FAIRY SWORD
聖戦歴20105「先帝第2皇子」
不当に帝位を欲するのなら、もはや皇子ではない……
<4>
翌日、ティドの言ったとおりにセディはやって来た。機嫌良く、アレンの前に屈む。
「どう?売れている?」
「うん、まあまあ…」
セディの耳たぶで、ホンモノの大粒のエメラルドが揺れる。
「セディさん。いくらワラの治安がいいからって、その格好は不用心じゃない?そんな高価なのつけて、危ないよ」
「ああ、これ?」
と、彼はピアスに触れた。
「そうだね。心配してくれるなら、代りのピアスを売ってよ。これがいいかな…」
彼が売り物に伸ばした手に、小さな石屑が当てられる。アレンの後ろの、ティドだ。
セディは、ため息をついて手の甲をさすった。
「やれやれ。よっぽど嫌われているんだね。でも今日は、そんな用事で来たんじゃないんだよ。一緒にお昼食べようかと思って…。ほら、昨日のカフェテラスのとなりにあるピザ屋さん。おいしいんだよ。ご馳走するよ。3人で一緒に行こうよ」
「仕方ない。アレン、行くぞ」
ティドはよほど、セディに香炉を売りたくないらしい。かといって、野放しにするつもりもないようだった。
2人は素早く店をかたし、セディの言う店に向かって歩き出した。
「しかし、よく毎日抜け出せるものだな」
文句言うわりに、ティドは左足を引きずるセディを庇うようにして歩いている。アレンは、その2人の後ろをついていった。
「治安はいいし、飽きないし、それに、国境沿いには精帝軍が見張りに立っているからね。フリウだって、口で言うほど心配はしてないんだよ」
セディはオープンテラスの店まで案内し、席をとると適当に注文する。昼時を外れているせいか、あまり客がいない。注文したものも、すぐに出てきた。
「さ、どうぞ」
勧められ、アレンは食べはじめた。ティドとセディも、何か異国の政治的な話をしながら、食事に手をつける。
「どちらにしろ、列強の均衡が崩れてるのは確かなことだよ」
と、セディはティドに言った。
「世界規模で、天候も不安定だ。メルティギアの引き起こした今回の件も、背景には、日照り続きの不作があると思うよ」
「戦争を起こして、国民の士気を高めようと?」
と、ティド。
「たぶん、ね。第2皇子をダシに、フェーリから援助が引き出せるかもしれないし。どうせ、そんなところだよ」
他愛ない会話をしているようで、実はお互いの知っていることを探り合っているようにも感じ、アレンは心の中でため息をついた。それでも仲良くやってるし、ティドも機嫌良い。
視線を感じたのか、セディがふと、アレンのほうを向いた。
「…おいしい?」
「はっ、はいっ!とても!」
アレンが返事をすると、ティドは笑った。
「アレンは、あまり難しい話に興味はないか…。そういえばセディ、アレンが、お前に聞きたいことがあるそうだ」
「聞きたいこと?何?」
見つめられ、アレンは思わず身構えた。
「ええと…その、セディさんは、何者?」
ストレートな聞き方に、セディは、驚いたような顔をし、そして急に笑い出した。
「おもしろいね、アレンて。何者って言われてもね…ティドは教えてくれなかったの?」
「じ、自分で聞けって…」
「ああ、そう。そうなんだ?でも、ふふふ…」
セディは含み笑いをし、お茶を飲む。その隣りでティドが、呆れた顔でアレンをしげしげと眺めていた。
「な、何だよ?変なことは言ってないと思うぞ?」
「言ってはいないけど、もう少し婉曲な聞き方って、あるだろ」
「ええと…」
情けないが、これだから情報屋としての仕事を任されないのだ。それはアレンも充分承知している。
「ええと…セディさんは、軍人?それとも、ええと、情報屋?」
アレンが必死で考えた問いかけに、セディは再び含み笑った。
「私はね、『フェーン』なんだ」
「フェーン?」
「そう。詞を詠み歌う者。つまり、楽師」
「ふうん…」
納得した途端、ティドのゲンコツが頭に落とされる。
「お前なぁ、アレン…。ただの楽師が、こんな所をこんないい格好して、うろうろしているなんて、不思議だと思わないのか?」
「え?」
アレンは、笑っているセディと、渋い顔のティドを交互に見た。
「簡単に納得するなよ。府に落ちないところを突っ込んで聞き穿るのも、情報屋の大切な技能だぞ」
ティドに呆れられ、アレンは慌てた。
「え、ええと、セディさん、ただの楽師?」
