向かう道は違っても・・・

お守りだよと あなたがくれた 魔法のリングにキスをして・・・

「おーい、そっちじゃないって!」「右だ右だ、引っ張れ!」「オーライオーライ、そのまま!」
 森に、ボスコクルーの声が響き渡ります。四方から引っ張られた森の枝葉が、ボスコ号の上をすっかり覆い隠していきます。上からフードマン達に見つかっては困るのです。
せっかくの休息を邪魔されたくはありません。
 枝葉に隠されたボスコ号は、木々の中で自然に隠れる形となりました。
 最後にタッティが、周りを丹念に見て回り、言い放ちました。
「よーし!作業終了だ!」
「あーあ・・・休息の度にこれじゃたまんないなぁ・・・」
「のどかわいたなぁ・・・」
  その言葉を契機に、森の土にへたり込むフローク、オッター。
 頬に触れる土の温もりと匂いがささやかな癒しです。おまけに涼しいそよ風が、木々の匂いと鳥のさえずりを運んできてくれました。
白い白樺の樹の幹。目にも鮮やかな緑の葉。温かい土。そして木々のすぐ上に、真っ青な晴れた空。降り注ぐ木漏れ日がたまらなく優しいのです。
「お待たせ!アプリ特製レモネードよ。よく冷えてるからね。」
 ボスコ号の中から、アプリコットがレモネード入りのグラスを盆に載せ小走りに駆けてきました。たまに転んで台無しにしてしまいますが・・・
「アプリ・・・たまには枝張り、手伝ってよ!」
「なぁに?フォンテーンランド王国の王女様に、こんな仕事をやらせるつもり?」
「やれやれ・・・都合のいい時だけお姫様だよ・・・」
「オッター、何か言った?」「いえいえ、何でもございません、お姫様!」
「じゃ、オッターにはレモネードあげない!」
「わー、勘弁してよ!のどがかわいてひっつきそうなんだよぉ!」
「フローク!」 
そよ風も鳥もけし飛ぶだみ声がボスコ号から響きました。4人は肩を竦め合うばかり。
「何だい、エンダー。枝張りならとっくに終わったよ。」
「いつまでここに留まるつもりじゃ?それと補給はこの辺でできるのか?」
「ここから少し離れているけど、小さい村があるみたいだから、少し分けて貰えばいいさ。」
 いつの間に調べたのか、当たり前のようにタッティが答えました。
 でもエンダーは、その答えでは満足できない様子です。
「こうやっていちいち降りているだけでも大変な時間の無駄じゃわい!もっと一気に補給できんのか?」
 だったらエンダーも、少しは手伝えば?
 何も手伝わずに、とんだ老害だぜ、ホント・・・
 やれやれ・・・この爺さんと話せば話す程、無理が山積みするよ・・・
「積める量は限られてるんだよ。それに村の人に無理に分けて貰ってるんだ。それだけで ももっと感謝しなきゃ。」
「ダメダメ!総理大臣閣下に、そんな言葉は分からないって!」
「当たり前じゃ!我々の任務を理解できれば協力するのが当たり前じゃ!」
 フォンテーンランドのたった一つの欠点は、こんな爺さんが総理大臣ってことだな・・
 4人は内心、納得して頷き合いました。と、いつもならここで終わるはずなのですが・・・
「とにかくお前達3人で、貰えるだけその村で貰ってくるんじゃ。分かったら早く行け!」
 有無を言わせない調子で、エンダーは勝手に決めつけました。4人の溜息程度では翻りそうにありません。
「わたしも行くから4人よ。いこ!」
 頑固爺さんに付き合ってられない・・・と背を向けかけたアプリコットの手を、エンダーが引き留めました。
 いつもにないこと。引き留めた手の思いがけない強さに、アプリコットが?と怪訝そうに向き直りました。
「いいよ、分かったよ。行きゃいいんだろ、行きゃ!」
やけくそ気味に叫んだタッティ達に、その意味は伝わらなかったようです。
 やがて3人は、リヤカーを組み立て、タッティの言う村へ向かいました。
あとに残ったアプリコットとエンダー。
「・・・何かあるの?」
 察しのいい彼女が尋ねました。
「王女様にお話しておきたいことがあります。中へ。」
 意を決して切り出したエンダーに、先程までの頑固爺さんの面持ちはありません。
 ボスコ号の中に向かい出したエンダーの背に、少し迷いがたゆたっています。その意味を量りかねるアプリコットもエンダーに付いていく他ありません。
 どこかで、鳥の群が騒がしく飛び立ちました。

特に予定にない補給行動に不満たらたらのフローク達も、必要なものだけはしっかり確保して、情報も交換して、2時間程で村を離れました。村の人々の好意が救いでした。
 ただ彼らの計算になかったのは、ここがフォンテーンランドに程近い村だったこと。
これがやがて騒動に繋がるのは、彼らの知る由もありません。

ガチャンと、フローク達が飲んでいたレモネードのグラスと盆が、二人の床でぶつかり散らばりました。落とした当のアプリコットも足に当たったエンダーも、身じろぎ一つ しようとしません。
