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情報ノート 「インド仏跡旅行」

  1. 仏教8大聖地
  2. サンチー
  3. 仏教石窟群
  4. アショカ王
  5. 釈迦十大弟子

お薦め本「前田行貴著 インド仏跡巡礼
遺跡毎の地図は、その辺のガイドブックに追従を許さないレベル。 写真は少ないが、遺跡の解説や周辺情報の充実。


  1. 仏教8大聖地
  2. ★印は仏教4大聖地です。写真のページ「インド仏跡巡礼」を用意しています。
    生誕の地
    ルンビニ(藍毘尼)

    ルンビニ公園の地図

    ネパール国内。インドネパール国境の町スナウリから30Km。
    マーヤ夫人は晩年になって「天上界の満月から白象が降りてき、右の脇下から胎内に入る」霊夢を見て懐妊された。出産のため里帰り途中のルンビニ園で沐浴後、北方へ20歩あまり歩き、真っ赤な無憂樹(マメ科)の花に右手を触れた時に釈尊が生誕(BC563頃)された。
    降魔成道の地
    ブッダガヤ(仏陀伽邪) ビハール州ガヤー市南方13Km。
    初転法輪の地
    サールナート(サルナート、鹿野苑) バラナシ東方10Km。
    ブッダガヤでの成道後、最初の説法(初転法輪)をかつての修行仲間(5名)に対して行われた地。
    涅槃の地
    クシナガール(クシナガラ) バラナシ〜ゴーラクプルまで北東220Km。 ゴーラクプル〜クシナガールまで東方50Km。
    酔象調伏の地 ラージギル
    古名:ラージャグリハ
    (王舎城)
    ブッダガヤ東北81Km。パトナ東南103Km。
    マガダ王国の首都。釈尊時代にもっとも勢力を拡大し、仏教を保護。釈尊は成道前にここで修行しヨーガ行法の真髄を極められた。成道後は南の伝導の中心地となった。仏教最初の寺院建築である竹林精舎(ヴェーヌヴァナ・ビハーラ)跡がある。 第1回仏典結集(BC477頃)の地。
    猿王奉蜜の地 ヴァイシャーリー
    (毘舎離城)
    パトナ市北東80Km。
    ヴァッジ国の首都。太子時代過ごされたカピラヴァストゥ城(釈迦族の首都)出城後、最初にこの地で修行を行われ欲望超越の道を究められた。成道後もしばしば訪れ「宝経」「維摩経」を説かれた。釈尊80才の最後の雨安居(うあんご)の地。第2回仏典結集(BC377頃)の地。
    ジャイナ教開祖マハーヴィーラ(BC551頃-BC479頃)の出生地。
    神変(奇跡)の地 サヘート(祇園精舎)
    マヘート(舎衛城)
    古名:シュラーヴァスティー
    ゴーラクプル〜サヘートまで約150Km
    サヘート(祇園精舎)は、北の伝導の中心地。阿弥陀経を始め多くの説法をされたところ。釈尊は祇園精舎の香室ガンダ・クティより昇天され、天上界での3ヶ月の説法教化を行われた。
    京都の祇園祭は、マヘート(舎衛城)の牛頭天王:ごずてんのう(疫病の神)に由来する。
    三道宝階
     降下の地
    サンカーシャ アグラから160Km
    釈尊の生誕後1週間目に昇天されたマーヤーのために、祇園精舎の香室から天上界に登られ、三ヶ月にわたりマーヤーおよび天人達に説法された後、降下されたと伝えられる地。

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  3. サンチー
  4.  マディヤプラデーシ州都ボパール市から67Km。
     アショカ王がプリンスの時に任地に赴く途中、サンチーで休息し商家の娘を見そめ結婚。 アショカ王の王子マヘンドと王女サンガミットラの生誕地。 後にアショカ王の命によりサンチーに精舎が建設された。三基のストゥーパが現存し、ストゥーパ周囲には塔門(トーラナ:日本の鳥居の原型)や欄楯(らんじゅん:石製の垣根)も残っている。 最大の第一塔のレリーフは、インド仏教美術を代表するものである。
    ★写真のページ「インド仏跡巡礼」を用意しています。

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  5. 仏教石窟寺院群
  6. ★★印は写真のページ「インド石窟巡り」を用意しています。

    アジャンタ石窟(Ajanta) ★★
    オーランガバードの北106Km。第9窟が最古で紀元前2世紀に開窟。第8〜13窟が紀元前2世紀〜後1世紀に成立、その他の窟は5〜7世紀に成立。第9、10、19、26窟は内部にストゥーパ(仏塔)を持つチャイトヤ(礼拝堂)窟。その他の窟は、僧侶の修行のためのヴィハーラ(僧院)窟。

    エローラ石窟(Ellora) ★★
    オーランガバードの西北29Km。合計34窟の石窟がある。第1〜12窟までが仏教窟で5〜7世紀に成立。第13〜29窟までがヒンドゥ教窟で7〜10世紀に成立。第30〜34窟までがジャイナ教窟で8〜10世紀に成立。第10と12窟が有名。第10窟はエローラ唯一のチャイトヤ窟、第12窟はベランダ付き三階建てのヴィハーラ窟。

    オーランガバード石窟(Aurangabad) ★★
    オーランガバード市街地の北方3Km。9つの石窟から構成され、1〜7世紀のもので、2群に別れている。第1群は2004年夏現在拝観中止。

    ピタルコーラ石窟(Pitalkhora)
    エローラから南西約30Km。12の石窟があり、4つのチャイトヤ窟と8つのヴィハーラ窟で構成されている。紀元前1世紀から開窟。