「もっと、気の利いた質問の仕方って、あるだろ…」
と、ティドはため息をつく。その様子を見て、セディは楽しそうだった。
「とりあえず、ただの楽師だよ」
「でも、ただの楽師にしては、何だか随分、貴族っぽいというか、余裕があるというか…」
「これでも、ちょっと名の知れた楽師なんだ。フェーリ・ソードでは、歌詠みを『フェギ』といい、その最高位が『フェーン』。フェギの中では、フェーンだけが、精帝の寝室に出入りしたり、皇子たちのために子守り歌を謳うことが出来るんだ」
「特にセディは」
ふと、ティドが口を挟む。
「現在では唯ひとりのフェーン様だからね、本当なら、こんなところをふらふらしていられないのさ」
「でも、精帝軍と一緒にいるんでしょう?」
「まあね。遠征している精帝軍兵士を慰めるために謳うのも、私の大切な仕事だからね。どちらにしろ、カシルガシェの陣として使われている館は、私のものだし」
「陣ってことは、砦?あなたの屋敷が?」
アレンの驚いた様子に、セディはまた微笑んだ。
「砦というより、まあ、普通の屋敷だけどね。広いから、居住に適した南向きの数部屋を残して、全部精帝軍の兵士に占領されているよ。にも関わらず私が出歩くから、フリウもイライラ、イライラ…」
と、セディは悪戯げに笑う。が、ティドは聞こえよがしに息をつく。
「フリウ指揮官をイライラさせてるのは、自分だと自覚があるわけだ?」
「イライラの原因の8割は、精霊狩人じゃないのかな?もう、この街に入り込んでいるという話だから」
「精霊狩人って?昨日の話にも、出てきてたでしょう?」
アレンの問いに、セディはまた笑った。
「出てきたよ。我々精霊族を取って食う、悪食種の妖魔。妖魔は本来、人間や妖精属なんかを食べるんだけど、たまに我々精霊人を食べるのが居てね…。悪食種というんだ。だから人間は悪食種を、『精霊狩人』と呼んでるよ」
「その悪食種がここまでくるなんて、大事じゃないのか?奴等が結界を破れるとは思わないけど?」
「私だって、思わなかったよ。多分、精霊狩人を入れるために、人族の呪術士を使ったんだ。ちょっと上級の術士は、我々の結界を破るからね…」
「…何だかんだ言って、結局セディは、本当はその用でここに来たのか?」
ティドの言葉に、セディは肩を竦めた。
「それもある」
「セディさん、結界士でもあるの?」
「そうだよ。現在の精帝軍では、妖魔避けの結界を張れるのが、私ともう1人しかいないんだ。だから、本職の『フェーン』をする間もないくらいに忙しいよ」
「もう1人は、来ないのか?」
「精霊宮の結界を強化している最中だと思うよ。終われば、手伝いに来てくれるかもしれない。あまり当てにはしてないんだけど」
「あの」
と、アレンはティドの様子を伺ってから、控えめにセディに問い掛けた。
「結界って、どんなもの?俺が知っている結界って、触れるとビリッとしたりして…」
「ああ、人族の呪術士が張るのは、その手のものが多いね。そこから先に入れない。でも、我々の張る結界…特に妖魔避けの結界は、精神の糸なんだ」
「糸?」
「そう。国境に沿って自分の精神の糸を張るんだ。妖魔がその糸に触れると、張った本人がそれを感じることが出来るんだ。一度でも糸に触れれば、どこに潜り込んだのか分かる。ただ今回は、結界を破ったのが妖魔本人じゃなかったから、苦労しているんだ」
セディは息をついた。
「ふらふらしているように見られているけど、これでも妖魔がかかりそうな場所に結界張って歩いてるんだ」
「そんなの、本当は一日で済むんじゃないのか?」
「済むよ。この街はあまり広くないからね…でもまあ、見回りも兼ねてるから」
「何かあった時は助けてくれるんだろうな?」
「間に合えば、何とでもしてあげたいよ。わたしはわたしで、奴を捕まえなきゃいけないんだから」
セディの口振りからすると、それほど簡単な仕事ではないらしい。
「まあ、うまく捕まえれば、今までの不敬行為が許されるはずだからね。頑張らないと」
「不敬行為?」
アレンは思わずそのまま聞き返した。
「セディさん、貴族?」
「そう♪ 私もささやかな爵位を賜ってるよ」
「ふうん…」
大変そうだ。だが、綺麗な顔と優美な仕草は、アレンのイメージする「貴族」そのものである。どこかの国のお姫様が持っていそうな、高価で美しい、アンティーク・ドール…
アレンはふと思い立ち、再び口を開いた。
