります」

と、コンパールはキリーの肩に手を乗せた。

「だから嘘を信じたり、真実を見失ったりする。忘れろとはいいませんが…でも、もう考えないほうがいいでしょう。真実に沿って報告書は作られますし、クライスン博士は相応の処罰を受ける。真実について、あなたが負い目を感じることはないんですよ」

キリーは、力無く肯いた。回りの皆から、君と親友だと思われてる自分を、深く恥じることにするよ…

「ご協力感謝します。といっても、僕が一方的に事情を話していたようですが」

と、コンパールはパソコンを閉めて立ち上がった。

「博士、早くに回復されることをお祈りします」

彼は、静かに出ていってしまう。ドアが閉まると、キリーは背中の力を抜いた。涙が止まらない。

「ルーパード。僕は君を、信じてた。とても、好きだった…。だから絶対、庇いたくなかった。許せなかった…」

キリーは、包帯の手で顔を覆った。


報告会は非公式だが、集められたメンバーは、軍の最高司令官を含む上層将校20人だった。彼らの手元には、コンパールの作製した報告書と、ギルバードが書いた、クライスン博士に対する調査依頼書類が、それぞれコピーされてある。

「しかし、分からない事がある。ギルバード、どうしてクライスン博士を調べろなどと言い出したんだ?」

情報部のマスライ中将が、調査依頼書のコピーを見ながらため息をつく。

「我々のところには、彼が怪しいなどという情報は入ってこなかった。情報部としての無能さと失態を認めるんだがね… でも、これは本当に不思議だよ」

「ああ、これは… 確信があったわけじゃないし、こんな事態を予測したわけでもない。ただ…」

と、ギルバードもため息をついた。

「クライスン博士が、アレックにこう言ったんだそうだ。『君の腕、本当は僕が再生したんだ』と。だがアレックは、キリーの治療を受けた当の本人だ。それで彼は、クライスン博士を訝しんで、俺のところに相談に来たんだ。
クライスンはもしかして、嘘を心で繰り返し、後輩たちから奉られるにつれ、嘘を真実にしようとしたのではないかと」

「…」

「思い込みがエスカレートすれば、キリー博士の身が危ないし、認められないうっ憤は、時として裏切り行為につながる。密告するようで嫌だったが、仕方ない。うちの部員の半分は、ヴァイシャだからね。クライスンのプライドより、キリー博士のが大切だったんだ」

「まあ、ギルバードの気持ちは分かるし、調査依頼は妥当だったとしかいいようがない」

と、ツキシロ司令が慰めるように言う。

「マスコミ操作は、情報部に任せよう。クライスンについては、アラムスから出された案で、かまわんよ」

アラムスの肩が、ほっとしたように揺れる。

「ところで、もうひとつ分からんことがある。キリー、クライスン、ケイスの3人の関係だよ。本当に、恋愛感情はなかったのかな?」

「それは…」

と、ほっとしかけたアラムスが、困惑したように顔を上げてツキシロを見る。

「クライスンとケイスは、部でも公認でしたが…」

「それについては、司令」

コンパールが、片手を挙げて発言する。皆の注目が、彼に集まった。

「恋愛沙汰の殺傷事件にはしたくなかったので、報告書上での詳細は省きましたけど、関係者に話を聞いて僕が感じたのは…」

彼は、ふと言葉を切った。

「本人たちも、思い違いをしているということなんです。ケイス博士は、美人で優しくて優秀。人気通りの素晴らしい女性であることは、アラムス大佐も認めるところだと思いますが…」

また、言葉を切る。

「ケイス博士自身を悪くいうつもりはないと、先に言い訳しておきます。ただ、彼女はみんなに憧れられる存在だった。だから、キリー博士もケイスを好きに違いないと、回りはもちろん、本人たちも思い込んでしまったんですよ」

「本人って、ケイスとクライスンもか?」

と、アラムス。コンパールは肯いた。

「ケイス博士も、自分がキリーに愛されていると思い、疎ましく感じてしまった。だから、クライスンに必要以上に入れ込んだんでしょうね。そしてクライスンは、ケイスをキリーに取られるのではないか、という妄想にとりつかれた」

「………」

「でも、キリー博士は…。先日彼と話していて感じたのですが、博士自身は、クライスンのことが好きで…恋愛感情とは違いますが、クライスンのことを、同僚として、人間として、とても好きだったんです。それこそ、クライスンの言動を黙認してしまうくらいに。だから、クライスンの恋人であるケイスのことを、本当は嫌っていたんでしょう。僕は、そう感じたし…」

と、彼は手元の書類に視線を落とし、嘲笑した。

「自分とクライスンの間に存在する邪魔な女を、好きになれるはずはありませんよ」

あちこちから、賛成を示す息が漏れる。。

「カウンセリングや心理分析は僕の専門ではありませんが、今回の件が、博士の心に何か変化をもたらしたのは間違い有りません。第3惑星籍の強制交付と、彼の、基地内への永久拘束を提案します」

コンパールの言葉に、随分長い間をおいて、ツキシロが頷いた。


「…まだ、面会謝絶になっていたと思うんだけど?」

キリーは、戦機部の面々を見回した。全員、来ている。窓の向こうの通路で、看護婦たちが不安そうだ。

「面会許可を取ったのは俺だが…」

と、ギルバードもため息をつく。

「どういうわけか、みんなくっついてきたんだ」

「だってさあ、ギル部長と一緒じゃなきゃ、とうてい入れないと思ってさ」

と、アレックがキリーに擦り寄る。

「ったく、手間かかるよなぁ、ちびすけ。退院したって、飯作ってくれる人居ないんだろ。ドウテックより、俺の料理のが上手いしさ。俺が腕によりをかけて、栄養満点料理をつくってやるからなっ」

「寮の食事で充分…」

「何言ってるのよ。そんな重症なのに寮の食事だけじゃ、快復しないわよ。着替えとか、私が手伝うわぁ♪」

と、ノイエル。キリーは思わずひいてしまう。

「い、いや、いいよ。ノイエルは…」

「大丈夫♪それだけ分かってれば、覚悟も出来てるでしょ♪ね♪」

「ミハエルさん、助け…」

「いやあん♪助けなら、私に求めてぇ♪」

アレックとノイエル、それにイクサートも加わって抱きしめられる。キリーは、慌てて皆に手を伸ばしたが、駄目だった。シシィにつねられる。

「それだけもてて、助けを求めるなんて贅沢よ。今日のお見舞い、恩に着てよね」

あまりにシシィらしい発言で、キリーは笑った。ふと、窓の向こうにアラムスが立っているのに気付き、目が合う。

彼は、キリーに向かって親指を突き立てた。

ああ、分かってる。今度は絶対、誰も惑わされない、僕が作ったのだと、僕しか作れないと誰もが認める最高ランクのヴァイシャを生み出して見せるよ…


でも、雨が降ると思い出してしまう。

雨の向こうから、君が、僕を妬ましそうに見つめてる。でも、平気だ。

僕は君のように卑怯じゃないし、弱くない。故国も両親も裏切れたんだ。

だから、君を踏み台にすることなんて全然平気なのさ。

さようなら、ルーパード。僕はもう、君を必要としない…


ケイス博士は、キリー博士に怪我を負わせたことについて厳重注意処分を受けた。

キリーを告発し、最後まで署名簿に残った36人については、軍関連施設への就職が、永久に拒否された。

そしてクライスンは、事件後24日目に、意識不明のまま心停止。その体は「解体」され、資料及び標本として利用されることが決まった。


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