モテトゥスの発展
すでにウスター写本(Worcester manuscript)のアレルヤ「Nativitas」を議論したときにヒントが与えられていたように、モテトゥスの初期の形態は、クラウスラに言葉が付け加えられたということ以上に複雑なものは何もなかった。クラウスラは、単旋律聖歌へのハーモニーの追加で、それ故トロープスであった。また、同様にモテトゥスはクラウスラへの言葉の追加、すなわちトロープスである。この拡張は、論理的に避けられないものであったが、どの段階で言葉が付け加えられたか証明することは困難なままである。クラウスラの形成の初期の段階であったのか、後に、音楽が次第にヨーロッパ中に広まった時に起こったのか。ラテン語は共通語であったので、テキストが地方の聖人に言及したり、写本の中の証拠がすべての疑いを晴らすに十分強いものである時に、音楽の一つの曲の明確な起源を述べることができるだけである。にもかかわらず、修道院の詩人たちや作曲家たちの活動、相互活動には何の疑いもない。彼らは(トルバドールやトルヴェールのように)しばしば二つの機能を結びつけていた。
モテトゥスの歴史を調べる前に、その経歴のより広い局面についても考えておこう。それは、十分奇妙なことだが、単一の真っ直ぐな発展の線というより、むしろ円運動のようなものである。モテトゥスは、広く様式であり、形式ではなかったので、その変質は単なる一つの基本的な考えのいろいろな音楽、またテキストの変形としてより容易に理解される。その最も初期の段階で、クラウスラに言葉を付け加えたことから、モテトゥスが結果生じたと仮定すると、モテトゥスは(その最も単純な形式において)テノールと呼ばれる下声部とモテトゥス(mot=言葉)の上声部とからなっていることになるだろう。テノールは、常に、もとのオルガヌムの一部だから、それは2,3の言葉、あるいは恐らく唯一つの単語、あるいは言葉の1,2音節だけしかないこともあるが、それを持っているだろう。ペロティヌスの例は、こうしたあらゆる種類の証拠を見せてくれる。「ex semine(2語)」「Marie(1語)」と「tibi(2音節)」、これらの言葉の末尾は、中世の歌い手たちがクラウスラの元の資料を同一視するのに十分だった。今日では、そのいくつかは曖昧である。特に「Go」(virgo)。「Reg」(regnum)や「Doce」(docebit)のような中途半端な断片では。
このテノールは、ソリストを伴奏するのが仕事である歌い手のグループによってずっと歌われてきたのかも知れない。あるいは、オルガニストによって演奏されたのかも知れない。こうして、より華麗な上声部を歌った歌い手たちは、しばしばパラフォニスタ(paraphonistae)と呼ばれ、オルガニストたちはオルガナトール(organatores)と呼ばれた。作曲家はオルガニスタ(organista)と言及された。純粋な声の現象として、上声部でテキストのあるクラウスラを演奏する効果は、多くの原文を示すこと(suggest polytextuality)であるだろう。なぜなら、モテトゥスが完全なラテン語のテキストを朗唱し、その時点でオルガヌムの主題(テーマ)を述べている間に、下声部(あるいはテノール)は、必要な末尾の言葉を発する。しかし、一度発せられると、この末尾は相応しい母音で歌って引き伸ばされ、そのため、急激に弁じ立てる上声部と堅実に歌う下声部との結びつきが多テキストとして描くことはできない。それが写本においてどのように見えようとも。それは、ただ多テキスト性を示唆することができるだけである。
しかし、初期のモテトゥスの最も重要な特徴の一つが、多テキスト性であるというのは、全般に真実である。そして、これは、その絵画に第3声部が入るとすぐに明らかになる。この第3声部、すなわちトリプルム(triplum)は、普通、それ自身のテキストを持っていて、音楽も言葉もモテトゥスのものとは異なっていた。クラウスラは、2声でも3声でも、4声のためでもありえたので、次には、作者はテノールの上に一つ、二つ、あるいは三つの異なる別のテキストを加え、このようにして、クラウスラをそれぞれモテトゥス、ダブル・モテトゥス、トリプル・モテトゥスに変換した。
モテトゥスがクラウスラから成長して離れ、比較的独立したものになり始めると、その頃には、作曲家たちは、先ず、上声部を取り除き、残りのもの、テノールを全く新しい作曲の基盤として用いることを考えた。これらの新しい作品、そのうち何百かは13世紀に書かれたものだが、そのいくつかは、今日でも本質的に典礼のものとして残っていた。なぜなら、そのテキストは、テノールのテーマについての注解であって、テノール自体は一度だけ歌われ、演奏されたから。世俗のラテン語とフランス語のテキストを追加して、また、テノールの旋律を二度以上繰り返すことによって作品を長くする傾向を伴って、その分離(クラウスラからの独立=訳注)は完成した。しかし、モテトゥスの発展のまさにこの点で、上でほのめかされた世俗の きは、それ自身を明らかにし始めた。モテトゥスの作曲への全般的な没頭(熱中)は、クラウスラもコンドゥクトゥスもともにほとんど忘れられたということを意味した。そこで、歌い手たちが、新しい代わりのクラウスラを必要としたとき、彼らには代わりのものが全くなく、モテトゥスのテキストを省略し、歌われるクラウスラとしてその音楽を演奏するというように、その過程と逆のことをしたのである。