 二人の頭上で、夕刻を知らせる鳩時計がいつになく滑稽に鳴り出しました。その声でハッと我に返ったアプリコットの足にマグカップが当たって、やっと彼女は意識の断層から返ったようです。
「ウソ!エンダーったら、いつもしぶい顔してるのに、こういう時だけそんな悪い冗談はやめてよね。」
 何事もなかったようにグラスを拾い片づけ始めるアプリコットに、エンダーはなおも重ねて告げ足します。彼女に、自分自身に、その事実を言い聞かせるように。
「アプリコット様には・・・血のつながらない姉君がおります。それが・・・あの・・・」
「ダミアが・・・?ウソなんでしょ、エンダー?」
台所に立ったアプリコットの手から、マグカップと盆がゴトゴトとこぼれ落ちました。
 エンダーも、自らがかけた言葉ながら、どういう言葉で彼女に話しかければいいのか立ち尽くすばかり。それが、何よりの真実の証でした。
でもそうであればある程、受け入れられるはずがありません。それ以前に、考えられない話です。
「ウソ・・・どう信じるっていうの?ダミアは私たちを捕まえたいだけの、ただの敵でし ょ?今までだって、さんざんしつこく私たちを捕まえようとしてきたじゃない?どんなひどい手を使っても。私たちをおびき寄せるために村を一つ焼き出した事、エンダーも覚えてるでしょ?私たちを捕まえるためだけに・・・許せない。」 
そこにダミアがいるかのように、一点を見据えるアプリコット。
「でも、ここにいるみんなが一緒なら、誰にも負けない。きっと私は、追い出された所に戻るつもり。だから、力を貸してね、エンダー。」
 そこで、アプリコットは話を終えるつもりだったのですが・・・
「お聴き下さい。ダミアをそういう風にしたのは、このエンダーにも責任があるのです。 女王陛下の家臣だった我々に。」
そう話すエンダーは、何と切なく辛そうにしているのでしょう。ダミアと、彼女に関わった全ての人のために、何が何でも話すつもりのようです。さもなければ、彼自身、居た堪れないかのようです。
 為す術もなく、茫然とアプリコットは椅子に沈みました。
 そしてエンダーは話し始めました。
 ダミアが、亡き父王の母違いの娘だったこと。元々暴れ者だった彼女は宮廷に馴染めず、妹アプリコットとはほぼ隔離されて育てられた事。父王亡き後、アプリコットの母の庇う心も空しく、エンダーも含めた他の家臣からますます疎んじられていたこと。そして狭い宮廷の中で追い詰められ、15歳のある日突然姿を消したこと。アプリコットの母が、彼女を庇いきれなかったことを最後まで後悔していたこと。一方、元より人の裏を読み裏を取る事に長けたダミアは彼女に忠実な部下を引き連れ、俊敏な盗賊の頭として各地を荒らし回り、より多くの部下と財を成したこと。そして・・・運命のスコーピオンとの出会い。

 エンダーの話を聞くアプリコットは、次々と飛び出す事実に、声も出ません。話すエンダーも、時折言葉を途切れさせ、黙り込んでしまいます。彼なりの後悔を、アプリコットは痛いくらいに感じ取りました。
 そしてようやく、エンダーが話し終えた時には、外は夕日が黄昏れる頃となっていました。
 そのまま、時間と夕闇ばかりが二人を取り残していきます。お互いが、お互いにかける言葉を知らないままに。アプリコットもエンダーも身じろぎ一つせず手元の一点を凝視するばかり。
 いつしか、空がずいぶん暗くなっていた事に初めて気付いたアプリコットが、やっとランプに灯を入れました。それでエンダーもようやく、沈黙の呪縛から解き放たれたようにアプリコットを見ます。
「もうこんなに暗いじゃない?じっとしてたら喉かわいちゃった。エンダーも何か飲む?」「・・・お茶を頂けますか。」 
台所に立ったアプリコットの後ろ姿を、不安やら戸惑いやらが入り混じった目でエンダーが見守っています。
紅茶を入れながら、アプリコットが口を開き始めました。
「・・・いつだったかな・・・私にも妹かお姉さんがいてくれたらって事、エンダーに話したことがあったよね・・・」
「ああ・・・ありましたな。しっかり覚えておりますぞ。」
「だからって、何で今頃そんな事、この場で私に教えるの?ダミアが私のお姉さん?ふざけないで!そんな事なら教えてくれない方がよかった!知りたくなかった!」
 バンッとテーブルを叩いて、アプリコットは頭を抱えて突っ伏してしまいました。
「そうはいきませぬ!」「何で!?」
「これを伝えることが、女王陛下のお望みだったのです!」
 椅子を蹴って立ち上がり叫んだエンダーが、ドッと涙を溢れさせました。
「・・・ママが?」
 仰ぎ見たアプリコットの瞳にも、見る間に涙が零れそうになります。
 エンダーは彼女の手を取り、絞るように伝えようとします。彼の記憶の底に息づく、か弱く強いメッセージを、一つ、一つ。
「一国の女王は、全てを受け入れる覚悟がなければ・・・
