FAIRY SWORD

聖戦歴20105「先帝第2皇子」


不当に帝位を欲するのなら、もはや皇子ではない……


<7>

帝都ミスバース・精霊宮………

「ドウリィ、落ち着いて冷静に話せよ。切れるなよ」

そう言ったラース・クレッセイを、ドウリィはじろりと睨み返した。総務近くの庭は、見事な青空を映した蓮の池と芝生が、昼下がりの日差しを受けて輝いている。

その芝生にイーゼルを立てて庭の写生をしているのが、アルフ・フェラル。精帝軍の副司令官である。

ドウリィの後ろに居る彼の部下たちは、これから起こることを予想してか、じっと息を潜めている。それも彼をイライラさせる一因だった。彼は、深呼吸してラースを改めて見つめた。獰猛さでフリウ遠征隊指揮官と張り合うラースは、城内の警備を担当する後方支援軍の指揮官である。無造作に短くしている黒髪も、胸のはだけた服も、確かにドウリィの気に召さないのだが、決してだらしないわけではない。

眉間の傷と相成って、彼の海賊のような格好は、とてもよく似合っている。

一方フリウは重厚な鎧を好み、いつもきちんとしているが、平時でも武装を解かないということに関して、ドウリィの気に召さない。

ドウリィ自身は、髪型から靴の先まで、ひとつとして乱れていなかった。服についているボタンは全て掛かってないと気に入らないし、肌の露出は「嫌い」である。軍務長官として、服務規定は彼が基準となっている。それ故か、ずぼらな人間が多い軍では、唯一人、異質な人物だった。

彼はラースから目を逸らして深呼吸すると、アルフに歩み寄った。

「アルフ!」

「お?…やあ、ドウリィ」

振り返ったアルフは、愛想のいい顔で振り返った。

「ガリアサス陛下は、戻られたのか?」

「そんなに早く戻るわけなかろう。カシルガシェまで、休みなしでも丸一日かかるというのに。戻るのは今夜遅くだ。リィ(リトゥーム司令官)に、迎えに行ってもらう」

「ああ、そう。それは大変だよな」

と、アルフはそう言って、箒のような巨大な絵筆を筆洗に突っ込んだ。水が、あっという間に白く濁る。

「ところでドウリィ、フリウの…」

「着替えてこいと、言ったはずだっ!」

ふいにドウリィは、アルフにつかみ掛かった。

「何で昨日と同じ服を着ている?!しかも、この宮で絵を描くなと、あれほど言っているのに!!!」

「でも、ガリア陛下もルースも、許可してくれて…」

「勤務時間中は、ルース『陛下』と呼べっ!そんなんだから、けじめが無いとか馴れ合ってるとか言われるんだっ!」

「それはそうだが、別に…」

「一度、死んでみろっ!」

襟を締め上げられ、アルフは慌てふためいた。

「待て待て待てっ!くっ、苦しいっ!ほ、本当に苦し…」

「…ドウリィ、そのくらいにしておけよ。でないと、お前のほうが馴れ合ってると言われるぞ」

と、ラースがようやく止めに入ってくれる。アルフは慌てて、ラースの後ろに逃げ込んだ。

「一体、何なんだ?ラース。ドウリィの奴、えらく機嫌が悪いじゃないか」

「お前がだらしないからだ。とにかくドウリィ、落ち着けよ。用事は他にあるだろ」

「用事の前に服装だ。どうして昨日と同じ服を着ているんだよ!」

ドウリィは手を伸ばしてアルフの耳を掴み、ラースの後ろから引っ張り出す。

「いてててて☆別に、服なんて何日着たっていいじゃないか。汚れているわけではないのだし…」

「良く見ろ!汚れているだろうが!」

怒鳴られ、アルフは黄ばんだシャツを見下ろした。繊維が伸び切ってへろへろになったそのシャツも、もとは白かったはずである。その黄ばんだシャツの胸から腹にかけて、赤い絵の具がべったりとついている。

「うわあ、ひっでぇ。どうしたんだろう?今日は蓮の花を描いてないぞ?一体、いつのまにこんな赤い絵の具つけたんだろ?」

「昨日、自分でつけたと言ってただろう!」

「ああ、そうか」

と、アルフは手を叩いた。

「思い出したよ。それにしても、改めて見るとひでえ。今日は自宅から馬で伺候したから、道中、注目の的だったかもしれん」

とはいえ彼は、いろんな意味で注目されることが多い。ぼさぼさの髪、無精ひげ、だらしの無いよれた服。副司令官として、剣だけは腰に下げているが、それもいつも、邪魔そうに扱っている。これでも名門、フェラル家の人間で、摂政としての資格もある。

