上田閑照集 第1巻 西田幾多郎 岩波書店 2001
中国の数学通史 李迪編著 大竹茂雄・陸人瑞共訳 森北出版 2002
図説 世界の数学の歴史 R.マンキェヴィチ著 秋山仁監修 植松靖夫訳 東洋書林 2002
上田閑照集 第2巻 経験と自覚 岩波書店 2002
神はカオスに宿りたもう 合原一幸・黒崎政男著 アスキー出版局 1999
ピュタゴラス派--その生と哲学 B.チェントローネ 斉藤憲訳 岩波書店 2000

 

上田閑照集 第1巻 西田幾多郎 岩波書店 2001


 私が学生であった頃の、京都大学文学部哲学科の哲学の(西洋哲学史ではない)の教授は、野田又夫先生であったと思う。概論の授業を受けた記憶があるが、イメージとして、デカルト、特に「方法序説」を読まなければという気持ちにさせられたのは、この先生のせいであったようにも思う。儒学者風のカルテリアンと誰かが評していたが、そんな感じなのかなとぼんやり思った記憶がある。

 その後は、辻村公一先生であったと思う。この先生は、西洋哲学史の先生であった時に、講義を受けたことがある。印象としては、とにかく黒板にどでかい文字を書くのに度肝を抜かれたものだ。恐らく、当時授業を受けた人は、皆そう思っただろう。哲学専攻の人の話では、この先生は、授業では、プラトンとカントとハイデッガーを中心に読んでいたということだった。この先生は、武藤一雄先生と仲がよく、研究室へ行くとよくいらしたので、何度か話もしたこともある。私は、哲学科のキリスト教学に属していて、その先生が武藤一雄先生であった。

 その後は、酒井修先生であったように思う。この先生は、教養部で哲学の授業を受けた。ヘーゲルの「精神現象学」を日本語訳で読んでいた。結構厳しい先生で、遅れてやって来た学生は追い出されることもあった。当時としては、珍しい先生であったように思う。結構よい点を頂いたのでよく覚えている。ただ、現在、ヘーゲルはあまり好きではない。よくわからないと言うべきか。

 で、この後に哲学の教授になられたのが、この上田先生ではないのかな、と思っている。実は、私はもう大学を離れて田舎に帰っていてよく知らないからだが・・・。名前は知っているけれども、どんな人なのか知らない。どこかでお顔を拝見することがあったかも知れないけれど。

 「西田幾多郎」ついては、いろいろと書物が出ていて、私としては、西谷啓治や下村寅太郎の書物を読んだことがある。辻村先生や武藤先生は、西田哲学の話はよくされていた。(武藤先生は、田辺元の弟子だということではあったが。) 今回、何となく読んでみたくなったのであるが、伝記的なことが多く書かれていて、知らないことも多かった。しかし、一番印象に残ったのは、「宗教論」の部分だ。

 「それはともかく、禅と念仏への共通理解が西田の「宗教論」の一つの特色になっていますが、実は、それだけではなく、それといわば同心円をなして、仏教内の枠を超えて、キリスト教と仏教へのそれぞれに相応しい仕方での共通理解が際立っています。」

 「このように、禅から出ながら(禅に由来すると同時に禅の圏域から出てという両義性において「出ながら」)念仏を念仏として理解し、更に、同じ意味で仏教から「出ながら」キリスト教をキリスト教として理解することを可能にするようなところが西田哲学の「宗教論」にはあります。」

 「因みに、京大文学部で西田が一年間教授として担任した宗教学講座を継いだ波多野精一の、キリスト教に由来した西洋哲学の研究を土台とした著名な「宗教哲学」は、現在でも重要なものですが、仏教に関しては全く触れていません。」

 波多野精一については、著作を何度か読んだことがあるのだが、実は、西田幾多郎については、「哲学概論」という書物を除いて、「善の研究」も最後まで読んだことはない。読んでみたくさせる書物ではある。(ただし、難解であることはこの書でも折り紙付き)

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中国の数学通史 李迪編著 大竹茂雄・陸人瑞共訳 森北出版 2002


