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 今日も暑い日が続いている。天気予報によれば、もう十三日も真夏日が続いているという。夏は暑いものだし、このところ暑い夏が続いているのでそう驚くことではないが、今年の夏はこれまでと少し違う。というのは、O-157などという得体の知れない細菌による食中毒がはやっているからだ。
 「O-157?一体なんだ。」
 私も知らなかった。大腸菌の一種だという。
 「大腸菌?大腸菌なら体の中にもいるし、毎年海水浴場で検査しているのも、大腸菌でしょう。そんなに恐れることはないのじゃないの?」
 はじめの頃はそんな声も聞かれた。しかし、岡山県で小学生が死んでいる。それは、何か違うのではないか。やがて、大阪堺市の小学校で、大規模な集団発生をみることになった。恐るべき感染力を見せたのだ。

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 「堺市の食中毒はすごいわね。一体何があったんでしょうね。」
 「単に食中毒と考えてはいけないのじゃないかな。O-157というのは大腸菌の一種には違いないんだけど、病原性大腸菌といわれているもので、普通の大腸菌とは違うみたいだよ。」
 「そういわれてもきちんと説明してくれなくちゃ、わからないじゃない。」
 「何でも赤痢菌と同じ遺伝子を持っているらしくて、赤痢菌と同じ毒素を出すんだそうだ。」
「じゃあ、伝染病ってことなの。」
「そこがね、難しいところらしいんだ。普通赤痢菌は菌が一つでも見つかれば発症するらしいんだけれど、普通食中毒では、たとえばビブリオ菌だとかサルモネラ菌などは、それこそ十万とかそれぐらい菌が増殖しないと発症しないんだそうだ。それに対して、O-157というのは、数百個から一万個で発症するんだそうだ。」
「それはすごいじゃない。大変な菌ね。」
「それで大騒ぎになっているんだろうね。それに、感染経路が全くわからないというのは、不安だよ。」
「全然わからないの。」
「潜伏期間が他の菌より長いということもあって、なかなか難しいらしいんだ。アメリカの調査では、いろいろあげられているけどね。現実の中毒の事例とは違うから、そのまま信用していいというわけにはいかないよ。大いに参考にはなると思うけど。」
「へえ、そうなの。で、アメリカではどうなっているの。」
「O-157が初めて発見されたのは、アメリカなんだけど、そのときは、冷凍のハンバーガーが汚染されていたんだ。牛の挽肉だね。その後の研究で、O-157というのは、牛を初めとする家畜の体内にいることがわかったんだ。以後時々O-157による食中毒が発生しているけれど、その汚染源で一番多いのは、やはり牛肉など肉類特に挽肉で半分以上。その他、レタス、生野菜ジュース、牛乳、井戸水それに湖水などがあげられている。おそらく野菜や水はどこかで汚染されたんだろう。アメリカの例では、湖水に、家畜の屎尿が流れ込んでいたという結果もある。日本でも、埼玉の幼稚園だったか保育所で起こったO-157の食中毒事件は、原因が井戸水で下水が流れ込んでいたらしいからね。」
「気味悪いわね。」
「でもそんなに神経質になる必要はないと思うよ。O-157は、口からしか伝染しないから、口に入れないようにすることが大切だね。つまり、食事の前には、必ず手を洗う。野菜類は、流水でよく洗う。肉類は、十分加熱する。熱には弱いらしくて75度で一分間加熱すれば、死んでしまうらしいから。」
「でもなんだか面倒だわ。」
「まあ、生命に関わることもあるんだから、それぐらいのことには気をつけないと。」
「そうね。でもかかっちゃったらどうするの。」
「できるだけ早く信頼できるお医者さんに見てもらうことだね。素人療法は、いけないと思うよ。とはいっても、今回の場合は、お医者さんの方も未知の世界だったらしいけど。これからは、そんなことはないと思うよ。そうなってもらわないと、安心して、お医者さんにいけなくなってしまうから。」
「わかったわ。気をつける。」
 こんな会話が交わされた家庭もあったのではないかと思う。それはともかく話を続けよう。