 私の娘はまだ未熟でわがままだけど、いつかそれだけの器量を解って欲しい、持って欲しい。あの娘の心は素直でまっすぐだから、私は信じている・・・エンダーが思うよりあの娘は強いかもしれない、親バカかしら、ね・・・
 常々おっしゃっておいででした。」
 エンダーを見上げるアプリコットの瞳は、エンダーの瞳の奥にいる温かさを求めているようです。受けるエンダーの目にも、その温かさが宿ってアプリコットをじっと見つめています。
 図らずも別れた母と娘は、確かにこの瞬間、再会を果たしたのです。
 やがて涙を手で拭い、アプリコットは姿勢を改めました。
「・・・敵のダミアも、受け入れろって言うの?」
「悔い改める者に、敵も味方もござらん。」
「ダミアが悔い改めるの?」
「それ以上に、我々自身、ダミアを受け容れる勇気が必要なのです。」
でもすぐに、こう付け加える事も忘れるエンダーではありません。
「ですが、王女様に手を出すつもりならこのエンダー、黙ってはおりませんぞ?この剣に懸けて、生命を懸けてお守り申し上げまする。女王陛下、そして王女様第一の騎士であるこのエンダーが!」
そして誇らしげに、腰の剣を一叩きします。
 ふっと、笑みを漏らすアプリコット。少しだけ、彼女は思いました。
エンダーがこの国の総理大臣でよかった・・・
 と、その時です。
 突然、外でゴトッと物音がしました。弾かれたように扉に振り向く二人。
 エンダーがアプリコットを制して、扉に近づき、勢いよく開け放ちました。
驚いて飛び後るオッター達でした。ようやく補給から帰った所のようです。背後には、リヤカー一杯の品物が。予想外の戦果のようですが、あいにくそれが喜ばれるタイミングではなかったようです。
「お前達・・・今の話を聞いておったのか?」
 盗み聞きされた怒りを狼狽が圧した表情で、エンダーが尋ねました。
「いやぁ・・・聴く気はなかったんだけど、つい入りづらくて・・・」
 エヘヘと言い訳しようとするオッターを置いて、フロークはアプリコットにきっぱり言いました。
「アプリ・・・ダミアを受け容れてあげよう。」
 背後のエンダー、アプリコットは元より、タッティ、オッターもその言葉にギョッとしました。
「受け容れるって・・・ オレ達の仲間にってことか?」「無茶だよ!できっこない!」
「人事だと思って、簡単に言ってくれおる・・・」
「人事なんかじゃない!」
「人事じゃ!ある日いきなり、敵だった者が姉だったと告げられたアプリコット様を察してみよ!」
「誰がそうさせたんだよ、え!?」「無礼者!誰に口を聞いておるんじゃ!」
「あんただよ、爺さん!悪いけど、今日は引き下がらないぜ!」
「まぁまぁみんな、もう少し落ち着いて・・・」「これが落ち着いていられるかよ!?」
「やめて!!!」
 体全体から発したアプリコットの叫びが、不協和音の嵐を跡形もなく吹き飛ばしました。「・・・私の事で、これ以上もめないで・・・」
俯いてポツリと言った彼女の言葉が、とどめをさしました。
 そして彼女は、扉に向かいました。
「何処に行くんだい?」
 思わず、フロークが尋ねます。
「心配しないで、出て行くんじゃない・・・水を浴びてくるだけ。少し頭を冷やさないと、 ね。」
私、もうそんなに弱くない。私もう、逃げない。
 振り返りフッと笑った彼女がこれまでになく寂しげでした。
 彼女の姿が扉の向こうに消え、エンダーが呟いた言葉に、一同は言葉を失いました。
「これを告げたわしも辛いが、一番辛いのは王女様。いきなりこんな事実を突きつけられ、すぐに受け入れられないのは当然じゃ。じゃがアプリコット様を思うなら、試練だと思うて見守り続けるしかないんじゃ・・・」

 それから1日が過ぎ、2日が過ぎました。4人はボスコ号の補修、燃料の薪木の確保、近くの探検等々、余念がありません。アプリコットの心中を推し量って、敢えてここでの休息を長めに取ることにしたのです。いつもは針のように小うるさいエンダーも、敢えて何も言いません。
森へ遊びに行く時も、旅の準備をこなす時も、食事の時も、アプリコットは普段通りに振る舞っているつもりなのでしょうが、フロークには分かっていました。
 ほんの刹那、ふっと出てくる彼女の物思い顔を。
その日の真夜中、森に一人散歩に出ていったアプリコット。翌朝、心配したエンダーが彼女を叱っているのをなだめるくらいしかできない自分が、どうにももどかしくて仕方ないのです。そしていつもなら文句の一つも言い返すアプリコットが、心ここにあらずで聞き流している様子も気に掛かります。

 そして2日目の夜。
 ざわざわと鳴る森の中を、一人とぼとぼ歩くアプリコット。夜空に照る白い月だけが、心配そうに彼女を追い掛けます。
 この2日ほど、ダミアという人のことを考えてみました。
 幾ら思いだしてみても、ダミアのことが思い出せません。彼女の行く手を遮る、狡猾で容赦なく追い詰めるダミアの姿しか浮かんでこないのです。
