<レーザー近視手術体験記>
● 体験日時:2001年 6月13日(水),AM9:00~AM9:40
● 体験者:多久春義(テイエラ職員・48才・70キロ)
(体調:極めて良好)
(手術体験:無し。ウオノメを手術したくらい)
(手術前右眼:0.08、左眼:0.09)
● 体験場所:ホーチミン市5区・An Binh(アンビン)病院
住所:146 An Binh .5区、ホーチミン市
TEL: 8382347
最近このベトナムでもレーザー近視手術が受けられると聞き、早速体験して見ることにした。思えば私がメガネをかけて来た歴史も永い。高校を卒業して以来だから約30年くらいになる。今まで何回メガネを買い換えたことだろう。近視が進むその度に買い換え、海では波にさらわれ、酔っぱらってはどこかに置き忘れ、今までで全部で10回くらいはメガネを買ったと思う。ちなみに私は裸眼で右が0.08、左が0.09である。
メガネというのは、毎日かけている人にとっては本当にうっとうしいものだが、何と言っても一番不自由を感じるのは、日本でラーメン屋に入った時である。私の故郷・熊本は言わずと知れたトンコツ・ラーメンの王国であり、熊本駅裏には日本のラーメン屋の中で金字塔を打ちたてている(週刊誌や雑誌でいつもNo1と賞賛されていると言う意味で)「黒亭」がある。ここに入るには行列に並んで待たないといけないが、冬に外に並ぶと、北風が吹いて寒いことこの上ない。そしてようやく自分の番が来てドアを開けて入ると、調理場の熱気と客の湿気がドツト襲って来て、しばらくメガネが曇って見えないのである。
手術体験自体が初めての身としては、ベトナムで近視手術を受けるのに不安と恐怖と迷いも有るが、「ナニ、これからラーメン屋に入る時、メガネが要らなくなり、曇ることも無くラーメンが食べられるんだ!それだけでも手術の甲斐もある。失敗しても死ぬことは無い。将来後遺症や副作用が出ることも有るだろうが、後50年間は何も出なければその頃あの世へ行くだろうから問題ないだろう。善は急げだ!」と自分に言い聞かせて病院に向かう。
手術日前6月12日(火)
本番の手術の前に検査が必要ということなので、6月12日(火)にその病院に行く。目指す病院はホーチミン市5区にあるAn
Binh(平安)病院。1区からだとバイクで20分くらいでそこに着く。5区と言えば中国人街のチョロンが近いが、この病院も華僑が建てた病院だということで看板にも漢字が書いてある。着いた時は1時半。レーザー治療という看板が見えたのでその案内板に従って歩いて行く。敷地自体はさほど広くはない。大きい建物は5階建てでレーザー治療室と検査室は1階にある。内科、外科、眼科などいろんな科があるので日本でいう総合病院というところだろうか。この病院は普通はベトナム人の患者がほとんどらしく、(見ただけで分かるような)外国人は私以外見かけなかった。
最初に入った部屋でまず視力検査を受ける。部屋の広さは7〜8坪くらい。一人の年配の女性が受け付けにいて氏名や年齢などを記入していく。彼女の名前はLan(ラン)さん。見たところ50才を超えているくらいの感じである。彼女は受け付け専門で、このあとしばらくして検査をする女性がやって来た。この日私は近視と乱視の度数を図るのだが、ベトナムの度数の表わし方は日本と違いメガネのレンズの厚さで表わすらしく、0.1とか0.5のような表記はしないので、この日の視力がいくつなのかは分からない。私が今年日本で測ったときは上記の数字であった。ここでの検査の内容はというと、両目に日本でやる時のように、いろんな種類のレンズを入れ換えては「コレはどう?コレは良く見えるか?」と質問しながら視力を調べていく。彼女は今の私の視力は5度だという。今日検査を受けた人の中には14度の人もいた。
そこでの検査が終わると、また別の部屋に行かされてさらに手術のために必要な精密検査を受ける。ここでは目に光を当てていろいろ調べ、その後数字を書類に書き込んでいくだけだが、その後に血液検査をすると言って、男性の担当医が右手の薬指の先に注射器のような形状をしたのを「バチッ」という感じで押し当てた。しばらくチクチクとうずくが大したことは無い。そこでの検査はこれで終わりで、また別の部屋に行けと言う。