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3

 暑い日が続いている。だが、特別暑いというわけではない。数年前の猛暑の年は、35度を超える日が続いたが、今年は、そんな日はまだない。それに、南方海上に台風が居座っているせいか涼しい風が吹いている。田圃の中にある我が家では、それが心地よい。私は、この田舎で、小さな塾をしている。生徒数、十数人。小さなあるのかないのかわからないような小さな塾だ。昨日で、夏休み前半が終わった。今日からお盆休み。祖先の霊を慰めるための数日間。今日はのび放題になっている槙の木を刈ることにしている。せめて槙の木ぐらいは刈っておかないとお迎えするご先祖様も機嫌が悪いだろう。まあ、ご先祖様と言っても祖父が初代だから祖父母と父だけだが。と考えてみると、私にとってのお盆は、ご先祖様の霊を慰めると言うより、死者の霊を慰めると言った方が適当かもしれない。家のお墓には、その三人の他に若くして死んだ叔父叔母も眠っている。さらに私の兄もいるのだ。実は、私はこの三人について全く知らない。それもそのはず、いずれも私の生まれる前にもうすでにこの世を去っていたから。叔父叔母は、その当時では珍しくなかった結核によるものだ。兄は、事故であったらしい。一才か二才ぐらいのとき、家の裏の貯木場の水たまりの中でおぼれ死んでいたという。
 なにやら暗い雰囲気になってきた が、私は、この季節、やはり死者について思いを馳せてみたいと思う。この数年、大きな事件が相次いだ。地震災害、火山災害、集中豪雨、サリン事件、エイズ薬害そして今度のO-157による食中毒、その他いろいろ。いずれかと関係のある人も多いだろう。関係なくてもかまわない。関係のない人にこそ考えてもらいたい。いつ関わりあいになるかもしれないからだ。かつて、戦争が終わったとき、ほとんどの人は、もうこんな愚かな戦争などしまいと誓ったことだろう。当時、身内に死者のなかった人はなかったはずだから。しかし、それはもう風化しつつある。いくら知識で知ったところで、本当の感情はよくわからないし理解できないものだ。けれども、死者に対する気持ちは、普遍的に誰もが理解できることだと思う。それは限りない悲しみ、苦しみ、うめき....。人は死について考えるときだろう。それは、人権にも危機管理の基本的理念にも関わるものだろうから。

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4

「なにやら、難しいことを書いているわね。人権だとか危機管理だとか。私には、よくわからないわ。」
「そうだな。実際のところ私も詳しいことはよくわからない。でもね。人権というのは、基本的には人間が生きていく権利なんだと思う。憲法でも認められている基本的人権だね。だから、人の生命をその人の意志に反して奪うということは、人権侵害の最大のことだと思うんだ。殺人が刑罰の中でも一番重いのは、そういうところに根拠があるとね。でも、直接人を殺さなくても、その人が死ぬようにし向けるのはやはり同じことだと思う。最近のいじめによる自殺が社会問題になっているけど、なぜ、いじめが重大な人権侵害になるかというと、今いったような人を死に至らしめる行為だからだ。結構わかっていない人がいると私は考えているけどね。」
「ふーん。人の死に対して考えてみようというのはそういうことなのね。」
「そう。いくら人類の救済だといっても何の罪もない人を死に至らしめるなんてのはとんでもない。ただ、ナチスのように重大な人権侵害を犯した人に対しては、例外だよ。殺人者に死刑があるのと同じように。」
「ふーん。でも、やっぱり難しい。」

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5

 季節はもう秋になっている。ついこの間まで近くの土手には曼珠沙華が真っ赤に咲いていた。今はもう枯れてしまった。このところ毎年曼珠沙華の咲き方が異常にも思えるのは私だけだろうか。昔はこんなにまで曼珠沙華が一面真っ赤に咲き誇っていたことはなかったような気がする。私が知らないだけなのか。それとも何か他に原因があるのか。除草剤を散布して草を枯らしていたあぜ道でも曼珠沙華が猛烈な勢いで咲き誇っていた。他の雑草は除草剤によって勢いが止められ、曼珠沙華だけが勢いを増したのだろうか。そんなことを考えた。本当のことはわからない。
 今年は秋の訪れがいつもより早かったようだ。残暑というのがほとんどなかった。九月にはいるとすぐに涼しくなった。そのまま暑さはもう帰らなかった。どういう訳か虫の音は余り聞こえない。秋の夜長、一人物思いに耽っているといろいろな思いが頭をよぎる。これから世の中はどうなっていくのか。日本の将来は。様々な人が様々な思いを抱いているに違いない。政治経済、教育科学それぞれの分野の人がそれぞれの思いで何かを思索しているに違いない。こんな田舎にいて現実の社会がどんな風になっているのか知る由もないが、何となくそんな思いがよぎるのである。

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