 これは、「李迪編著 中国数学史簡編 1984」の訳本である。

 中国の数学については、これまで次の2点

 中国の数学 藪内清著 岩波書店 1974 (岩波新書)
 中国数学史 銭宝j(王へんに宗)編 川原秀城訳 1990 みすず書房

しか参照できなかったのだが、そういう意味では嬉しい書物である。数学の内容に結構触れていて、そういう意味で、歓迎する人たちも多いような気もするが、私のように、純粋に数学に関しては門外漢、もっとはっきり言うと、苦手な者にとっては、ちらっと見るだけで読み飛ばした部分(特に後半)も結構ある。

 ただ、D.E.Smithを読むにあたって、役立ちそうな部分がかなりあった。

 例えば、「九章算術」の成立年代について次のように書かれている。

 「現在まで伝わっている「九章算術」が、いつ頃成立したかについてはいくつかの説がある。多くの人は、前漢末期から後漢初期の間と認めているが、それより早く前漢中期とする説もある。ただし「九章算術」が王莽の執政[9-23年]前に成立したことはありえない。
 その理由は、第一に前漢末の河平3年(紀元前26年)に、陳農が人々を全国に派遣して書物を求めたとき、尹咸が数術の書を校訂した中に「許商算術」と「杜忠算術」はあったが「九章算術」は存在していなかった。第二に陳農と同時代の劉向[紀元前77?-前6年]・劉きん(音へんに欠)[紀元前53?-23年]父子も、秘蔵書の校訂を行って目録書「七略」を作成したが、その中にも「九章算術」は見あたらない。この事実は、当時「九章」という書名の数学書が存在しなかったことを説明している。「九章」はおそらく劉きんと父親が「七略」を完成した後に、「許商算術」と「杜忠算術」を基礎に整理を重ねて成立したと考えらる。すなわち王莽の執政期間において、はじめて「九章算術」という名の数学書が生まれたのであろう。後漢時代になると、「許商算術」と「杜忠算術」は人々に利用されなくなり、やがて散逸してしまった。そのことは「九章算術」の出現と関係していたと思われる。つまり「九章算術」の内容が、前の二つの数学書に代わる役割を果たすことができたからである。」

 恐らく、現在の中国の文献学によれば、これが一番有力な説なのだろう。「九章」に書かれている内容は、かなり早い時代に遡れるとしても、「九章算術」という書物の成立については、そういうことである。

 前半部分では、西洋やインドとの比較が結構なされていて、そういう意味でも非常に面白い。宋・元時代までの中国の数学(特に代数分野)が世界の先端であったことがよく分かる。その後、西洋に遅れ、近代化の遅れは、日本にも遅れをとったことがきちんと書かれていて、現代の中国が数学に関心を寄せている様子が見て取れる。

 現代の中国の急激な経済発展、科学技術の重要性が数学への関心を一層高めているのではないかと思った次第である。

 「中国数学史 銭宝j(王へんに宗)」よりは、読みやすいと思ったので、中国の数学に興味のある人は、是非読んでみてください。

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図説 世界の数学の歴史 R.マンキェヴィチ著
秋山仁監修 植松靖夫訳 東洋書林 2002


 原本は、Richard Mankiewicz "The Story of Mathematics"である。

 一般向けの書物で、書名からも分かるとおりカラー図版の多いとてもきれいな書物である。

 「世界の」とは書いてあるけれども、基本的には、中世からの西洋の数学の歴史の流れが中心にあるというべきであろう。中世以前に関してその他の世界の歴史が出てくるだけである。現代の数学から過去を振り返るという視点から書かれているのだと思う。

 気づくことは、それだけではなく、純粋に数学の歴史というものではなく、歴史をたどりながら、それぞれの時代に数学がどのような分野で応用されてきたかという視点である。古代では、数学の発展に天文学が大きな役割をはたしたことはもちろん、ルネサンスでは「透視画法論」の話も出てくる。後半に「数学と現代美術」が出てくるところをみると、この著者は美術に関心が高いのかも知れないと想像した。

 さらに、近代天文学や物理学の発展に、どのような数学の発展があったのかというようなことが、わかりやすく書かれているように思う。現代については、やはりコンピュータ数学の話に興味がある。ゲームの理論からカオスの理論、経済学や生物学に数学がどのように絡んでいるのか、これを読んで分かるという話ではないとは思うが、そういう点にも触れていて、数学にあまり興味のない人にも読んでもらいたいと思う。