「恥ずかしいと思え!」

ドウリィに改めて怒鳴られ、アルフは肩を竦めた。

「もしかしてこれは、得したんじゃないか?これでもう、服が汚れないように気を遣わなくていいということだ」

「そうじゃないだろう!」

「絵が完成するまで、毎日これ着ようか?」

いつものことだが、アルフとドウリィの会話は噛み合わないことが多い。ラースはため息をついた。いつものことだが、仲裁するのは自分の役目だ。

「ドウリィ、用事は服装のことじゃなくて、精霊狩人のことだろう? ワラに潜入した、悪食種の妖魔」

「…そうだった」

と、ドウリィは何度か深呼吸する。

「用事はそのことだ。アルフ、セディから手紙が来たそうだな。何て書いてあったんだ?」

「手紙が来たの、よく知ってるなぁ?」

「アルフ、答えてやれよ……」

ラースが耳元で囁くと、彼は仕方なさそうに鼻から息を吐いた。

「手紙には、面白くなりそうだから早く来い、の一行だけだよ」

「本当か?」

ドウリィが、意外そうな顔をする。

「セディは、それだけを?」

「そ。二行目に、サインがあったくらいさ。だから、ガリアサス陛下が戻られたら、セディの様子を聞いて、ワラへの出発許可を頂こうと思ったのだが…」

「その件だが、ルース陛下から、第2皇子のことはもういいから、妖魔のほうだけなんとかするようにと命令が下ったんだ。今はもう、それだけでいい…ってね」

と、ドウリィ。

「妖魔のことだけ?それは、ODD-EYEの意向なのか?」

アルフの問いに、彼は肯いた。

「ルース陛下一人の考えではないだろう。皆の意見を聞いたとおっしゃっていたしね」

「…ふむ。結局ODD-EYEは、第2皇子を偽物と判断したのかな? ルース陛下だって、そうでなければ、いくら大臣や官吏たちが意見しても、そうあっさりと皇子のことを『もういい』とは言わないだろう?」

「多分な」

と、今度はラースが返事をする。

「それに、メルティギア側は、アンヌ皇子がルース陛下の血を引かないことを持ち出してきてね…。それで陛下も、ODD-EYEの意見を聞き入れる気になったようだ」

「やれやれ。ルース陛下の血は引いてなくても、あの皇子は正真正銘、ガリアサス陛下の孫だぞ。メルティギアは、どの噂を信用したのかな?」

「蛮族は、刺激的な下ネタが好きなのさ。とにかく、メルティギアが第2皇子の正当性を主張するためにアンヌ皇子の出生を突つくのなら…。全面戦争になるな」

ラースは、ため息交じりに肩を竦める。

「アルフ、どうする?」

「どうするも何も…」

と、アルフは腕組みをした。

「ラースは、ガリア陛下を迎えに行くための隊を編成してくれ。ドウリィは、メルティギアとの戦争に備えて、準備を」

「戦争、するつもりか?」

ドウリィが、うんざりした顔をする。アルフは肯いた。

「少なくとも、精帝遠征(エリア)軍との小競り合いは避けられないだろう」

「それはそうだ。仕方ない。承知した」

「頼む。だからリィ」

名前を呼ばれた青年に、皆の視線が集まる。大人しく目立たず、頼りなげな彼は、ドウリィの服装チェックにパスする、数少ない官だった。

そして彼が、第8代の「聖総帥」である。

「リィは、ラースの編成した小隊とともにここを発ち、中途ガリアサス陛下と逢った後、そのままカシルガシェに行ってくれ。フリウと共に、出来る限り戦争回避の努力を」

「こうなった以上、回避などという甘いご期待に添えるとは思いませんが…」

と、リィは苦笑いを浮かべる。

「アルフ殿は、どうなさいますか?」

「俺は、ルース陛下の許可が出たらすぐ、今夜のうちにカシルガシェへ向かうことにしよう」

「兵はどうなさいます?お1人で行かれるわけには…」

「側近たちだけでいい。事務官ばかりだから、そのほうがよいだろう。あまり大掛かりに兵を動かすと目立つし…今はまだ、敵に動きを知られたくはないしな」

「承知」

ドウリィたちは、アルフに向かって一礼した。

<8>

「アンヌ!アントワーヌ!」

自分を呼ぶ声が聞こえる。ルース陛下の声だ。精霊宮でも一番奥深い庭は淡いバラが咲き乱れ、甘い匂いが漂う。蔓バラで作った門の陰で本を読んでいたアンヌは、ちょっと躊躇し、それから本を閉じて立ち上がった。