「そういえば、ODD-EYEがカシルガシェに居るって言ってたけど…。彼はもう、引退したのかと思った。ずっと、噂を聞かなかったから」
「彼は、現役だよ。精帝軍を完全に掌握しているからね…」
セディが、そう言って嘲笑のような声を漏らす。が、アレンにはもう、話を続けるネタがなかった。ティドとセディは、他愛の無い会話を始めてしまう。
アレンは、大人しく二人の雑談を聞き続けた。
<5>
カシルガシェ…クイアーナ別邸
強く冷たい風が吹いている。
「ただいま」
セディは、門を守る兵士たち数人に声をかけた。
「セディ様!」
彼らが、ぎょっとしたように振り向く。辺りはもう暗く、門の前には灯りが燈されている。
「こんな遅くまで、どちらにいらしたのです?心配しました」
「フリウ様が、お怒りです」
兵士たちは、慌ててセディを取り巻いた。
「風邪でも引けばまた、外出禁止を食らいますよ」
「そうなると、困るね」
「あまり、困っているようには見えませんが…」
彼らはまとめて、門の中へと歩いていき、そのまま続けて屋敷の中に入る。
「ふう、ここは暖かくていいね」
セディは、ストールを外して兵士に渡した。
「フリウは、どこに?」
「奥の食堂においでです。どなたか分からないのですが 、精霊宮からお忍びの客がいらしてて…」
「忍びの客…?」
「はい。そのせいもあるかもしれませんが、あまり機嫌がよくないので、お気をつけて」
兵士のその言葉に、セディは微笑んだ。
「そうしよう。まあ、昨日より悪くなりようがないと思うけどね…」
そして、息をつく。
「寒い中、私の帰りを待たせて悪かった」
「い、いえ…」
セディのねぎらいに、兵士たちが途端に恐縮してしまう。
「ご苦労だった。お前たちも、風邪引かぬよう、よく暖まるように」
「は…」
戸惑う兵士たちを残し、セディは薄暗い廊下を奥に向かって歩いていった。
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両開きの扉は天井まで3メートル近くあり、何者も阻むようにそびえている。その前にも、兵士が4人、立っている。
セディはその前で立ち止まった。
「お帰りなさいませ」と、兵士たちが敬礼をする。
「ただいま…。お忍びの客が来ていると聞いたけど…どなた?」
「我々にも、わかりません。男性と思いますが…」
と、1人が答えた。
「ただ、グランジェ様(セディの主治医)もご一緒でした。グランジェ様は、セディ様のお部屋に待機なされています」
「やれやれ、ここはパスして、先にそっちに行きたい気分だ」
セディは肩をすくめ、長い髪を整える。
「まあ、いいさ。覚悟は出来ている。開けてくれ」
重い扉が、ゆっくりと開かれる。扉が肩幅ほど開いたところで、セディは中に入った。
「ただいま、フリウ…」
言葉は途切れ、セディの後ろで扉が閉まる。
明るい広い部屋の中には、長いテーブルが縦に配置され、その右側には庭がある。が、今は警備の兵士たちが持つ灯りが、カーテンの向こうの闇の中で揺れているのが微かに見える。
そしてテーブルには、フリウ指揮官と、そしてガリアサス先帝がついていたのだった。
「遅かったな、セディ。待ちくたびれたぞ」
低い声で、ガリアサスは笑った。少しくせのある金髪をひとつに結っているせいか、顔立ちがきつく見える。12歳の孫皇子がいるにも関わらず、見かけは50歳程度である。長身で武人らしく逞しく、威圧と、安心して頼れるような安定感を備えている。
テーブルの上にはティーカップが置いてあるが、すでに空になっていた。
「何故、陛下が…」
「勝手に精霊宮を抜け出したセディに、話があるそうだ」
フリウは立ち上がり、セディの傍まで来て手を差し出す。
「食事は?」
「…いらない。適当に食べたから」
「ったく、外で食べるのは一日にせいぜい1食にしておけって言ったのに」
彼はセディの手を掴むと肩を抱き、そのまま椅子に座らせる。
「カシルガシェに来るのは構わないが、陛下の許可くらいは貰ってきてくれ」
「セディはまた、私の許可がでているって嘘をついたのか?」
ガリアサスの言葉に、セディはちらっとフリウに視線を向けた。
「…ルース陛下(現帝・ルディアス・ヴィーア)の許可はもらったと言ってましたよ」
「ルースの?」
フリウの返答にガリアサスは少し意外そうな顔をし、また微笑む。
「ルースが許可したのなら咎めるわけにもいくまい。まあよいさ。」
