コンドゥクトゥスとクラウスラ

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コンドゥクトゥスとクラウスラ

 コンドゥクトクスは、いくつかの重要な点で、オルガヌムと異なる。その最も顕著な特徴は、純粋に音楽的な観点からは、2声であれ3声であれ、4声であれ、すべてのパートでのリズムの類似性にある。規則的なアクセントのある単純なリズム構造を持つことが本質的なことである。というのは、コンドゥクトゥスの主な使用は、その名が暗に示しているように、司祭や助祭を祭壇から聖歌隊の階段に導き、そして元の戻る時であったから。レスポンソリウムの聖歌の詩は、しばしばその階段で(gradus そこからグラドゥアーレという名が由来する)歌われ、そのため行列は、特に大きな建物ではしばらく時間がかかった。複雑に変化するリズムは、明らかに、その行列の歩調を乱しただろう。そのように、コンドゥクトゥスは、典礼の問題を解決する実際的なものとして生み出された。
 第二の特徴は、単旋律聖歌のないことであった。オルガヌムとそれに従属するディスカントゥスの作曲家が、単旋律聖歌を基盤として用いなければならなかったのに対して、コンドゥクトゥスの作曲家は、自らの旋律を作曲するか、借用しなければならなかった。十分奇妙な事だが、いくつかのコンドゥクトゥスの曲では、ペロティヌスやその弟子たちが古いオルガヌムに挿入するために書いた音楽の短い一節が借用されている。こうして、単旋律聖歌がコンドゥクトゥスに姿を見せることがあるが、それは、偶然に、比較的小さな断片においてだけである。コンドゥクトゥスの他の重要な面は、そのテキストであった。それは、最も低い声部の下にだけに、常に書かれているが、すべての声部が同じリズムで進行するので、上の声部を歌うものにとって、テキストを覚え、それらが沿っている音に合わせるのは全く容易なことであった。
 中世のドイツのある理論家は、コンドゥクトゥスを作曲する手順を次のように描写している。
 先ず、考えられる限り最も美しい旋律を選びなさい。それから、それにすべて示した方法でディスカントゥスを書きなさい。もし、第三声部を付け加えたいなら、その旋律とディスカントゥスを注意深く見、第三の声部がその二つと不協和にならないようにしなさい。
 言い換えると、新しいパートが--曲のどの点でも--旋律と不協和になり、伴奏の声部と協和するなら(あるいはその逆)、その結果は完全に正しいものになるだろう。それは、時と共に修正され、作曲者が作曲していた国によって幾分変えられていたが、これは広くハーモニーの実践に従っており、中世音楽のスパイシーな香りの多くを説明している。
 知られているコンドゥクトゥスの曲集の全く 2/3 が明らかに典礼のものである。その音楽は、特別な祝祭日に書かれたもので、それ故に、言葉のテキストの多くは、朝課で聞かれる聖人たちの生涯(伝記)から取られた読み物を釈している。降誕祭(クリスマス)、四旬節(レント)、復活祭(イースター)、そして聖霊降誕祭(Whitsun)のために書かれたコノドゥクトゥスは、しばしば華やかなテキストのない前奏曲(序曲=プレリュード)や後奏曲(postlude)が加えられて装飾されている。これらは、楽器に割り当てられていたかも知れないが、遙かにもっとありそうなのは、ちょうど長く引き伸ばされたオルガヌムがそうであったように、絶妙な母音の音に合わせて歌われたかも知れない。疑いなく、中世の歌い手たちは、今日知られているどんなものより、遙かに進んだヴォカライジング(母音を用いて歌う)技法を身につけていたから。
 うまくなめらかに演奏されると、コンドゥクトゥスは、歌い手にとっても聞き手にとっても同様に、特別に満足のいく経験になったに違いない。なぜなら、それは、音楽的な装飾楽句で始まり、行列の歩調を整え、祝祭日や聖人が祝われる音節的な部分へと続き、別の装飾楽句で終わったから。やがて、それが教会そのものにおいてでなくとも、国家の祭典や教会の周辺(境内)で催された特別の儀式に用いられ始めたとしても驚くべきではない。司教座聖堂参事会の総会や同様の荘厳な集会は、しばしば、これらの新しいほとんど世俗のコンドゥクトゥスの演奏によって活気付けられたに違いない。そのことは、後に、詳しく扱われるだろう。
 音楽の素材の借用や作り直しは、音楽史の中で、最も頻繁に生じた現象の一つである。先に述べたように、コンドゥクトゥスの作曲家たちは、他の資料からしばしば借用しているし、同様に、オルガヌムの作曲家たちは、存在している曲を採り入れたり、興味と響きとをともに増大させるために声部を付け加えたりした。これらすべてのことは、後のミンネゼンガー(Minnesinger)(p.257を見よ)、彼らはより以前のトルヴェールから旋律を借用した、あるいは、15世紀の通作ミサの作曲家たち、彼らは敬意からであったり、時間を節約するためにそれまでの曲を「パロディ化した」のであるが、それらと比較してみるのも有益であろう。16世紀は、あらゆる種類の編曲と編集で溢れている。一方、続くバロック時代は、借用の達人であった二人の偉大な人物、ヴィヴァルディからバッハとテレマンからヘンデルまでにおいて頂点に達する。いずれの場合も、その借用は、効果的に改良されていることから正当化された。そして、全く同じ事が、中世の作曲家たちについても真実である。
 例えば、コンドゥクトゥス「Si membrana esset celum」の最初の音節的な部分は、「celum」という言葉上で3声すべて華麗なパッセージで終わる。このパッセージの最も低い声部の旋律は、キリエのトロープス「Celum creans」で音対音で対応する。明らかに作曲者は、正にこの言葉で始まるキリエのトロープスの一つの言葉「celum」を思い起こしていた。そして、それであたかもその関連を強調するかのように、彼は、その旋律全体を引用したのだった。このように、それまで存在していたトロープスが、ここでは、コンドゥクトゥスを「トロープス化する」ために用いられている。言葉が示唆しているまさに同様の例が、2声のコンドゥクトゥス「神は万物を創造し給い(Deus creator omnium)」の中に見いだせる。その最後の二行は、次のように読める。