すぐ近くの部屋に案内されて、そこでまた2回目の血液検査をすると言う。
その部屋には4人くらいの看護婦がいて、血液を採ったり受け付けをしたりしている。そこで腕の静脈からの採血と、耳からの採血と合わせて2ヶ所。先ほどのと合わせて全部で3ヶ所を採血されたが、なぜ1ヶ所でいけないのかは聞き忘れて分からない。
その後また最初の部屋に戻り、目に小さい棒のようなものを当てて何かを調べる。この検査自体はすぐ済み、全く痛みは無いが。その時「明日の手術用に目薬を注すが、この目薬を注すと今日一日はボンヤリとしか見えないので、今日細かい字を見る仕事が有れば、明日注すがどうしますか?」と聞かれる。「どっちが良いのか?」と聞き返すと「今日が良い」と言うので「それでは今日してくれ」と言ってその日に終える。そしてその目薬を注した後、30分くらいその部屋でしばらく待ち、再度視力検査をしてこの日の検査は終わり。今日は全部で約2時間くらいの所要時間であった。サービスも良かった。
私の奥さんが言うには、この診療所はLanさんが責任者でこの病院の建物を借りていて、医者や看護婦も自分で雇い独立採算で経営しているはずで、サービス=自分たちの給与に跳ね返るという図式だからサービスが良いのだという。確かに以前結婚の手続きに役所に行った時、質問には全然答えず、堂々と雑誌を読んでいたのを経験しているから、そういうこともあるのかも知れないと思う。サービスが良いに越したことはないので、嬉しくなる。
最後にLanさんが「明日が手術日になるが、明日はここに朝6時半に来て下さい。明日は早いので今日は早く休んで下さいね。今夜も含めてお酒はしばらくは飲まないようにね!」と念押しする。そして本当は今日この日に、今日の検査と明日手術に伴う全費用700ドルを払わないといけなかったのだが、「今日は持ち合わせが無いので明日払うがいいか?」とLanさんに聞くと「明日でいい」と言う返事なのでこの日はこれで終わり。
手術日当日6月13日(水)
「それでは始めます!」と言って、年配の医者が私の右目から眼球を取り出してそれを箱の中に入れ、ゆっくりとセツケンで洗いはじめる。眼球を取り出された時は痛いが、洗ってくれる時は大変気持ち良くウットリとしてくる。次に左眼をまた取り出す時、あまりの痛さに悲鳴を上げたところで、夜中に目が覚める。「あ〜夢だったか」とホットするが、人生初めての手術体験だけに、不安と恐怖と迷いと期待が入り混じり「早く寝て下さいね」と言われても酒も飲まずにすぐ寝れるものではない。がしかし「手術が失敗したら、永遠に眠るのだから、今しっかり眠るぞー」と自分に言い聞かせて、また眠る。
そして今日は5時半起床。しばらくは洗髪も出来なさそうだから、一週間分をまとめて念入りに洗う。そう言えば大学時代は風呂に入ること自体が一週間に一回くらいだったなーと頭をゴシゴシ洗いながらはるか昔を懐かしく
回想する。それを考えると、ベトナムに来て私も風呂に毎日キチンと入る習慣が身に付き、すっかり文明人になったものだとつくづく思う。
時間どうり6時半に到着、私が一番乗り。帰りが一人では支障があるかもと思い、私の奥さん(ベトナム人)と一緒に行く。しかしこの時間、患者はおろか医者も看護婦も、誰も来ていないではないか。ようやく6時45分に看護婦が来て、今日手術予定の患者も集まる。午前は全員で5人。どうやら6時半と言ったのは、7時から皆んなを集めて説明するためには、7時と言えばいつものベトナム時間で7時半ころ来るから30分早くしたらしい。私は着いてすぐ、昨日払わなかった費用700ドルをベトナムドンで払う。今日は1ドルが14,740ドンなので、10,320,000ドンになる。そしてその費用を払う時、外国人が手術したことになると何と1,600ドルと2倍以上になるというので、私の奥さんがその場で適当にベトナム人の名前を考えて、請求書の名前欄に書き込む。この名前で書くのは何か問題が起きた時の保険の関係からだという。そしてそのやり方でいいからと受け付けの女性がアドバイスしてくれる。