「よいなどと言わず、セディのこともルース陛下のことも、叱って下さい。フェーン殿にこうも出歩かれては、皆、困るでしょうに」
「困っている皆を、アルフ(副司令官)が適当になだめているさ。アルフは、セディに甘いのだからね」
「やれやれ…」
ため息をつき、フリウはセディを見た。
「陛下は、セディの部屋にご案内したほうがいい。そのほうがゆっくり説教してもらえるぞ」
「…」
セディは軽く肯く。
「説教するばかりでなく、フェーン殿の歌声も聞きたいのだ。ここしばらく、歌ってもらってないからな」
と、ガリアサスは立ち上がり、フードの付いたマントを羽織った。
「では、案内します」
セディも立ち上がり、彼は入ってきたところの扉を開けさせるため、外の兵士たちに向かってノックしたのだった。
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瀟洒な柱の並ぶ廊下の突き当たりには厚い扉があり、そこから先はセディの許可した者しか入れない。
この館の3分の2が精帝軍の陣として利用されるというのは、代々の館主と代々の精帝が結んできた契約だった。
セディ以前の館主たちは、軍の布陣であることの騒々しさを嫌ってあまり寄り付かなかったが、それでもこの館は、献上されることも取り引きされることも無く、精帝家の外戚であるクイアーナ家が相続してきた。
それはこの領地が、豊かであることが最大の理由である。そして現在のクイアーナ公は、この豊かな領地を、義弟のセディに惜しげも無く与えてしまったのだった。
セディは扉を開け、中にガリアサスを入れた。
「おかえり、セディ。おや、陛下。まだ正体を隠してるんですか?」
出迎えたのは、グランジェ医師だった。ふわふわした金髪をかき揚げ、優しげな笑みを浮かべる。
「こういう時期だからな。ま、用心するに越したことはあるまい」
と、ガリアサスはフードを取った。
「一番安全な所に、いらっしゃるのにね」
と、グランジェは、身動きしないで立っているセディに近寄り、その腕に触れた。
「外は寒かったのでは?遅くまで遊びまわって…。遊びまわるのはいいとしても、皆に心配させるのはいけないね。薬を、一つだけ飲んでおいて。僕は、セディと陛下との話が終わった頃に、また来るからね」
彼はゼリー菓子のようなオレンジ色した半透明の、四角い薬をセディの手の上に載せた。
「では陛下、お手柔らかに」
グランジェは、医師の印である長い青いローブの裾を翻し、そのまま部屋から出ていってしまう。扉が閉まるとセディは、部屋の真ん中にある小さなテーブルに赴き、その上の小さな陶器の薬皿に、ゼリーのような薬を置いた。
「陛下は私に、何のご用だったのです?」
彼は、ベッドの上に置いてあった一抱えもある半円の竪琴を手にとり、何本かの弦を弾いた。
「陛下自ら、私を連れ戻しに来たわけではないのでしょう?」
「連れ戻すかどうかは、返事にもよるが…。とりあえずは、どういうつもりで精霊宮を抜け出したのか、直接お前に問いただそうと思っただけだ。フリウの話によれば、ルースが許可したとのこと…」
ガリアサスは、自分に背を向けているセディに近寄った。
「セデイ、ルースに何を言った?」
「何も」
「では、質問を変えよう。精霊宮を抜け出したのは、いつもの通り、ルースの手引きであろう?ルースに、何を頼まれた?」
「頼まれ事など…」
「……なぜ、そんなに怯える?」
「別に、陛下に怯えてなどは」
振り返らないが、肩が微かに震えている。ガリアサスは、自分より少し背の高いセディの肩に手を置き、その耳たぶに口を寄せた。
「これ以上意地悪な質問をしたら、嫌われそうだな。いや、もう相当嫌われているか…」
と、ガリアサスはセディの長い茶色掛かった金色の髪を、指に絡ませた。
「ルースは、こう言ったはずた。『先帝第2皇子を殺せ』」
「!」
ギョッとしたように振り返るセディを、ガリアサスは力任せに突き飛ばし、ベッドの上に押し倒した。彼の隣りに投げ出された琴が、クッションにあたって弱々しく弦を鳴らす。
「ルースは第2皇子を殺せと言ったのであって、FTと遊んでこいとは言わなかったはずだ。大方、私がFTの捕獲をフリウに命じたことを察知して、先回りする気になったのだろう?ルースを焚き付け、自分を精霊宮から出すようにそそのかし、その命令と手引きを利用して…」