これが、アレルヤ「Nativitas」のウスター版でまさに起ころうとしたことである。ウスター写本の作曲家は、ペロティヌスのクラウスラ「ex semine」とモテトゥス「ex semine」の音楽が非常に似ていることを理解した。主な違いは、Abrahe divino moderamine と Rosa prodit spine fructus olee の音節的なテキストに伴う特別な種類の記譜やクラウスラに反対するように満足のいくよう丸められた結果にモテトゥスをもたらした若干の異なるエンディングといった極めて表面的なものだった。それ故に、彼のしたことはオルガヌムのためにクラウスラを作るテキストを取り除くことを考えることであったが、両方のテキストを取り除く代わりに、彼は一つ Abrahe divino を保持することを決めた。このテキストは音楽の3つの節(連)(staves)の下に書かれているけれども、上の二つの声部とだけ適合している。それらは同じリズムで動き、同じテキストを歌い、こうしてその効果は以前存在していたテノール上で歌われたコンドゥクトゥスの効果である。
形式と様式とのこの緊密な相互作用、そしてオルガヌムとディスカントゥスとの、コンドゥストゥスとクラウスラとの、また、モテトゥスとコンドゥクトゥスとの繋がりから、中世の音楽のこれらのタイプが如何に驚くべき相互の依存関係にあるかが見て取れるだろう。人が、如何に明確にそれらを分け、厳密なカテゴリーに分類しようとしても、平行した独立の現象としてあたかも分類されるのを望んではいないかのように、様々な型が互いにくっつきあっているように思える。この中に、強い相互関係への傾向と中世の精神の微妙さと多様性のようなものが見られ、それは、恐らく三位一体や数の調和の教義の何らかの実際上の反映だろう。
レオニヌスのオルガヌムであった木の生長は、その下のいくつかの枝まで、ペロティヌスの後の広がり、コントラファクタ、クラウスラ、そしてモテトゥスまでずっと跡づけられている。より高い枝では、私たちは世俗のモテトゥスの確立を速めることになった新しい様式と出会う。コントラファクタ、すなわちラテン語でも典礼用でもない新しいテキストである。実際には、それはフランス語であった。以前議論された民族的傾向が、英語、ワロン語、ドイツ語そしてプロヴァンス語のテキストの例をもたらしたのも至極当然のことであったが。ウスター写本のコンドゥクトゥス・モテトゥスの様式が、再び同一の音楽に基づく作品の中に見いだされる。Abrahe divino を歌う代わりに、二つの上声部は、今やその音節がなんら過度のねじれ(ゆがみ)もなく適合するよう作曲された愛の歌「Se iai ame」を歌う。以下は、この音楽の宗教的起源を絶えず思い起こさせるものとしてのテノール「ex semine」である。別の詩人は、さらに、同じ音楽で13世紀初期のフランスの写本の中にある異なる愛の歌を作っている。そして、今度はそのテキストは2声部の下の方だけに書かれた Hyer mein trespensis である。上の声部は完全に除かれ、その結果、事実上、ハープ、ヴィオル、あるいは送風(管)楽器のための簡単な伴奏のある1声部の歌となっている。この音楽の縮小された形式は、Sei iai ame や Abrahe divino さえの上声部の除去に見られるように、その世紀の終わり頃大流行した。ルネサンスには、同様のソロの歌への動きがあった。その時代、ミサのパッセージがリュートの伴奏の一声部の曲に編曲された。
典礼用のモテトゥスとそれに対応する世俗曲の間の違いは、必ずしも確かで確固としたものではなかったかもしれない。ちょうど、彼らが望んだように、フランス語とラテン語のテキストの混ざり合った陽気なディスカントゥスの音楽家と直面したとき、優れた教会人たちが不快感を示した十分な証拠がある。モテトゥスの全盛期の前でさえ、サリスベリーのジョンは「オルガヌム化された」音楽について書いていた。
もし、あなたが芸術のあらゆる方策を用いて実行されたこれら気力の失われた演奏の一つを聞くなら、あなたはそれを人間の合唱ではなく、セイレーンの合唱だと思うだろう。そして、あなたは、実際に、オウムでもナイチンゲールでもなく、この種のより著しい他のどんなものも比較できない歌い手たちの腕前に驚くだろう。この腕前は、音を分割したり、繰り返したり、フレーズを繰り返したり、声が共にぶつかり合ったりして、上下に走る長いパッセージに示されている。一方で、これらすべてにおいて音階の高い、あるいは最も高い音でさえ、下のまた最低音と混ざり合って、耳はほとんど区別する力を奪い取られてしまうほどだ。 |