この場での私の名前は、Quynh Quang Nhat (明るい、陽光のアジサイ)と言う名前。ムム、こちらの名前がキレイでいいぞ。これからはベトナムではこれで通そう。しかしカルテには日本人の名前で書き込んであるのだが。私の前に手術した2人の日本人も800ドル払ったそうだから(私は1ヶ月もしない中に100ドル安くなり、700ドル)、病院の内部では気を利かせて外国人はベトナム人に名前を変えて処理してあるのだろう。
そしてYen(燕)さんという40才くらいの女医が出て来て、一人一人にこれからの各自の手術の仕方(人により少しずつ違うらしい)と、どれくらいまで見えるようにするが、それで良いかと確認して行く。私は裸眼で1.5まで見えるようにするが、50才近くになってきているので、近くを見るのは老眼と同じで少しボケるがそれで良いかとYenさんが確認するのでそれでOKと返事する。もっと若い時このレーザー治療法があれば、遠くでも近くでもメガネは要らないのだろうが、老眼が出始めて来たこの年齢であれば仕方がない。要は一日の中で普段メガネをかける時間が少なくなればいいのだから。
この後全員がレーザー治療のビデオを見せられる。レーザー治療の歴史や手術の様子を写したビデオが出て来るが、手術の場面はあまり気持ちのいいものではない。手術の場面は2種類あって、近視や乱視の程度の軽い人と重い人で少し違うらしい。しかし基本的には、一番先端の角膜を薄く剥いで、眼球の中にレーザー光線を照射するというやり方は同じである。このレーザー光線を照射する時の回数が、軽い人と重い人で異なるらしい。
ビデオは約20分くらいで終わり、いよいよ手術を始めますよと言って最初の人が部屋に入って行く。この日は午前中は5人来ていて私は4番目に手術すると言う。「一番で今朝来たのに何故遅いのかな?」と奥さんに聞くと、「私の前の人たちは昨日費用を払っているからだ」と言う返事。私は今日費用を払ったから後ろの方になるらしい。何とも現金な話だと可笑しくなる。
後の人はこの部屋でコーヒーでも飲んでしばらく待っていて下さいと言う。部屋の隅に確かにインスタント・コーヒーが置いてある。何杯飲んでも無料である。700ドルもみんな払っているからコーヒーくらい安いものだが。
最初に入った女性の人が出て来たのは約1時間後。その表情を良く見ると、サングラスをしているが、入る前と余り変わった所は無い。「痛いか?」と次に控える人達が自分の手術のことを予想して興味深々という感じで聞くが、その女性は「全然痛くない」と答える。よく聞くと手術自体は30分ほどで終わり、その後別室で30分ほど休んでいたのだという。
その後3人の人が同じくらいの時間の間隔で終わって行き、いよいよ9時10分から私の手術の開始となる。奥さんが「行ってらっしゃい」という感じで手を振る。「あ〜、もしかするとこれが最後の見納めかも知れないな」と思い、メガネをかけてしっかりと見つめる。いよいよ人生最初の手術体験をする時が来た。最初の体験というのは何であれ、期待と不安と好奇心が伴うがこの時もそうであった。
期待→ | あの有名なタイガー・ウツズもやっている手術だから、きっと大丈夫だろう。最初にメガネをかけた時と同じように、一週間後には明るい、輝かしい世界が見えるのだなー。日本に帰ったら早速関空のラーメン屋に入るぞというワクワクとした期待。 |
不安→ | もし手術が失敗したらどうしよう。100%完璧な手術はないはずだから、万が一手術が失敗した時のことも考えておかないといかんなと思う。目が見えなくなるということは遺言状が書けなくなるということだから、早めに書いておかなければと思うが手術台に上がったこの時ではすでに遅かった。それにそもそも遺言状に書いて残すほどの財産が無いのに気付く。 |
好奇心→ | 映画でよくあるが、手術したあと患者が目を開いて、だんだん景色や目の前の人物がハツキリと見えたところで「お母さん!見えるわ!」と感動と嬉しさの涙を流して抱き合う場面が出て来る。私はハッキリ見えるその日がいつ訪れるかなーと興味深々である。ベトナムにお母さんはいないから、奥さんと抱き合おう。 |
9時10分に着替えの部屋に入る。薄い生地のブルーの手術着を上だけ着て、頭にも同じ色のを被らされる。私が入った時は、前の患者が終わる寸前であった。男の先生が一人に、看護婦が四人いた。私は前の患者が終わるまで、その患者の足元の方に置いてある椅子に座らされる。目の前でいま手術をしているのだがメガネをはずしているのと、足元の方から見ているのでどんな手術なのかは分からない。待つこと5分ほどしてその人が終わる。痛いような様子もないし、目から血が出ているようすもない。それを見てこちらも少し安心する。