「ルース、ここだよ」

花壇の向こう側に居たルースは、ホッとしたような顔をして微笑み、蔓バラの瀟洒な門をくぐって来た。

「アンヌ、探したよ。アルフとリィに、カシルガシェに行く許可を出したんだ。リィのほうは、一時間後には出発する。一緒に見送ろう」

「うん、いいよ」

金茶色の髪に淡い茶の瞳。怜悧なアントワーヌ皇子は、祖父のガリアはもちろん、ルースの期待を一身に背負い、国民の人気も高い。

精帝は、どちらかといえば武人としての資質を持つ者が多く、ルースのように学者のような者は歴代でも少ない。その少ない種類の精帝が、アンヌが帝位を継ぐことによって2代続く。

「アンヌ、それから…セディには謝ったの?」

全く関係の無い話題を提示され、アンヌは一瞬戸惑った。

期待を込めた優しい顔を向けられ、彼は反抗したい気分になってしまう。謝ってあるはずがない。

「まだ、謝ってない。そういえばルース、メルティギアが、また、継承権の問題を出して来たって聞いたよ」

「うん。人族には、我々の継承資格のことが理解できないようだね」

と、ルースは穏やかに肯定し、アンヌの反抗心を軽く流してしまう。

「精帝位は、血ではなくて資質で継ぐんだけどねぇ…。まあ、人族に理解が出来なくても、仕方ないね」

「…仕方ないのかな」

「わたしはそう思うね」

「…血にこだわっているのは、本当はルースたちじゃないかって思う」

「……」

ルースは、アンヌの肩に手をおいた。

「わたしはただ、君を独占したくないだけだ。罪悪感を抱えたままなんて、うんざりする」

「…」

「話を戻すけど、アルフに伝言するなりメモを託すなりして、セディに謝りなさい。今回も、君のが悪いんだから」

「…うん」

アンヌは、肯いた。

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「リィ! リィ聖総帥さま!」

アンヌは、庭からリトゥームを呼んだ。回廊を通って外庭に向かう途中のリトゥーム、そしてアルフ、ドウリィ、ラース、そして兵士たちが立ち止まる。

「聖総帥さまに内緒のお話が。こちらまで下りていらして」

リィは、アンヌの要望に応えて回廊から芝生へ、一段の段差を下りた。そして、10メートルほど離れたところに立つアンヌの前に進んだ。

「私に、何のご用でしょう? それにアンヌ様は、外庭に呼ばれておいでなのでは?」

「抜け道を行けば、リィたちより先に外庭に着く。それより、これをセディに渡して」

と、アンヌは彼に封書を渡した。

「聖総帥さまにお使いを頼んで申し訳ないのだけど、他に適任がいないので」

「いつもは、アルフ殿に頼んでおいででしょう? まさか、アルフ殿とまでケンカなされたのでは…」

「そんなことないよ。いつもは、見られても構わないことが書いてあるけど、今日はちょっと違うので」

「見られてもって…アルフはそんなこと」

「しないのは分かっている」

アンヌは、リィをやんわりと遮った。

「だけどアルフは、詮索する。何が書いてあるのか、聞いてくる。仲直りの文でなければ、渡せないと言う」

「…仲直りの文でないのなら、私だって預かりたくないですよ」

「主題は仲直りの申込みだから、安心して。でもね、他のことも書いてあるんだ」

彼は、ふふっと笑った。

「心配しなくても、大丈夫だよ。セディとは仲直りするし、リィにも心配させない」

<9>

アレンは、寝床の中で溜息をついた。

昨日、今日とセディは姿を見せなかった。ティドも、内心では気にしているようである。

ティドは、いつものように階下の酒場へ行ったきり、戻ってこない。

と、足音が聞こえてきて、扉が開いた。アルコール臭が広がる。帰ってきたティドは、ベッドの縁に座って咳をした。アレンは目を開け、彼の背中を見あげた。

「飲みすぎたな…」

水差しの水を、行儀悪くそのまま口を付けて飲み、満足げな溜息を漏らす。

「あ〜あ… 何のために、ここまで来たんだか… 予定が、すっかり狂っちまった」

…?

