第5聖戦歴/第1話

「真っ白なイヴ」


「レイバック!」

声を掛けられ、レイは立ち止まった。後ろから、メルディが追いかけてくる。

「やあ、メルディ、どうしたの?」

「サラディナが、またいないんです。どこかで見ませんでしたか?」

「…見ないな。また、逃げたの?」

「ええ」

と、彼女は6ヶ月になるがあまり目立たないお腹を撫ででため息をついた。メルディは24歳、才能強化を受けた、研究局の職員である。 レイバックは、腺病質な細い手をメルディの肩に置いた。

「見つけないと、叱られる?」

「リドノム教授がイライラしてるから…」

と、彼女は丸メガネをちょっと押し上げる。

「サラディナ、レッスンの途中で逃げたらしいから、私が叱られることはないんだけど」

「僕が一緒に捜してあげるよ。君は…」

「でも、これから会議では?」

「会議はもう終わった。次の会議は人が揃わなくてお流れ。おかげで、定時まで空いてしまったんだ。気にしないで」

メルディは、ほっとして微笑んだ。

外は良く晴れていて、中庭の緑が輝いている。回廊と外を隔てる窓ガラスの一部が開放されていて、気持ちの良い風が吹き込んできた。

レイバックは28歳。金色の柔らかそうな髪が、顎や首の細い線を縁取る。この容姿とトップの研究成績ももちろんだが、ホルディオン局長と『姓名の違う実子』ということもあり、目立つ存在だった。

「あとで瑠璃留(るりる)が、こっちに来るんだ。それまでにサラディナを見つけて、ゴードンを誘って、4人で夕飯食べに出ようよ」

と、レイは彼女の肩をぽん、と叩く。

「僕は研究棟を捜してくるから、君は庭のほうを見ておいでよ」

「はいっ!」

メルディは、レイバックに手を振って外に出て行った。

「やれやれ、サラディナは本当に悪い子だな…。メルディはいい子なのに」

レイは、目を伏せた。闇の中の、微かな映像―――

白い服!

「あそこか」

彼は、エレベータの上昇ボタンを押した。

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白く無機質な扉に、『1』が赤で描かれている。リドノム教授の研究室だ。リドノム教授というのは、この軍研究所で顧問をしている老学者だった。しかも、先のメルディと、その妹サラディナの伯父でもある。彼は、超能力を研究し、それなりの成果を上げている。そして、ここの特殊研究局の局長で、レイたちの上司であるホルディオンも、彼の弟子だった。