 とにかく、古代だけでなく、現代においても、数学がいかに多くの分野に関係しているかがよく分かっていいのではないかなと思った次第である。

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上田閑照集 第2巻 経験と自覚 岩波書店 2002


 哲学書としては、口語体で、わかりやすく書かれているのであるが、論を追って読んでいくことが求められるので、読むのには結構時間がかかった。しかし、読んでいて、よく分からないなと思っても、少し先を読むと次にはその疑問点に触れているという具合で、非常にわかりやすい書物であると思う。特に自覚のところでは、そう思った。

 面白いと思ったのは、デカルトとの比較分析である。

 「デカルトの場合、疑いからの転機が、疑いつつある者、「そう考えている私」という考えにあったわけですが、デカルトにおいて自明的であったその考えは、西田にとっては疑い得る--西田のいう意味において「人工的仮定」ではないかと疑い得るところが残っていたと言い得るでしょう。」
 「他方デカルトにとって、疑い得ないものを追究する方法としての疑いは、精神を感覚から引き離す働きでもあり、それがまた疑うという方法に対するデカルトの確信の所以でも有りました。もちろん、「感覚がわれわれを欺く」とデカルトが言うその感覚を西田が「真実在」に統合していたというようには言えません。そうではなくて、そもそも感覚というもの--と言うよりも(感覚というとすでに概念化が含まれますから)、具体的な「色を見、音を聞く」というそのことの経験の仕方がデカルトと西田において根本的に違うところがあるということです。デカルトにとっては「色を見る」ところにではなく、「色を見ていると私が考える」この考えにまで来てはじめて確実性が見られるわけです。」

 純粋経験を、言葉でなく、そのものを理解することは極めて難解であると思われるのだが、それはとにかくとして、それが自覚の問題に発展していくところ、場所の問題として発展していくところは、何となく理解できるようなきがした。(本当に理解できているかは別問題として)

 しかし、私には、その「場所」が、まだよく分からない。世界内に存在するものではないように思えるし、二重性ということをしきりに言っているということは、この世界そのものと言うことかも知れない。意識の問題としては、そういうことはあるかも知れないが、それでは意識内に留まってしまうのではないか。あるいは超越的ななにか「場所」なのだろうか。宗教論としては、それで成立するかも知れないが、それでは、なにか納得しないと言うか満足できないものが私には残っている。第3巻は「場所」であったような気がするので、それを続いて読んでみたいという気持ちである。何か納得させられるものが有るかも知れない。

 ところで、私は、以前「外部認識」と「内部認識」ということについて少し、考えたことがある。これは、具体的にあることを考えていたのだか、それについて少し書いてみたい。

 実は、それは「色を見、音を聞く刹那」と関係するのではないかと思ってのことだが、専門家でもない素人の意見なので、そのつもりで読んでもらいたい。

 一応、見ると言うことに限定して考えて見ることにする。

 何か見られるものがあり、それを見る眼という感覚器官があるとする。光の反射で、見られるものの光が眼という感覚器官に伝わる。それは眼の網膜を刺激し、そこから視神経を通して(何らかの電気信号だと思うが)脳に伝えられる。脳では、その刺激を受けて何らかの反応が起こるはずである。詳しいことは分からないので、一応何らかのタンパク質、ホルモンがそれに反応するとする。その状態が、ものが見え物を認識し思惟している状態であろう。

 これは、科学者が、何らかの仕方で観察できることであろう。こういったことを外部認識と呼んだ。さて、こうした外部での観察認識はできるとしても、その場合、その見られるものを見ている当人の感覚はどういうものであろうか。私たちが、物を見るとき、自分が見えているとおりに他の人が見えているという保証はない。ただ、多くの場合、自分の見ている物と同じように見えていると類推できるだけであるが、一般にはそれで何ら不都合は起きない。

 話をもとに戻そう。光が眼から神経を伝わって脳に達し、脳が何らかの反応を起こす、一体どの時点で人は、その物を映像でとらえそのものを物と認識しているのだろうか。内部認識と考えたのは、その当事者の物を見るという認識のことである。その外部認識で観察できたものと、内部認識(当事者の認識)との関連を知ることができるのか。