さーいよいよ、私の番である。まず右目の方が最初に手術される。右目に目薬を注されて、その後丸い輪のようなのを眼球の上に軽く当てられる。そしてさらに目薬を注す。これが麻酔の代わりなのだろうか。そしてこんどは眼球全体を動かないように固定させるために、サランラツプの少し厚いようなのを眼球の上から貼り付ける。この段階では薄くボンヤリと景色がまだ見えている。この上からピンセツトのようなので軽く目の中心部をつつくが全く痛みは無い。この段階になると小さな光が無数に明滅している。さらに目薬を注すので、まるでプラネタリゥムにいるような、チカチカとした光が幻想的に見えてくる。
そして「今から角膜をレーザーでカツトします」という合図で機械が右から左へ動いて行く。その時も痛みは全く無し。しかしさすがにあまり気持ちのいいものではなく、体全体が足のつま先までツツパツているのが自分でもよく分かる。そして眼球の中にレーザー照射が始る。赤い空飛ぶ円盤のような丸い形の光が回り始め、一回転する度にカチツと音がする。この回転の仕方も空飛ぶ円盤を思わせる(まだ見たことは無いが)。痛くもないし、この時はヒマなので、赤い光が何回転するかを数えてみることにした。10回、15回、30回と数えていき、結局右眼は47回でレーザーの回転が止まった。その後はカツトした角膜を、鍋のフタを元に戻すのと同じように、上からフタをしてハケの小さい形をしたので4・5回軽くなでて(中の空気を出して元の位置に戻すためなのだろうか)これで右眼は終わりである。この間約10分くらい。
左眼も全く右眼と同じ手順であり、違ったところといえばレーザー照射が左眼は40回だったところくらいかな。近視や乱視の軽重によりこの回数が違うという。同じ日に来た若い男性は片眼で100回を超えたというから、私の場合はまだ軽い方の部類に入る。両方の眼の手術を終えたのが9時40分くらいだから、左眼も約10分くらいで終わったことになる。手術中は男性の先生(ベトナム人)がほとんど一人でやり、4人の看護婦は雑談していた。まあ実際、機械を動かしている間は何もすることもないらしいが。
「はい、終わりました」と言う男性医師の声で、手術台の上で起きあがる。
ボンヤリとしか見えないが、痛みも全然ないし歩行にも支障はない。最初に着替えをした部屋に戻ろうとするが間違えて、受け付けの患者が待っている部屋に出てしまう。あわてて看護婦が飛んで来て、別の部屋に連れて行く。
着替えをした後、別の部屋で椅子に座りしばらく休憩する。この時サングラスを渡される。これはプレゼントで返さなくていいと言う。手術の終えた人から看護婦が、付き添い人のいる患者には付き添い人に、本人が一人で来ている患者にはその患者に目薬の使い方と、これから過ごす数週間の注意点を説明している。眼を開けても痛くはないが、ボンヤリとしか見えず意識を集中できないので私の奥さんに看護婦さんの説明を聞いてもらう。看護婦がベトナム語で話しているので、奥さんだと聞き間違えることも無いし。このことを考えると付き添いの人がいた方が大変楽である。そもそもこの時は余り眼を開けたくないという気持ちだから………・。
眼薬は3種類あった。
1.Sanlein 0.1→1日6回
2.CILXAN →1日4回
3.Flumetholon0.1→1日3回
この3種類の薬を15分おきに眼に注す。
これ以外に、もし万一今日の夜痛みが出た場合に飲む痛み止めの薬が10錠。
さらに看護婦さんが手術後の過ごし方の注意点を説明する。
1.2週間はバイクに乗らない(自分で運転しないという意味)。
2.外出の時は直射日光やホコリよけのため、サングラスをかける。
3.1週間は顔を洗うとき、水を直接眼に入れない。
4.2ヶ月間(2週間ではない)は頭を洗う時、シャンプーを眼に入れない。
5.1週間は酒・タバコは控える。