アレンは一瞬、起き上がろうかと考えた。予定があったなんて、聞いていない。このワラの街はとても稼げるからと言って、ティドはアレンを誘ったのだ。

「まあ、いいけどな。俺が悪いんだしさ。せいぜい、セディが楽しめばいいさ…」

よっぽど、酔いが回っているらしい。こんなに独り言を言うのも珍しい事だ。

「何考えてんだか知らんが、あいつが予言を受け入れるわけが無い…」

カタン… 小さな音がして、アレンは体を固くした。ティドの息も止まる。

「アレン」

「起きてる」

アレンは起き上がり、枕元の上着を手早く着て、荷物を背負った。ティドも、荷物を肩にかけてマントを羽織る。

ティドはアレンを壁に押し付け、窓に向かって立った。

窓から、異様なほどドロドロした気が押し寄せ、生臭ささえも漂ってくる。

今までも、幾度となく寝込みを襲われたが、これは全く違った。

殺気はないが、悪意のような、凄まじいモノを感じる。

「…」

ティドの腰の辺りで、カチンと小さな音が鳴った。

剣を鞘に止める金具が、外されたのだ。

「…」

ティドが、息を吸いあげる。

「…行くぞっ!」

彼のその声が合図のように、窓が外から割れ、何かがなだれ込んでくる。ティドとアレンはその中央を走り抜け、窓から外に飛び出した。

「先に行けっ!」

ティドがアレンの手をぐいっと引いて自分の前に連れ出す。アレンはそのまま、屋根の上を走っていった。

空には星が光っているが、とにかく寒い。吐く息は白く濁り、視界が霞む。

辺りは静かで、自分たちが走る音しかしない。

「ティド! 屋根が終わるっ!」

「飛び降りろっ!」

アレンは先に飛び降りてティドを待った。

ティドは飛び降りると、続いて飛び掛かってきた黒い物体に切りかかった。

「グウウッ!」

黒い物体はぐるっと旋回してアレンたちの行く手を阻む。そして、宙に浮いたまま大きく膨らんだ。中心に赤い光が灯り、激しく瞬く。

「…FT… 見ツケタ… 見ツケタゾ…」

「貴様、精霊狩人か」

ティドが、剣を構えたまま問う。アレンも、剣を抜いた。

「ソノ通リ… 我ガ名ハ、ぎれろおざ… めるてぃぎあ ノ 王ヨリ、FTヲ捕ラエルヨウ依頼サレタ者」

「俺たちをって… どういうことか? ご指名か?」

「ソウダ… 王ノ用ガ済ンダラ、我ガ貴様ラヲ食ウ契約ダ…」

「メルティギア王の用なんかに、心当たりはないね」

「王ニ直接、聞クガイイ」

いきなり、黒いその物体から、黒い数十本の触手が吹き出した。

「アレン! 逃げろっ!」

アレンは一歩飛びのいたが、遅かった。触手の一本が手首に絡む。彼はそれを切り落とすが、触手は次々伸びてくる。ティドにも触手がまとわりついている。

「ティドっ!」

「アレン!俺にかまってないで逃げろっ! 後から追うっ!」

「でもっ!」

「森に逃げ込んで、精帝軍につかまれっ!」

ティドは叫びながら、切りなく伸びてくる触手に向かって剣を振った。

「あとはセディが何とでもしてくれるっ!」

「だけど…」

言った瞬間にスキが生じ、触手はアレンの足首に巻きつき、彼は地面に引き倒された。

「わっ…」

「アレンっ!」

ティドが駆けつけ、アレンを飲み込もうとする触手をまとめて切りってくれる。

「…ソロソロ、飲ミ込コマセテ、貰オウカ…」

狩人の動きと瞳の点滅がぎゅっと絞られるように小さくなり、くるっと回る。が、その次の瞬間、その黒い物体は爆発するかのように膨らんで、その縁がティドとアレンに襲い掛かってきた。

「!」

ティドがアレンを突き飛ばすが、触手はティドばかりでなく逃げかけたアレンにも絡み付く。

「ティド! アレンっ!」

不意の声に、アレンが上を見ると、金色の光が突っ込んでくるところだった。

金色の光は、アレンを捕まえる触手の束を切り、狩人にも一回激しくぶつかる。

「ウオオ…」

アレンはそのまま、後ろから誰かに抱えて立たされた。漆黒のマントがふわっとかかる。

「大丈夫、暴れないで」

アレンを捕まえた人はそう言って、剣の先で、自分たちの前の地面にスッと半円を描いた。狩人が再び放った触手が、襲い掛かってくるが、剣で描かれた線まで来ると、そこから光が溢れ出し、触手が焼けて溶けていく。

「ティド!」

狩人は、ティドを放さず、引き寄せている。そこにいた金の光は、セディだった。

「セディ…」

「コイツダケデモ…グアアアアアア!!!!!」

全ての触手がティドに集まり、セディの光さえも跳ね返す。飲み込まれる寸前のティドの手を掴もうとしたセディの動きのが一瞬遅く、ティドは狩人の赤い光の中に吸い込まれ、狩人はそのまま宙に舞い上がった。

「…結界士・アルフ ノ  オ出マシカ… モウ方ホウハ、新顔ダナ… 憶エテオコウ…」

黒い球体はシュウッと音を立てて空の闇に溶けて見えなくなる。

「ティド…」

アレンは膝の力が抜け、そのまま地面に座り込んだ。