 そして今もどこかで、自分を何とか捕らえようと画策しているに違いないのです。
「無理よ・・・ママにできなかったことが、私にできる訳ないじゃない・・・?」
力無く呟くアプリコット。近くの木の幹に、寄りかかって座り込みます。
 見上げると、ざわざわと風にそよぐ銀色の緑の真ん中の向こうで、満天の星空が瞬いています。白く小さく輝く星星の一つ一つが、彼女を励ますように瞬くのでした。
「ママ・・・会いたい・・・。」
 ぽつりと呟いて、突っ伏してしまいます。
そのまま、数分が経ち、束の間の時が経ちました。
 しばらくして、彼女の耳に、微かですがさらさらと音が聞こえました。風の間に間に、微かに途切れつつ聞こえてきます。
 おもむろに彼女は立ち上がり、そこに救いがあるかのように、音のする方向に向かいます。
しばらく歩くと、木々の並びが途切れ、不意に眼下に小川が現れました。水深3,4bくらいでしょうか。月の光に照らされ、深く澄んだ藍色の流れを彼女に見せていました。
 そこへ不意に風が吹き、彼女の足下の枯れ葉がパッと川に舞い散りました。
 その瞬間。一つだけ、記憶が彼女の中で輝きました。
 幼い頃の夕暮れ時。宮殿の堀端で遊んでいたアプリコットのマリが、堀に落ちそうになった時、どこからか走ってきてそのマリを拾ってくれた女の子。拾ったマリを手渡し、やんちゃそうな笑顔で彼女の手を取り、一緒にどこかへ行こうとした時、怖い顔をしたおじさんがアプリコットの手を引き、どこかへ連れ去る。後に残されたのは、寂しそうに見送る女の子の立ち尽くす姿・・・。
「あの時・・・あの女の子が・・・ダミアだったのかな?」
 呟いたアプリコット。今となっては答えはありません。
 ふと、眼下の流れを見下ろすアプリコット。
全てをかなぐり捨て、飛び込んでみたい衝動にふと駆られました。危険な高さや深さではありません。
 着ている衣服を脱ぎ出します。
さらっ・・・と、青いスカートが地面に舞い落ちました。
 小川の傍らに生まれたままの姿で立つアプリコット。自分の裸身をじっと見つめる。
白く、透き通るような肌。手。
ふっくらと、若い果実のつぼみのようにふくらんだ胸。
しなやかに土に伸びる脚。
私、この体・・・ママが産んで、育ててくれたんだよね・・・
「教えてよママ・・・どうすればいいの?」 
 呟くと、やにわに小川に飛び込みます。
 一瞬の騒音の後の静寂。頬を、髪を、全身を撫でる水の心地よさ。瞳を閉じ、生まれる前のように丸くなると、いつだってこの答えが彼女を救ってくれました。
゛あなたが、思うようにしなさい。本当に素直なこころで・・・゛ 
゛ママにできなかったからこそ、まっさらな今のあなたにならきっとできる。゛
 心のどこかで、懐かしい温かい声を聞いた思いがしました。
 いつか優しく諭してくれた母の言葉が、彼女の背中を押してくれました。
 水面に出たアプリコットは、解き放たれたように泳ぎ出しました。立ち直りの早さもまた、彼女の良さだったようです。
でも、彼女も、またボスコ号に残るクルーも、まだ気付いていないようでした。
 森の木々の狭間を、ひたひたと分け入りつつある存在に。
それは、確実に近づいていました。

 川岸で、髪をすきあげ、身繕いを始めたアプリコット。落ち着いた動きから、どうやら彼女の心は一段落着いたようです。
 と、服を取った手がふと止まりました。少し怯えた瞳が森の方に向かいます。何かの物音と気配を感じて、立ち上がりかけた時。
 草むらから、いきなりフロークが顔を出しました。
 途端にその顔が、アプリコットを見つけられた安堵の一瞬後に、ギョッと変わります。
 その顔で、アプリコットも我に返りました。
 まだ、下着しか身につけていないことに。
 アプリコットが小さく悲鳴をあげ慌てて服で体を隠すのと、フロークが赤くなって茂みに隠れるのと、ほぼ同時でした。
「も・・・もういいかい?」
 ややうわずった声で、フロークが訊いてきました。
 アプリコットも慌てて服を着ながら、やっぱり落ち着かない声で返します。
「も・・・もういいよ?」 
恐る恐る茂みから出てくるフローク。アプリコットは恥ずかしくて、川岸に向き直り、足下の小石を蹴ります。
「・・・覗かないでよ、エッチ!」
「だって、気付かなかったんだから、しょうがないだろ?」
「・・・どうだった?」
「えっ・・・何が?」
「・・・私の・・・」
 はだか・・・と言いかけ、アプリコットはまた赤くなって俯いてしまいます。
「・・・もういい!」
 言えない言葉が、その言葉を悟ってくれないフロークが変にもどかしくて、アプリコットは川岸の水際に走っていってしまいます。
後に残されたのは、訳が分からず首を捻るばかりのフローク。
 川岸の水を手にすくっているアプリコットを見ながら、少しの間、話しかける言葉に迷う様子です。