タクシーに乗り、家に帰り着いたのは10時半くらい。帰ったら部屋の電気を全て消し、サングラスをかけて過ごす。トイレに行くのも場所は覚えているので眼を開けない。昼の食事の時もサングラスをしてほとんど眼を開けずに手探りで食べる。まるで座頭市になったような気分である。この日は外には一歩も出ず、眼の傷が癒えるのを待つ。そして15分おきに目薬を注す。結局帰ってからも、寝る時までも痛みはこの日は全然なかった。そして夜寝る時は眼を掻いたりしないように固い眼帯を当てて寝る。明日11時に検査がある。
手術日翌日6月14日(木)
朝起きても痛みは左眼が少しチクチクするくらいで、右眼は痛みは無し。サングラスを外し、おそるおそるゆっくりと両眼を開ける。「ワー、何と明るく、はっきりと見えることか!」と驚く。今の視力がいくつかは分からないが、これだとこれから確かにメガネは要らないぞと感激する。死なないで良かった。失明しないで良かった。ただ右ははっきりしているのだが、左がボンヤリとしか見えない。しかも白目の所が充血している。奥さんにそのことを言うと左が少し弱いのでソフトコンタクトレンズを入れているのだという。
私の左の眼にコンタクトを入れているというのはそこで初めて知ったが、何が弱いのかは分からない。そして今日また病院に行った時それをはずすという。今日も眼を開けるのは最小限にして、じっくりと眼の細胞が増えていくのを気長に待つことにする。この後出来ることといえば、目薬を決められた回数注すことと、医者の注意を良く守り、酒を飲まず、あまり外に出ず、頭も洗わないで、顔も水で洗わないようにすることだけである。そういう努力と節制の後に輝かしい世界が開けてくるのだろうから。しかし左の眼がこのままボンヤリしたままだとどうしようと不安になるが。再手術に費用が要らぬとしても、またもう一度同じ手術を受けるのはあまり気が進まないし…・と思いながら病院に11時に向かう。
部屋の前のベンチに既にもう昨日手術を受けた人が来ている。たまたま近 くに座った42才のベトナム人の女性は「本当にハツキリと見えるわ!」と大変喜んでいる。彼女は嬉しくなって今までのメガネをもう捨てたと言う。まだ昨日手術して、1日しか経っていないのに何と気が早いのかとも思うが。
昨日手術した人は全員11時に来たようで全部で12人いた。昨日は午前が5人だったから、午後に7人いたわけである。42才のその女性は少し早く来て皆んなの様子をいろいろ聞いていたらしく、あの人は近視の度合いが何度だとか良く知っている。そして彼女が言うには、昨日手術した人たちの中では一人だけが眼が痛くて腫れていると言って、「あの人がそうだ」と指差す。その人は確かに、右眼に大きい眼帯をしている。他にそういう人はいないから順調ではないのだろう。だから全ての人が痛くない訳でもないらしい。
この42才おばさんは大変話し好きらしく、私が日本人だと分かると「年齢は?」「仕事は?」「給料は?」といつもよくある質問パターンに入って行く。私の奥さんがそれには適当に答えていく。ベトナム人はよく外国人に「給料はいくらか?」と質問するが、「ベトナム人にもそういう質問をするの?」と奥さんに聞くと、ベトナム人同志だと「職業は何?」と聞いたら、給料は幾らぐらいかは推測出来るので、敢えて聞くまでも無いとのこと。言われてみれば、確かにその通りである。
先生が来て一人ずつ呼んで部屋に入れて手術後の様子を検査する。私が入るとアゴを機械の上に据えて、赤い光を両眼に当てていく。片眼で10秒ずつ見て、先生は「トツト トツト(良い 良い)」とニワトリを追うような声をあげる。何が良いのかは分からないが、まあ悪くはないのだろう。そして今から左眼に入れているコンタクトを外すからと、私にベツドに横になるように言う。「コンタクトを取ったあとは少し眼が痛いが、明日になれば大丈夫だから」という話。私が「左眼がはっきりしないのですが?」と質問すると、「コンタクトを取ったあとは少しずつ見えてくるから心配ないよ」という返事。
最後に先生が「今日はこれでOK。帰って良し」という挨拶で今日の検査は終わり。全部で5分くらいで終わった。異常が無いからこれくらいで終わるのだろうと思う。帰りはバイクの後ろで眼を閉じて家路に着く。この日も病院以外では眼を開けず。次は一週間後にまた検査するとのこと。
帰ってしばらくは医者の言った通り、左眼が少しチクチクと痛い。しかしズキズキとするような痛さではない。この痛みは夕方6時くらいまで続いた。