 私が考えているのは、「色を見、音を聞く刹那」というのは、光の刺激を受けてそれが脳に伝わり反応が起こる間のいずれかのことではないのかということである。脳に伝わって物が見え、それと同時に、それが何であるかと考え認識するその前の瞬間。

 西田哲学の「純粋経験」と「自覚」については、それでも納得のできる解釈であると私は考えているのだが、次の段階の「場所」については、どうだろう。脳内の一部の出来事なのか。「場所」というのは、脳内の視覚、あるいは認識、言葉を司る一部のことなのか。あるいは、それは、世界を超越した場所に開けるのか。それは一体どこなのか。あるいは、神という永遠の光が差し込むということなのか。それは一体何なのか。宗教論としては、そうした展開があっても不思議ではないと思うのだが、この内部認識内のできごとについて、科学はどう対処するのか、しているのか。外部認識で得られたデータをコンピュータに入力し何らかの数式でグラフィック化することによって内部の認識が画像で与えられるというようなことにはならないのか。そうしたことに、私は興味がいってしまう。少し、空想めいた話になってしまったが。

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神はカオスに宿りたもう 合原一幸・黒崎政男著 アスキー出版局 1999


 哲学者クロサキと工学者アイハラとの対談である。

 カオスについて大まかなイメージを得るには良い書物かな、と思った。専門的な話も、幾分くだいて話してくれているし、それでも分からないところは分からないが、それはこちらの知識不足ということだろう。

 印象に残った話を書いておくと、

 「我々が、まがりなりにも知っているのは、有限の世界であり、それは闇とも言うべく「無限」のごくごく一部にすぎない。あるいは、一部という言い方さえできないかもしれない。有限の集積が無限なのではなく、無限は、そもそも有限とはまったく次元を異にする存在なのかもしれないですから。」
 「決定論的カオス」という言葉を僕は好きなんです。決定されているのだけれどもカオスなのだという構造は、それを哲学でいうなら存在と認識の問題です。存在そのもののうちにカオスはあるのか、それとも認識がかかわったときカオスとして見えるだけであって、数理的、論理的には決定されているのかという、その問題が最後までやはり残ると思うんですよ。カオスの話って、決定されていることと決定されていないことの同時性ということですね。」
 「相対性理論と量子力学とカオスの研究の登場は、ニュートン力学が前提としている無限性が、実は有限だと認識したことと密接に関連しています。
 まず、相対性理論というのは、光速度が無限ではなく有限だということがひとつの背景になっています。また、量子力学は、プランク定数の逆数が無限ではなくて有限であるということが背景となっています。それから、カオスに関しては、数学的には、我々は実数を無限精度まで扱えるかのような立場で研究するけれども、現実には有限精度しか扱えないんだという認識をもとにしています。それによって、先ほどから話に出ている身近なレベルでの予測不可能性が出てきたのです。」

 話は、突飛な方へ進むが、前回の「西田哲学」の「場所の論理」を理解する上でのヒントになりそうな事柄が、ここかしこに散りばめられているように思えるのだが、さあ、どうだろう。少なくとも、二重性ということの意味に、「内在」ということを忘れていたことを思い出した。

 それから、肝心なことを忘れていたが、この書では、表計算ソフト(Excel)をつかって、カオスを体験できる方法が載っている。とりあえず、パソコンがあって興味のある人は挑戦してみてはいかが。恐らく、中学生でも十分可能だと思う。

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ピュタゴラス派--その生と哲学 B.チェントローネ
斉藤憲訳 岩波書店 2000


 随分昔のことだが、キリスト教学を勉強していた時期に、「史的イエス」という問題があった。それは、19世紀の文献学の発展から生じたことだと思うが、信仰上の「イエス」ではなく、歴史上の人物、「ナザレのイエス」像を構築しようとした試みであったように思う。

 しかし、当時は、「史的イエス」の問題は、シュヴァイツァーの「イエス伝研究史」において、客観的なイエス像は作り出せず、それぞれ研究者の数だけの「イエス」像が形作られるだけで、「史的イエス」の問題は、それほど意味がなく、その研究は下火になっていたというようにとらえられていたように思う。そこでは、「ケリュグマ」が重要になっていたと記憶する。(このあたりは、明確に覚えているわけではないので、これぐらいで)

 ところが、最近、どこかで、80年代にアメリカの神学界で再び、「史的イエス」の問題が浮上しているというのを読んだ。こうした問題は、常に起こってくる問題であるのだなと思ったのである。

 この書物は、インターネットで「ピュタゴラス」を検索していて、見つけたものだが、その「訳者あとがき」に次のように書かれている。

「ピュタゴラスの名を知らない人はいないが,それではピュタゴラスが何者であったかというと,奇妙なことに誰 も正確には知らない.