 ふと、フロークが地面にかがみ込んで何かを拾いました。不思議そうに見上げるアプリコットを尻目に、何か手元でしています。
「どうしたの?」
「アプリ、手を貸して。」
 駆け寄ったフロークが、不思議そうに訊いたアプリコットの手を取り、何かを彼女の指にはめました。
木の蔓に、四つ葉のクローバーを付けたリングでした。
「お守りだよ。きっといいことあるから。」
「ありがとう!」
 やっと、心からの笑顔を見せたアプリコットに、フロークも安心したようです。
 少し照れたフロークは、すかさず話を変えます。
「今日も、星がきれいだね。明日も晴れだよ。」
 彼の言葉に、二人して星空を仰ぎ見ます。
 今夜も晴れた夜空は、透き通った闇。数多の星星を満天に降らせ、真っ白い満月は煌々と照り、穏やかな川面に揺れています。
 さらさらと清けきせせらぎ。岸の草の囁き。森の薫りを伸せた夜風。虫の静かな声。
そして夜空の輝きと森の声が、川岸に立つ二人を見守ります。
 突然アプリコットが歌い出します。そして、涙を流した後はいつもこの歌を口ずさむんだ、と恥ずかしそうに言うのでした。
「落ち着いた?」「うん・・・」
「ダミアの事・・・ショックだったね。」
「一度、ダミアに言われたことがある。人を思いやる心、慈しみ、それが何の役に立つんだ、って。一国の王女だって事は、そんな甘ったるい事じゃないんだ、って。どこまで酷い人なの、って思ったけど、今なら少し分かる。あの時・・・確かにお姉さんって顔だった。」
「・・・・・・」
「だからね、私もダミアの事、好きになってみる。あ、お姉さんのこと、呼び捨てじゃまずいよね。」
そう言って舌を出して笑うアプリコットの表情に、もう何のためらいも見られないようにフロークには感じられたのがたまらなく嬉しかったのです。
それなら、僕からは何も言うことはないな・・・
「そういえば、初めにダミアを受け容れるって言ったの、フロークだよね。しかも結構、お姉さんに味方してたみたいだったけど・・・何かあるの?」
 彼の思いを見透かしたように、突然フロークの顔を覗き込むアプリコット。
 フロークは、少し考え込みました。
 アプリになら、話してもいいか・・・
言葉を待っているアプリコットに、おもむろにフロークは口を開きます。
「・・・僕は、小さい時に両親を亡くしてね・・・タッティもオッターもそう。そんな僕らが、今まで3人で力を合わせて暮らしてきた。ボスコの村で。みんな良い人ばかり さ。暮らしには何一つ不自由なんかなかった。みんなが助け合って、生きているんだ。村で、みんなで一つになって生きていく。毎日が楽しかったな。毎日の生活が、今日を 生きていく、一日一日を一生懸命過ごしていくって実感で一杯だったよ。」
淡々と、言葉を選んで語ろうとするフロークの横顔を、アプリコットが静かに見つめています。
「私も、いつか行きたいな。ボスコの村に。」
「いつか、連れていってあげるよ。」
 そしてフロークは、アプリコットに向き直りました。
「僕には、家族っていうものがないんだ。でもアプリには、今お姉さんが出てきたじゃないか。かなりきついお姉さんだろうけど、家族には違いないよ。ダミアも、ひょっと したら、それを求めているのかもしれない。求めていないかもしれないけど。」
 フロークの話をじっと聞いていたアプリコットが、納得したように頷いて、そして訊きました。
「フロークはどっちだと思う?」
「会ってみないと分からないな。」
「やだよ。それって捕まっちゃう時じゃない?」
「何なら、今から捕まりに行く?」
「・・・バカ。」
 笑ったフロークが、頃合いを見計らって言い出しました。
「じゃあ、早く帰ろう。みんなまた心配するよ。特にエンダーがね。」
「エンダーなんかキライ!いつもうるさいんだもの。」
「あれで、アプリのこと、本当に心配してるんだ。それは分かってあげなきゃ。」
「ヤーーダ!」 
「駄々をこねてないで、さぁ帰ろう。」
ボスコ号の方角に向き直ったフロークの視線の先に、異変が映りました。
 先程まで闇だった木々の彼方に、ぽつぽつとほの赤いものが。一つまた一つと増えていき、ついには一面をオレンジ色に染めたてました。炎のようです。
そしてその炎のシルエットに、松明を手にした十数人の人影が黒く動き回っています。正にボスコ号の方角!
 しばし思考が停止する。
 信じられないが、のしかかる事実は一つです。
「ダミアに、ここがバレた・・・!」
そうか!村での接触で、村人に紛れ込んだ兵士に尾行された・・・悔やんでも悔やみきれないフロークですが、どうしようもありません。
 アプリコットも、事態を把握したようです。フロークよりも少し早く、次の行動を考えました。
「とにかく、ボスコ号に戻りましょ!みんな残ってる!」
 駈けだしたアプリコットに、一歩遅れてフロークも駆け出しました。
 何とか無事でいてくれ、タッティ、オッター、エンダー!