夜中には全然痛みは消えてしまった。この日も3種類の薬を15分おきに眼
に注ぎ続ける。今日は風呂にも入らず、安心して寝れそうである。
さらに1週間後6月21日(木)
レーザー治療をして、サングラスをはずして外に出たのは4日後のことであった。その時の外の景色のまぶしかったこと。メガネなしでこれほどハツキリと見えるとは、何という感動的な出来事であろう。あれ以来酒も飲まず、タバコは2年以上前に止めているので問題無し。眼薬も決められた回数を守り、さらには自分で眼のマツサージも施し(医者はしろとは言っていないが)魚のメン玉を焼いてしゃぶり、ヤギのキンタマもヤギ鍋に入れて食べ(タマどうしで良いはずだと信じて)、さらには5年前に行ったモンゴルの大平原を回想しているというイメージトレーニングをして来たが、今日が1週目の検査日である。果たして医者は何と言うだろうか。
9時にAn Binh病院に行く。例の42才おばさんも来ている。そのおばさんは1週前は喜んでいたが、今日は少しボンヤリして見えると言って少し元気がない。もう1人の人は片目が痛いと言う。私は少しずつハツキリしてきているし、痛みは全然無いというと2人とも羨ましそうな顔をする。
精密検査の前にLanさんのいる部屋で視力検査をすると右が0.9、左が0.7あった。Lanさんが言うには、これからこれより少しずつ良くなり、視力が悪くなることは無いと言う。もしそれが本当なら嬉しいことだが……・。
そしてさらに両眼に光を当てて、精密検査をする。またこの日も先生は「トツト トツト」と言って、「異常なし、経過良好。また1ヶ月後に来なさい」と検査自体は1分で終わる。やはり今までの目薬注し、完全禁酒、マツサージ、魚のメンタマ、ヤギのキンタマなどが良かったのだろうか。今日はムショウに嬉しくなり、奥さんにアイスクリームをおごって散財してしまう。
さらに手術後約2週間後6月26日(火)
あれ以来順調に回復しているようで、特に右眼は1.0くらいまで視力が戻ったようだ。左は少しそれより弱く0.7〜0.8くらいかな。遠くを見るのにはメガネは確かに要らなくなった。ただ小さい活字の新聞や雑誌を読む時、以前はメガネをはずせば明瞭に見えたが、今はハツキリとは見えなくなった。しかしこれは老眼が進んでいるので仕方がないとしよう。これから新聞を読む時は老眼鏡が必要なのだろう。小さい活字は眼に毒だから、新聞はこれからあまり読まないことにしよう。
手術後13日経ち、酒を飲んだらどうなるか体験学習して見ようと思い、ドジョウ鍋の店・18
Ba Huyenに行く。もう6時半には席が満杯である。とりあえず、タイガービールだ!「久しぶりだね、タイガービール君」という感じでじっと見つめる。タイガービールも顔を赤らめて、汗をかく。「カーツ」とまずコツプ1杯。奥さんには今日はビールを飲みに来たのが目的ではなく、目の手術後ビールを飲むとどうなるのかを体験するために来たのだと説得してここに連れてきたが、信用したかな?恐らく信じてはいないだろうな。
まあそれはともかく、ドジョウのから揚げをサカナにつまむ。これが大変美味いんだな。子供の時、田んぼの横にうじゃうじゃいたドジョウを日本で食べれなくなって追い求めること30年(メガネをかけた歴史と同じくらい)、なんとベトナムでドジョウに巡り合えるとは!日本で今ドジョウを食べると高くて食べる気もしないが、ベトナムはまだ日本から比べるとはるかに安い。そんなことを考えて、次はドジョウ鍋を頼む。この時体験学習のつもりのビールが3本目になり、さすがに奥さんも「少し控えたら」という顔をしてきた。
このころから少し左眼が何か目の中に入ったようにチクチクし出した。これはイカンと思い、それからは冷たいお茶に切り換える。2週間経ったと言えども眼の手術だけにまだまだ安心出来ないのであった。あと10日くらいしてまた体験学習して見るつもりである。その時異常が無ければ、適度なビールはOKかも知れないが………・。
早く日本で、関空で、その次は熊本で、その次は玉名で、熱いラーメンをススリ、ビールをカパーツと飲みたいものである。その時、眼の前にはどんな光景が広がっていることだろうか。大いに楽しみではある。そのために恐怖も乗り越えて手術したのだから……・・。