この謎に満ちた人物はギリシアの哲学と数学の創始者であると漠然と信じられてきた.

ところが現在,ピュタゴラスはまず第一に宗教的な人物で,数学者や哲学者ではなかったと考える研究者が 多数を占める.

長年信じられてきた科学者・哲学者としてのピュタゴラス像を大きく揺るがしたのは,1962年のブルケルト(Burkert)の画期的な研究だった(本書の研究史概観を参照).

この著作をいわば分水嶺として,近年のピュタゴラス(および彼の弟子たち の集団であるピュタゴラス派)の研究は,後世の数学や哲学の教説が いつどのように誤って(あるいは故意に),ピュタゴラスやその弟子たちに 帰されたのか,そしてそれでもピュタゴラス本人に帰すべき教説や思想が 残るのか,ということに焦点を移している.もう一つの焦点は, ピロラオスやアルキュタスのような,ピュタゴラス派の独創的な思想家である.

このことに驚かれる読者も多いことだろう.ギリシアの学術の創始者としてのピュタゴラスのイメージはいまだに強く,研究者間の認識は一般のものとなっていない.

特にギリシア数学史ではこのギャップが著しい,今でも通俗的な解説書は「ピュタゴラスの数学」なるものを 長々と語り,時代遅れの誤りが再生産されている.」

 少々過激な発言のようにも思えるが、私は、「史的イエス」の問題のこともあったので、いわば「史的ピュタゴラス」について語っているものだと、少し冷淡に見ていた。

 歴史上のピュタゴラスが、どういう人物であるか、興味がないわけではないが、また、キリスト教学を学んでいたときは、私自身がクリスチャンでないこともあって、「信仰上(あるいは伝承)のイエス」よりも「史的イエス」の方に関心があったというのは本当であるが、それは、文献学上のことであって、歴史的に見れば、歴史に影響を及ぼしたのは、歴史上のイエス(あるいはピュタゴラス)ではなく、伝承のイエス(あるいはピュタゴラス)の方ではなかったかという疑念である。

 つまり、この書について言うと、確かに「史的ピュタゴラス」の研究は重要であり、その価値は認めるけれども、それ以外に「伝承のピュタゴラス」があることも忘れてはならないというか、軽視してはいけないということである。もう少し言えば、「伝承のピュタゴラス」、例えばアリストテレスの語る「ピュタゴラス」、イアンブリコスの「ピュタゴラス」、プラトン主義者の語る「ピュタゴラス」が存在するということであり、それらが歴史を形作ってきたことも事実であろう。「史的ピュタゴラス」像でそれが説明できるわけではないと思う。

 「史的ピュタゴラス」の文献学的研究の面白さは、あとがきにあるように「近年のピュタゴラス(および彼の弟子たち の集団であるピュタゴラス派)の研究は,後世の数学や哲学の教説が いつどのように誤って(あるいは故意に),ピュタゴラスやその弟子たちに 帰されたのか,そしてそれでもピュタゴラス本人に帰すべき教説や思想が 残るのか,ということ」を明らかにすることにあると思う。

 私たちが、ピュタゴラスについて学ぶときに、重要なのは、様々な矛盾する「伝承のピュタゴラス」があり、それらから「史的ピュタゴラス」像を形成するのは間違いであって、「史的ピュタゴラス」は、綿密な文献学的研究によって明らかにされなければならない。この書で明らかにされているのは、その意味で最新の研究成果に基づいた「史的ピュタゴラス」像である、というべきではないだろうか。

 最後になったが、アリストテレスのピュタゴラスの教説がピロラオスによるものであるとか、プラトン主義者が自分たちの教説の起源をピュタゴラスの権威に求めたとかいうのは、新しい知識で面白く、とても参考になった。「伝承史」という意味で。

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