    バジャー石窟(Bhaja) ★★
    ムンバイからプネー(Pune)の途中駅マラヴァリ駅から1.5Km南。カルーラ石窟の近く。18の石窟があり、紀元前2〜1世紀に成立。第12窟は馬蹄形のチャイトヤ窟であり、27本の石柱に支えられたチーク材のたる垂木が残っている。

    カルーラ石窟(Karla) ★★
    ムンバイからプネー(Pune)の途中駅ロナバラ(Lonavala)駅から東北12Km・バジャー石窟の近く。紀元前1世紀〜紀元1世紀に掘られたチャイトヤ窟は、インド最大でかつ保存状態も良い。

    ベドゥーサ石窟(Bedsa)
    ロナバラ(Lonavala)駅から東に2駅目のカムシェット駅から南に6Km。チャイトヤ窟とヴィハーラ窟が各々1つ。紀元前2世紀〜紀元1世紀に成立。

    テルバイラー石窟(Telvaira)
    ロナバラ(Lonavala)駅から南39Kmの西ガーツ山脈に岩壁地帯。小規模だが17つの石窟がある。バジャー石窟より更に古く、紀元前2世紀に成立。

    カンヘリー石窟(Kanheri) ★★
    ムンバイ市から北へ42Kmの国立公園内。大小さまざまなチャイトヤ窟・仏殿・僧坊・講堂など109窟。2〜9世紀に成立。最古のものは、第三窟のチャイトヤ窟でカルーラ石窟のチャイトヤ窟を模したもの。

    ナーシク石窟(Nasik)
    ムンバイから北に約150Km。ムンバイ−カルカッタ線のナシーク駅から南西8Km。23の石窟があり、紀元前1世紀〜後2世紀に成立し、6〜7世紀に手を加えられた窟院もある。最も古いのが、第18窟のチャイトヤ窟。

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  7. アショカ王
  8. アショーカ・ピラー 鉄柱 アショカ王(アショーカ王、A-soka)は、マウリヤ朝の第3代の王。漢訳では阿育王と書かれる。生没年は不明。在位は紀元前268年-232年とされる。インド亜大陸をほぼ統一。釈尊滅後およそ100年(または200年)に現れたアショカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られる。伝説では、アショーカ王の通った所は、すべて焼き払われ草木が一本も生えていない、といわれるほどの暴君だったが、あまりにも無残な戦争(カリンガ王国征服)を反省し仏教に深く帰依したとされる。さらに仏教だけではなく、広くさまざまな宗教を保護したことがわかっている。学問的にはアショカ王が暴君だったという歴史的資料は見つかっていない。暴君伝説は、後の世の創作と考えられている。アショーカ王は、第三回仏典結集を行なった。またギリシャやセイロン(現在のスリランカ)など各地に仏教僧を派遣したことでも知られる。
     アショーカ・ピラー(アショーカ王の柱、石柱とは異なる)。インドのデリー郊外(クトゥブ・ミナール)にある錆びない鉄柱で、紀元415年に建造された。 古代に建造された鉄の柱が、1500年以上の間、まったく錆びないため、オーパーツとして注目されている。時代的に見て、アショーカ王が建造したものでは無いが、一般にアショーカ・ピラーと呼ばれている。

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  9. 釈迦十大弟子
  10. 舎利弗
    (しゃりほつ)
    パーリ語で
    サーリプッタ(saariputta)
    舎利子とも書く。智慧第一。 『般若心経 』では仏の説法の相手として登場。
    摩訶目ケン連
    (まかもっけんれん)
    パーリ語で
    マハーモッガラーナ
    (mahaamoggallaana)
    一般に目連と呼ばれ、神通第一。舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会 』(うらぼんえ)の起源だと中国仏教ではしている。
    摩訶迦葉
    (まかかしょう)
    パーリ語で
    マハーカッサパ
    (Mahaakassapa)
    サンスクリット語で
    マハーカーシャパ
    頭陀(ずだ) 第一。釈迦の死後その教団を統率し、500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集し(第一結集)、付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第一祖となった。
    須菩提 (しゅぼだい) サンスクリット語で
    スブーティ(Subhuuti)
    解空第一。空を説く大乗経典にしばしば登場する。西遊記では、なぜか孫悟空の師匠として登場している。
    富楼那弥多羅尼子 (ふるなみたらにし) サンスクリット語で
    プールナマイトラーヤニープトラ
    (puurNamaitraayaniiputra)
    略称として「富楼那」。説法第一。
    摩訶迦旃延
    (まかかせんねん)
    パーリ語で
    マハーカッチャーナ
    (mahaakaccaana)
    論議第一。辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。
    阿那律
    (あなりつ)
    サンスクリット語で
    アニルッダ
    (aniruddha)
    天眼第一。釈迦の従弟で阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。
    優波離
    (うぱり)
    サンスクリット語で
    ウパーリ
    (upaali)
    持律第一。もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。第一結集においては、彼の記憶に基づいて戒律が編纂された。
    羅ゴ羅
    (らごら)
    サンスクリット語で
    ラーフラ
    (raahula)
    羅云とも書かれる。密行第一。釈迦の息子。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧)となる。そこから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と言う。
    阿難
    (あなん)
    サンスクリット語で
    アーナンダ
    (aananda)
    多聞第一。釈迦の従弟。阿難陀とも書く。nandaは歓喜という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の世話をした。第一結集のとき、彼の記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。

     

     
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