 焦るフロークの祈りは届くのか?
 燃え立つ松明の数は、増えるばかりです。

突然湧いて出たような兵士達の大挙に、ボスコ号に残っていた3人は為す術もありません。すぐにボスコ号を一旦浮上させようとしたタッティですが、そう簡単に準備が整う筈もありません。程なく、乱入してくる兵士達。
 斯くして、ボスコ号は一瞬にして制圧されてしまったのです。

 真っ赤に燃え立つ松明を手にした兵士達が、右へ左へ忙しく走り回っています。ボスコ号の周囲には、槍を構えた兵士達が何人も身構えています。
さて、少し離れた所に、捕らえられて縄で固められたタッティ、オッター、エンダーの3人が、座り込んでいました。周りには、槍を構えた兵士達が槍先を3人に突きつけています。
 そこへ、松明を手にした兵士を従えたダミアがやってきました。3人の眼前に立ちはだかり、厳然と見下ろします。
 エンダーが気色ばみ、突っかかろうとしますが、たちまち兵士の突き出す槍に押さえ込まれてしまいます。怒鳴り声もうるさいので、ついでに口も塞いでしまいます。
「お休みの所、悪いねぇ。ところで、肝心のアプリコット、それにフロークの姿が見えないようだけど?」
「ふん・・・知るかよ。知ってても教えねえ。」
「だろうねぇ。だからこっちで捜してるよ。こんな真夜中、そんなに遠くへ行く筈もない。 遠くへ逃げたところで、ここから一番近い村でも十キロ以上はある。お前達も知ってるだろ?」
 意味ありげに、ダミアが笑います。何故ここが分かったか分からないかい?顔がそう語っています。
「そういえば・・・何でここが分かった?」 
 捕まった今、そんな事聞いても始まらないだろう?・・・とは、彼女は言わず。
「この辺の村に残らず、スパイを放っておいたからさ。フォンテーンランドに近づくには、 どうしてもどこかの村に立ち寄らない訳にはいかないだろう?役立たずのフードマンと一緒にしないでもらいたいねぇ。」
「そうだったら、どんなにありがたいか・・・」
 地面にへたり込んでいる3人は放っておいて、ダミアは踵を返しました。彼女にとって、この3人に何の用もありません。アプリコット捜しに自ら赴こうとした時です。
 一人の兵士が、松明を手に駆け寄ってきました。
「アプリコットが見つかりました!」
その言葉に、絶望と怒りを込めて見上げる3人。ダミアは一瞥もくれません。当然の如く対します。
「よし・・・フロークは?」「共に捕らえております。こちらへ。ただ・・・」
「ただ?」「実はアプリコット達が自主的に出てきまして・・・条件を出してきました。
 他のみんなを放して欲しい。そして・・・ダミア様と二人きりにして欲しい、と。」
ダミアは眉間をしかめました。
 他の仲間を放して欲しいのはともかく、私と二人きりに?
まさか、あの事を?
 まさか・・・とは思いつつ、別に断る理由もありません。
「分かった・・・会おう。他の連中は、我々と十分距離を置いたところで放してやるとい い。ただフロークだけは厄介だから、一緒に連行する方がいい。」
「御意!」
「長居は無用だ。すぐに出発するよ!」
「ははっ!!」
言うや否や、小隊長達が出発を叫びながら、戦車に乗り込み、他の重装歩兵が隊列を組み始めます。
 隊列の中を、護衛の兵士を連れて、護送車へ向かうダミア。一斉に敬礼を取る兵士達。
ダミアも敬礼を返す。 
゛全ては、宮廷のバカ共が私に招いた結末。今更後悔しても遅いよ・・・゛
゛だが・・・あの娘は・・・゛
 毅然たる歩みと裏腹に、護送車へと向かうダミアの内心は複雑です。

 馬車の小広い部屋に、アプリコットは一人閉じこめられていました。両手は後ろ手に縛られていますが、それでもそわそわは止まりません。
 胸の鼓動が、口をついて飛び出しそうです。
゛ダミア・・・私の王位継承を邪魔しようとしている、敵・・・そして私のお姉さん゛
゛その「敵」を作ったのは、私たち・・・認めないといけない・・・゛
゛どう話せばいいの?いや・・・ここから出たい。二人きりなんて、言わなきゃよかった ・・・゛
゛でも、ここで言わなきゃ!゛
「出発だ!」
 すぐ外で、ダミアの号令が聞こえました。その声で、びくっと扉に向き直るアプリコット。馬が引く戦車の車輪の音、兵士達の掛け声でにわかに騒々しくなりました。
そして・・・ダミアが入ってきました。
 ダミア・・・アプリコットの記憶が確かなら、今で確か21,2歳の筈です。華奢な体格ですが、近づく敵を鞭のように鋭く切り裂く気構えが、切れ長の瞳に現れていました。 数百の傭兵を率いる意志の力でした。
その瞳が、今はアプリコットを静かに見下ろしています。
かつかつとブーツを鳴らして、ダミアはアプリコットの向かいの席に座りました。
「珍しいね・・・あんたの方から、私を指名するなんて。覚悟を決めたかい?」