首を締め付けるガリアサスの腕を掴み、セディは苦しげに喘いだ。
「ずるい奴だ。自分のわがままを通すためなら、精帝たるルースさえ利用する。まあ、ルースは特に、お前に甘いがね」
「…」
「そうやって絶大な権力を振るうのは、どんな気分だ?」
ガリアサスは、低く笑ってセディの上から退いた。セディは寝返りをうち、咳き込む。
「よいか、セディ。お前はルースに命じられたとおり、第2皇子を名乗るその者を殺せ。うまくいけば、FTのことは好きにさせよう。フリウとて、お前の命であることなら、FT捕獲が出来なくとも私への面目は保てるだろうさ」
「……」
「では、何曲か聴かせてもらおうか、フェーン殿」
ガリアサスは、そう言って椅子に座った。
<6>
ガリアサスが部屋から出て行くと、セディはため息をつき、ふと鏡のほうを向いた。自分が映っている。
「…あ〜あ。喉に指の跡がついてる…」
白い細い首に残った赤い跡を、セディは指でなぞった。
「甘いのは、ガリアサス陛下も同じなのにね…。私が、何のためにティドと…FTと遊んでいると思ってるのかな? 私的な憎悪で動くほど、単純ではないのだが…。まあいい。そう思われているほうが動きやすかろう」
彼は、微笑んだ。
「精帝位はいらないが…それに優る権力は、ぜひとも掌中に納めたい。誰にも邪魔はさせない。ルース陛下だろうが、FTだろうが…利用し尽くしてやる」
そして、鏡の自分を一瞥して、グランジェに渡された薬をつまんだ。
「フェーリ・ソードを滅ぼすその瞬間まで、いい子のふりをしているさ」
薬を口に入れ、ガラスの呼び鈴を鳴らす。一分もしないうちに、グランジェがノックをして入ってくる。
「陛下の話は済んだようだね。扉からセディの歌声が少し漏れてきてたから、聴かせてもらったよ」
「グランの為にだって、歌ってあげるよ?」
「自分の為になんて、誕生日とか口実でもないと、恐れ多くて歌ってもらえないよ」
「構わないのに」
と、セディはグランの傍に寄った。
「それよりも…」
「だめだよ。お願い事なら、夕ご飯のあと」
「食事は適当に外で取ったって言ったじゃない」
「また、そうやって嘘をつく。フリウに、外食はせいぜい一日一食にするように言われてるのに、セディがそれを無視するとは思えないな。本当は、ガリア陛下のお顔を見て、食欲失せただけじゃないのか?」
呆気に取られたような顔をして聞いていたセディは、ふと笑い出した。
「グランは、分かってくれてるから好きだよ。お務めも済んだし、お腹空いたな。グランが一緒に付き合ってくれるなら、食事するよ」
「実は、僕もまだ食べてないんだ。用意させよう」
グランが呼び鈴を振ると、メイドたちが食事を運んでくる。セディは、食事の用意がされるテーブルとは反対側の窓際まで、グランジェを引っ張った。
「今度一緒に、市に行こうよ。おもしろいよ。案内してあげる」
「それはいいが…せめて明日明後日くらいは、屋敷で大人しくしておいで。フリウだって本当は、セディにここに居て欲しいんだから」
「……でも、つまらないもの。フリウもみんなも、忙しそうだし」
そこまで言って、セディは考え直したように顔を上げた。
「でも、グランがいるものね。グランはいつまでここにいるの?」
「とりあえず、今回の件が片付くまで居る予定だよ。結界張りは神経を使うから、セディのこと心配していたんだ。僕が何でも言うことを聞いてあげるから、2日間くらいは屋敷にいてくれないか?」
「何でも…?ふふ…残念だなあ、グラン。もっと早く、そう言ってくれれば良かったのに」
「何のこと?お願い事は、チェスの相手じゃないのか?」
「今回はもっと別のことを頼もうと思ったんだけど…。いいや、もう、手は打ったからね」
「?」
セディは、はぐらかすように微笑んだ。
「…チェスはね、フリウは弱くて、ぜんぜん相手にならないんだ。何か賭けよう」
「明日は、お菓子がいっぱいあると思うよ。村の子供たちから、療養中のフェーン様に宛てて蜂蜜だの木苺だのの差し入れがあったそうだし、僕も、こちらでは手に入らないお菓子を宮から運ばせたよ」
「じゃあ、決まり。明日は賭けチェスしよう。お菓子をかけてね…一日中。」
彼は、甘えるようにしてグランジェの腕に抱き付いたのだった。
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