ここは、一般人…局員であっても、許可のない者は入れない聖域でもある。

レイは、指紋照合をして入った。

「サラディナ、いるんだろ。出ておいで」

部屋の中は薄暗く、人の気配はない。机の上は乱雑で、床のほうも、足の踏み場が無いほどに、薬品のポリ容器が並んでいる。が、レイはかまわず奥の部屋に入って行った。

奥の部屋は、前の部屋よりも片付けられている。応接セットが置いてあり、そしてその正面に、一枚の絵がかけられていた。

『イヴの肖像』

サラディナとメルディの母親、そして、リドノム教授の妹であるイヴォンヌ・アセラビィの生前の姿だった。

白い髪、白い肌、そして、真紅の瞳…彼女に色彩を与えたら、サラディナとよく似ている。リドノム教授がサラディナを可愛がる由縁でもある。

「サラディナ。いい加減に出てこないと、リドノム教授にいいつけるよ」

レイは、絵を見詰めた。

「ここに忍び込んだこと、言いつけられたら、困るだろ。サラディナ」

「……」

「絵の後ろから、出てきなさい」

絵の正面の空気がふうっと白く濁り、白い服を着たサラディナが、姿を表す。彼女は、11歳。確認されているなかでは、トップクラスの超能力者だった。

彼女は、愛らしい顔に不釣り合いなほどきつい青い瞳でレイバックを見上げ、金色の巻毛をかきあげた。

「どうして、分かったのよ?」

「気配がガンガンしていたよ。さあ、リドノム教授が呼んでいる。メルディを困らせたらだめだ」

「ふん。メルディは、私の子守で給料もらってんだもの。せいぜい苦労すればいいのよ」

「サラディナ」

レイは、彼女を一瞥した。

「ほら、行くよ」

「行かない。メルディが、サラディナ出てきてって、泣いて頼むまで行かない」

「……」

「それに、レイは私を捕まえられないでしょ」

と、サラディナは近くの壁に手をついたが、何も起きない。彼女は、顔いっぱいに動揺を表して、自分のことを見回した。

「うそ、さっき、この部屋には、壁を通り抜けて入ってきたのに…」

「瞬間移動、また失敗かい?」

レイは、サラディナの腕を掴んだ。

「苦労しなきゃいけないのは、どうやら君のほうだね。リドノム教授が、その能力の完全開花を待ちわびてるんだから」

「何よ! 放してよ!」

「サラディナ。いい加減にするんだ。わがままだって、やり過ぎれば可愛くないよ」

「セクハラよ!」

「何とでも」

彼はサラディナを肩に担ぎ上げ、部屋を出た。


「すまないね、レイ」

リドノム教授はそう言うと、禿げ上がった頭を左右にゆっくりと振ってサラディナを優しく見下ろした。

「この子は、どこに隠れていたのかな?」

「…」

サラディナは無言のままだ。レイは、肩を竦めた。

「隠れた場所を内緒にしておくのが、出てきてもらう条件でしたから、不問にしておいてください。教授」

と、レイは苦笑する。

「では、また居なくなったときには、レイに頼めばよいのだね?」

「空き時間なら応じますけど、こうも頻繁だとね」

「伯父様は、メルディのこと叱るべきよ!」

と、不意にサラディナが口を挟む。

「グズのメルディが、探し回ればいいのよ。何でレイに手伝わせるのよ。レイが可哀想だわ」

「君にそうやって言われるメルディのが、よっぽど可哀想だよ」

レイは、溜息交じりにそう言った。リドノム教授も、肩を竦める。

「自分のお姉さんのことをそういう風に言うなんて、感心しないね」

「ふんっ!だ」

サラディナは、つんと澄まして奥の部屋へ入っていってしまう。リドノムは、苦笑いしながら丸椅子に座り、レイにも近くの椅子を勧めた。

「サラディナには、困ったものだ」

「教授が、甘やかし過ぎるんですよ。もっと断固とした姿勢を示すべきですね」

「そうやってわたしを諭すのも、君くらいなものだ」

と、リドノムは嫌味の無い笑みで肯く。

「メルディがイヴォンヌに、あまりにも似ていないから、ついサラディナを可愛がりすぎたのさ。だからといって、メルディが可愛くなかったというわけでは無いんだが…」

「教授には申し訳ないんですけど。でも、研究員みんなが、サラディナに迷惑被ってるのはご存知のはずです。

「もちろんだよ、レイ。どうにかしたいと思ってはいるんだが…」

「かなり不満がくすぶってますよ。どちらにしろ、わがままで強烈な超能力は危険です。サラディナのあの様子じゃ、いつかきっと、嫌いな人間を全て丸焼きにしますよ」

「サラディナには、発火能力はないよ」

「だから教授は甘いんですよ。サラディナに騙されている」

「だが…」

レイは、椅子をリドノムのほうに引き、声を落とした。

「特殊兵隊の発火能力者(ファイアスターター)が、サラディナに、火の付け方を聞かれたそうですよ。自然に出来ることだから、理屈として説明できないと答えたそうです。宿題に無い能力を練習することほど、危険なことはありません」

「……」

「メルディの直属上司として、彼女の産休を早めに与えることを提案します」

「しかし、今メルディに抜けられるのは痛い。彼女は、わたしのところの段取りを熟知しているからな」

「必要なら、僕が手伝いますよ。あなたのチームを卒業して個人研究室をもらったら、とたんに暇になりましたから」

「…そうやってヒマな時間を作れる君の能力こそ、超能力と呼びたいよ」

と、リドノムは肩を竦めた。

「メルディの産休は、もう少し待ってくれ。あと一ヶ月…いや、あと3週間で、わたしのほうも一段落付くんだ」

「では、その3週間のうちにメルディから、あなたの研究の進行具合をレクチャーしてもらっておきます。何かあったらぜひ、僕に声掛けてください。あなたのチームを卒業して、本当は寂しいんですよ」