「・・・みんなは?」
「今は放せないね。我々に手出しできない所に来るまでは。それと、フロークも少し借りてるよ。ちょっかい出されたら五月蠅いからね。」
そこで、会話は止まってしまいました。動き出した馬車の振動が、辛うじて時の経過を二人に伝え続けています。
一行は森の小径を、単縦陣でしずしずと進んでいました。両脇の真っ黒い木々の影が一行を覆い潰しそうです。すっかり夜も深くなり、漆黒の森の中を一行の松明だけがぼんやり灯しあげていました。
「・・・エンダーから、話は聞いたわ。」
 アプリコットの切り出した言葉で、ダミアの顔色が微妙に曇りました。一瞬の事でしたが、今までアプリコットの見たことのない顔でした。
 でも、すぐに元の冷徹な顔色に戻ってしまいます。
「あの爺さん、やっと話したのかい。で?何が言いたいの?」
「・・・・・・」
「うん?」
「・・・ごめんなさい。」
 突然頭を下げたアプリコットに、またしてもダミアの表情は変わりました。
ーーーへえ・・・そうくるかい?−−−
 妹の私のために、味方になって欲しいとでも言いに来るかと思ったけど・・・
もしそんな甘ったれた事を言い出したら、この娘もあの宮廷の連中と同類。その場で張り倒したところだけど。これなら、話を聞いてやらないこともない。
「ははは・・・何であんたが私に頭を下げる訳?」
 笑うダミアに、アプリコットはエンダーから聞いた話を、そのまま伝えました。それを聞くダミアは、相変わらず鉄の無表情です。
 そして最後に。
「・・・何も知らなかったと言っても、私にも責任はあると思う。あなたを、宮廷から追い出すようなことになった事。エンダーも後悔しているわ。あなたをもう少し、理解する余裕があったら・・・と。だから・・・そのことをあなたに伝えたかった。」
 そして、また頭を下げたアプリコットに、ダミアの顔つきも少しは和らかくなりました。
「アプリコット・・・あんた今、幾つになった?」
突然聞かれたアプリコットは、些か戸惑った様子です。
「もうすぐ15歳・・・かな。」
「私が出ていったのは、確かあんたが10歳くらいの時だったかね。とにかく、何もかも 嫌になってね。あんたが今言った通り、私を支持してくれた衛兵達と、あちこちでいろいろやらかしたものさ。でも私ももう二十歳を超えたし、浮かれたことはしていら れないからね。それで、賭けに出た。」
「スコーピオンと?」
「そうさ。」
「それが・・・私ではダメだったのね。」
「勘違いするんじゃない・・・あんたは嫌いじゃないよ。宮廷に関係したもの全てが、忌々しいだけさ。あんたの母親もそうさ。結局、周りの家臣に頭が上がらなかったじゃないか。あんたにとっては良い母親だったかもしれないけど、国の主たる者、それじゃ 駄目だ。」
「ダミア・・・やっぱり、あなたが王座にいるべきだわ。スコーピオンさえいなかったら。」
「いやだね・・・私は束縛されるのが嫌いでね。」
 そして、ダミアは馬車の窓を開けました。涼しい夜風が、森の薫りを乗せて馬車の中に舞います。 
「アプリコット、あんたに一つ聞きたい。王座に就くってのはどういうことだい?」
突然、事の本質を尋ねられたようなアプリコットは、かなり面食らったようです。ですがダミアは、アプリコットに向ける視線を弱めようとしません。
 精一杯、思うところを、考えを、言葉を巡らせます。
「訊き方を変えようか。あんた・・・自分を犠牲にして王座について、何をしたいの?」
 もう一度訊いて、ダミアは窓に向き直りました。アプリコットに向けた背が、彼女の答えを待っています。
 アプリコットは、今思いつく中で一番伝えたい事を口に出しました。
「ダミア・・・あなたには夢はある?」
「夢?・・・世界を手にすることに決まってるじゃないか。」
「私は・・・お母さんになりたい。ここに来るまでにいろんな村で子供を見てきたけど、やっぱり私の子供を自分の手で抱きたいと思った。」
 そしてアプリコットも席を立ち、ダミアの横の窓に向きます。静かな夜風が、二人の髪を撫でては通り過ぎます。
「・・・今、私がしようとしていることも同じ様なこと。今、この国のあちこちで、水に飢えた子ども達が救いを待っている。この目で見てきたもの。そんな子ども達の為に、私にしかできないことがあるのなら・・・答えは一つでしょ?」
「それが・・・本心なのかい?」
 彼女の真意を推し量るように、ダミアは彼女の瞳の奥を覗き込みました。アプリコットは向き直り、照れたように微笑みます。
「言葉で言うと大げさだけど、こころでそう感じる。うまく言えないけど。」
「・・・・・」
 アプリコットの言葉を聞き続けたダミアは、微動だにしません。
 沈黙に堪えかねて、アプリコットが何か言おうとした時。