時に、汝らは、歌うためではなく、息を閉じこめ、沈黙の前触れを示すように、ある滑稽な声の遮断によって、いわば、最後の息(喘ぎ)を吐き出すために、そして、今再び、瀕死の男の呻きやそうした苦しみの恍惚感を真似ようと口を開けている人を見るかも知れない。 |
譜例 26
二つの対応するフレーズは、輝かしい4声 O quam glorifica/O quam beata/O quam felix の中にも現れる。そこでは、今再び、テノールの全音域は、極めて狭い。今回は、それは増6度だけしかカヴァーしていない。すでに小さな音域のその半分以下しか Virgo regalis のテノールはカヴァーしていない。というのは、3つの音、F,G,Aしか使われていないから。そのペスのパターンは、FGF,GAF,GGFだけであり、ペスの長さに応じて一定の間隔で音楽とテキスト両方を交換する2声部の下で繰り返される。声部1は言葉を発し、声部2は歌う。それから、声部1は声部2がちょうど歌ったばかりの音楽とテキストを取り上げ、声部2は、声部1の放棄した音楽をヴォカリーズする。もちろん、耳への効果は、確かに二つの人間の声が正確には決して調和されない若干の音色の変化を伴っているが、単に繰り返しの効果に過ぎない。この種の声の交替は、モテトゥスの古典的な特徴であった。そして、ホケトゥスがいかに長く続いたかということなく、一世紀以上十分繁栄した。
ウスターの曲集には、ミサのトロープスの多くのポリフォニーの曲が含まれている。これらは、本来のトロープスとは違って、アレルヤの旋律との繋がりは全くない。モテトゥスがオルガヌムと繋がりがない(2,3の例外を除いて)と同様、それ自体がトロープス化されたグロリアのトロープスの二つの例の他に、キリエとサンクトゥスにトロープスがある。Regnum tuum solidum は、O rex glorie で始まる別の改竄のために、まさにその言葉で中断されている。同様に、(聖母マリアのミサのための)Spiritus et alme のトロープスの最初の部分は、「(Spiritus)procedens a patre, venis mundi regnans per aera (orphanorum paraclite)」(トロープスへのトロープスは、ローマン体で示されている)の代わりとなった。しかし、これらのすべての過剰な洗練や極めて霊妙な曲の中に、今日でも歌うことができ楽しむことのできる多くの優れた力強い曲がある。Alleluia psallat, Fulget celestis curia やトーマス・ア・ベケット(Thomas a Becket)のすばらしい4声のモテトゥス「Thomas gemma Cantuarie」。13世紀が終わりに近づくまでに、アングロ・サクソン的な角の多さが、重要なカデンツァの地点で、時折、5度プラスオクターヴの形式を伴う6−3コード(six-three chords)(あるいは、しばしば呼ばれるように第一転回コード(chords of the first inversion))の連続に基づく流麗で安らぎを与える単純な作曲法によって滑らかに去れ始めた。
この様式の有名なウスターの例は、モテトゥス Beata viscera であり、その広範な人気と急速な成長は、それが作曲されえた、あるいはむしろ即興されたその気楽さに、少なからぬ程度、よるものであった。必要とされたのは旋律だけであった。上に下に、あるいはその周りに、他の歌い手たちは、もとの旋律のすべての主要な音曲に従って平行するパートを付け加えた。これら他の歌い手たちは、典礼用であれ世俗のものであれ、何かそれまでに存在していた旋律に適用されうる規則に応じて演奏した。そして、その結果、一種の中世のゲブラウフスムジーク(Gebrauchsmusik)、すなわち実用音楽(utilitarian music)であった。それは、「イギリスのディスカントゥス(English discant)」(その調べが最低(下)声部にあるとき)、また「フォブルドン(fauxbourdon)」(その調べが最高声部(treble)にある時)として様々に知られている。しかし、それがその間のパートにあることも極めてしばしばで、この種の作品は厳密な定義によっては、いずれのカテゴリーにも属さない。純粋な音に関して言うと、それはいずれとも非常に近いのだけれども、同様に、よく知られている。二重ランセット(先鋭)やトレフォイル(三葉形)の建築のパターンが、一つの位置にではなく、時に回廊の地面のレベルに、またある時は、聳え立つ明かり層(clerestory)の高さに見出される。中世の芸術家や音楽家の心は、決して狭いということはできない。