レイの言葉に、リドノムは大袈裟に溜息をついた。

「年の離れた弟、妹っていうのは、みんな甘え上手なんだね。ホルディオンとは、この先ずっと、分かり合えるような気がするよ」

リドノムは手を伸ばし、分厚い書類の束を数冊取り上げる。

「じゃあ、資料をあげておこう。君が卒業してから、大分進んだからね。メルディに、しっかりきいておくように」

「感謝しますよ、教授」

レイは、書類の束を抱きしめた。


「サラディナも、とんだワガママ娘よね」

と、瑠璃留・タカムラはかなり本気の様子で答える。

「っと、メルディの前で、妹さんの悪口言うのも何なんだけど」

「白いワンピースにケチャップ吹き付けられたの、根に持っているんだよ」

と、レイは向かいのゴードンとメルディに囁いた。

レストランは、あまり混んでない。レイと瑠璃留、ゴードンとメルディは、月に何回か、こうして4人で食事をする仲だった。4人とも軍属なのだが、瑠璃留は軍医で、普段は陸軍病院で勤務しているから、昼間はレイたちと顔を合わせる機会が少ない。

「私、超能力って信じてなかったけど、あれ一発で、考えが180度変わったわ」

「そりゃ、空中に浮いたケチャップ瓶からケチャップが吹き出したら、びっくりするよな」

と、ゴードンが笑いを噛みながら答える。

「俺達は、馴れてるけどさ」

「馴れるような環境にいるっていうのが、不思議よ。メルディも、産休終わったら病院のほうに移動願いだすといいわよ。勤務は不規則だけど、研究局で陰惨な研究してるより、よっぽど健康的よ」

と、瑠璃留は続けた。瑠璃留のこの考えは、未だに誰も、覆すことが出来ないでいる。

「でも、ちょっと考えてるのよ、それ。サラディナにはいい加減困ってるし」

「でしょう!ほら、ぜひいらっしゃいよ♪」

ゴードンとレイは、お互いに顔を見合わせた。

「そういえば、イヴ計画は、どの程度進んでるのさ?」

と、レイが話題を変える。ゴードンは、苦笑する。

「機密なんだぞ。そう簡単に聞くなよ」

「別にいいじゃないか。どっちにしろ、全員が関わったことのある研究だし、僕も、もしかしたらまた、手伝うことになるし」

「ああ、お前、暇そうだものな。イヴ計画は、もう最終段階って言っていいかな。人工脳は、ほぼ完成さ。ただ、記憶移植のほうは6割程度ってところだね」

と、ゴードンはワインに口をつけた。

「死んだ人間を生き返らせるというより、死んだ人間の模造品をつくるっていう感じだな。リドノム教授は、蘇生だって言うけど。星団至上最強の超能力者・イヴを蘇生したいのは分かるんだけどさ…」

「そのイヴ… イヴォンヌって、そんなにすごい超能力者だったの?」

と、瑠璃留。

「だった、らしいよ。無い能力はないってくらいね」

「能力の遺伝確率は、50%だけど」

と、メルディが苦笑いする。

「でもね、私、昔ね、彼女に、あなたの能力は、封印しましょうって言われた覚えがあるのよね。サラディナやリドノム伯父は言った事無いんだけど」

ゴードンたちも、初耳だった。ゴードンとレイは顔を見合わせ、それから再び、メルディを見る。

「それって、いつのこと?」

「サラディナが、彼女のお腹に居る時なのよ。それで彼女、赤い色をイメージした時に、封印を解くことが出来るって言ってたの。夢じゃないとは思うのよ」

「で、赤い色をイメージした時っていうのは、経験したの?」

と、レイ。メルディは、意味ありげに微笑む。

「したわ。目の前が真っ赤に染まるイメージ。でも、何も起きてないみたいよ。封印されたのが超能力で、それが解かれたのなら、自慢しまくっちゃうんだけどね」

ゴードンとレイ、そして瑠璃留は、メルディのことを黙って見つめていた。


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