 やおらダミアが窓を離れます。アプリコット注視の中、何を思ったか、馬車の後ろの荷物入れの扉を開けました。
 ごろんと、何かが転がり出ます。驚きのあまり、アプリコットは口に手を当て叫びました。
「フローク!」
 何と、両手足を縛られ、口を塞がれたフロークが、そこに転がっていたのです。
「まぁ・・・アプリコット、あんたには王座を押し付けて迷惑をかけてきた借りがあったからね。今、ここで返すことにするよ。」
 そう言って、ダミアはフロークの縄を解き始めました。続いて、アプリコットの両手の縄も。
「ダミア・・・あんた、始めからそのつもりで僕を?」
「フフフ・・・そんな甘くはないよ。アプリコットの返答次第だった。」
「ってことは・・・合格?」
「そういうことにしておこうか。」
「・・・ありがとう。」
 ニヤリ・・・と笑うダミアに、アプリコットは手を差し出します。
「勘違いするんじゃない。今はまだ敵同士。軽々しく雰囲気に流されるんじゃないよ。」
 ピシャリと言うダミアの言葉に、アプリコットは慌てて手を引っ込めます。
 一方、馬車の扉を開けたフロークが、振り返って言いました。
「ダミア・・・あんたに出会えて、ちょっとは良かったと思うよ。」
「次に会った時は、それと逆の事を言うと思うけどね。」
「フローク、先に行って。」
 えっ・・となるフロークに、アプリコットは頷きます。
 悟ったフロークは、ちょうどカーブにさしかかった所で音もなく飛び降ります。後ろの隊列から死角になり、脱出がばれないように。
 残ったアプリコットは、ダミアに向き直りました。
「どうした?私の気が変わらない内に、さっさと行きな。」
「・・・お姉さん、って呼んでもいい?」
 少しためらって、照れて俯きながら訊くアプリコットに、ダミアは笑ってごまかすしかありません。でないと、とても照れが隠せませんから。
「ハハハッ・・・あんたにお姉さんって呼ばれるとはねぇ・・・でもそんな実感、ないだろ?」
「本当は・・・でもこれから、そう思うことにするから。」
見上げて見つめるアプリコットに、ダミアの心は思わず折れそうになります。しかし彼女はこの道を決めたのです。
突如、ダミアの表情が鋭く急変します。
「だが、それもここだけだ。次に会う時は、また敵同士。容赦しないよ。」
 アプリコットも、不敵に笑い対します。
「私も負けない。この国を救えるのは私しかいないもの。」
そして、扉に一度向かいかけますが、向き直って。
「お姉さん・・・私とスコーピオンと、どちらが信じられるか、少しでいいから考えておいて。」
「どういうこと?私が裏切られるとでも?」
「お姉さんが戻ってきてくれたら・・・私はお姉さんにこの国を治めて欲しい。」
一瞬、我が耳を疑うダミア。
 そしてその言葉に、ダミアはまたしても笑い声をあげました。何だか、今日は驚く事と笑う事が多い日です。
「とんでもないこと言うね。何があるか分からないよ?第一、エンダー爺さんが承知しないだろ?」
「考えといて!」
 言い残して、扉に向かうアプリコットを、今度はダミアが呼び止めます。
「アプリコット・・・泉の王座に就いたら、とにかく歳月を待ちな。」
「・・・どういうこと?」
 不思議そうに訊き返すアプリコットに、ダミアは一つ贈り物をすることにしました。
誰もにとっての大きな、大きな贈り物を。

 馬車から飛び降りて無事脱出できたフロークですが、待てども待てども肝心のアプリコットが来ません。
 まさか・・・ダミアの気が変わった?
そう思うと、居ても立ってもいられません。
 森の中を、月の光を頼りに、フロークは駈け出しました。

「・・・ホントに!?」
 パッと顔を輝かせたアプリコットに、ダミアは彼女とここで会えたことを心から嬉しく思いました。でもそれは表に出さずに、駆け寄ろうとした彼女を制します。。
「早く行きな!そろそろ森を抜ける。」
「ありがとう、お姉さん!また会おうね!」
 言い残して、アプリコットも馬車を飛び降りました。程なくフロークも追いつき、二人で森の中に走り去り、やがて姿が見えなくなりました。
 そして馬車には、ダミアだけが残りました。
「アプリコット・・・強くなったじゃないか。」
 荒んだことの多かった彼女の中に、一点の、確かな光を見つけた思いでした。
 席に戻ったダミアの頬に、一筋の涙が光っていました。
 この後彼女は、眠りこけた隙に二人に抜け出されたことにします。今は逃がしても、
次には捕まえる自信が彼女にはあるのです。それにしても、何と皮肉なことでしょう。
先の女王への反発でその娘を捕まえようとする自分が、その娘に心を救われるとは!
 隊列は、いつしか抜け出した二人に気付かず走り続けます。
 向かう道は違っても・・・。