ピュタゴラス派--その生と哲学 B.チェントローネ 斉藤憲訳 岩波書店 2000
随分昔のことだが、キリスト教学を勉強していた時期に、「史的イエス」という問題があった。それは、19世紀の文献学の発展から生じたことだと思うが、信仰上の「イエス」ではなく、歴史上の人物、「ナザレのイエス」像を構築しようとした試みであったように思う。
しかし、当時は、「史的イエス」の問題は、シュヴァイツァーの「イエス伝研究史」において、客観的なイエス像は作り出せず、それぞれ研究者の数だけの「イエス」像が形作られるだけで、「史的イエス」の問題は、それほど意味がなく、その研究は下火になっていたというようにとらえられていたように思う。そこでは、「ケリュグマ」が重要になっていたと記憶する。(このあたりは、明確に覚えているわけではないので、これぐらいで)
ところが、最近、どこかで、80年代にアメリカの神学界で再び、「史的イエス」の問題が浮上しているというのを読んだ。こうした問題は、常に起こってくる問題であるのだなと思ったのである。
この書物は、インターネットで「ピュタゴラス」を検索していて、見つけたものだが、その「訳者あとがき」に次のように書かれている。
「ピュタゴラスの名を知らない人はいないが,それではピュタゴラスが何者であったかというと,奇妙なことに誰
も正確には知らない.
この謎に満ちた人物はギリシアの哲学と数学の創始者であると漠然と信じられてきた.
ところが現在,ピュタゴラスはまず第一に宗教的な人物で,数学者や哲学者ではなかったと考える研究者が
多数を占める.
長年信じられてきた科学者・哲学者としてのピュタゴラス像を大きく揺るがしたのは,1962年のブルケルト(Burkert)の画期的な研究だった(本書の研究史概観を参照).
この著作をいわば分水嶺として,近年のピュタゴラス(および彼の弟子たち の集団であるピュタゴラス派)の研究は,後世の数学や哲学の教説が いつどのように誤って(あるいは故意に),ピュタゴラスやその弟子たちに 帰されたのか,そしてそれでもピュタゴラス本人に帰すべき教説や思想が 残るのか,ということに焦点を移している.もう一つの焦点は, ピロラオスやアルキュタスのような,ピュタゴラス派の独創的な思想家である.
このことに驚かれる読者も多いことだろう.ギリシアの学術の創始者としてのピュタゴラスのイメージはいまだに強く,研究者間の認識は一般のものとなっていない.
特にギリシア数学史ではこのギャップが著しい,今でも通俗的な解説書は「ピュタゴラスの数学」なるものを
長々と語り,時代遅れの誤りが再生産されている.」
少々過激な発言のようにも思えるが、私は、「史的イエス」の問題のこともあったので、いわば「史的ピュタゴラス」について語っているものだと、少し冷淡に見ていた。
歴史上のピュタゴラスが、どういう人物であるか、興味がないわけではないが、また、キリスト教学を学んでいたときは、私自身がクリスチャンでないこともあって、「信仰上(あるいは伝承)のイエス」よりも「史的イエス」の方に関心があったというのは本当であるが、それは、文献学上のことであって、歴史的に見れば、歴史に影響を及ぼしたのは、歴史上のイエス(あるいはピュタゴラス)ではなく、伝承のイエス(あるいはピュタゴラス)の方ではなかったかという疑念である。
つまり、この書について言うと、確かに「史的ピュタゴラス」の研究は重要であり、その価値は認めるけれども、それ以外に「伝承のピュタゴラス」があることも忘れてはならないというか、軽視してはいけないということである。もう少し言えば、「伝承のピュタゴラス」、例えばアリストテレスの語る「ピュタゴラス」、イアンブリコスの「ピュタゴラス」、プラトン主義者の語る「ピュタゴラス」が存在するということであり、それらが歴史を形作ってきたことも事実であろう。「史的ピュタゴラス」像でそれが説明できるわけではないと思う。
「史的ピュタゴラス」の文献学的研究の面白さは、あとがきにあるように「近年のピュタゴラス(および彼の弟子たち の集団であるピュタゴラス派)の研究は,後世の数学や哲学の教説が いつどのように誤って(あるいは故意に),ピュタゴラスやその弟子たちに 帰されたのか,そしてそれでもピュタゴラス本人に帰すべき教説や思想が 残るのか,ということ」を明らかにすることにあると思う。
私たちが、ピュタゴラスについて学ぶときに、重要なのは、様々な矛盾する「伝承のピュタゴラス」があり、それらから「史的ピュタゴラス」像を形成するのは間違いであって、「史的ピュタゴラス」は、綿密な文献学的研究によって明らかにされなければならない。この書で明らかにされているのは、その意味で最新の研究成果に基づいた「史的ピュタゴラス」像である、というべきではないだろうか。
最後になったが、アリストテレスのピュタゴラスの教説がピロラオスによるものであるとか、プラトン主義者が自分たちの教説の起源をピュタゴラスの権威に求めたとかいうのは、新しい知識で面白く、とても参考になった。「伝承史」という意味で。
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