  regnante sine tremino
  benedicamus domino

 最後の単語が基づいている旋律は、最もよく知られた「Benedicamus Domino」の聖歌の一つと正確に対応しており、コンドゥクトゥスの終わりは、実際、典礼のオルガヌムのミニチュアの曲である。さらに、一層微妙な例は、コンドゥクトゥスの「Columbe simplicitas」であり、それは最後に、「Dues creator omnium」においてのように、テキストに絶対必要な部分としてではなく、随意の付け足しとして「Benedicamus Domino」を持っている。それは、確かに、単旋律聖歌に基づいているが、Benedicamus の単旋律聖歌にではない。そうではなくて、それを支えているのは、聖ステパノの日のグラドゥアーレ「Sederunt principes」の詩行、Adjuva me _Domino の三番目の語「Domino」の「ne」の音節上の華やかなパッセージから来ている。この華やかなパッセージは、同じタイプの他の多くのパッセージとともに、(例えば)レオニヌスの「Sederunt Principes の中の対応するパッセージの代用として必要とされるまで、オルガヌム大全集の中に保存された。中世の著述家たちは、この代用の部分をクラウスラ、あるいはプンクトゥムとして言及した。
 レオニヌスのオルガヌムは、頑丈な木々が十分ある空間の一区画に喩えることができる。その木は、接ぎ木され非常に高く太く生長し、枝を伸ばし音楽のあらゆる分野で実を実らせる。一つのオルガヌムの根から生じた異なる音楽形式や様式の発展を跡づけることは魅力あるだけでなく、ためになることでもある。もちろん、出発点は単旋律聖歌であり、選ばれた例は、アレルヤ(Alleluia)、聖母マリア生誕ミサで歌われた Nativitas gloriosae virginis である。レオニヌスの二声のオルガヌムは、そのオリジナル版では次のように演奏されただろう。ユニゾンのコーラスで単旋律を歌うパッセージは、ローマン体で示された。オルガヌムは、イタリック体で、ディスカントゥスは大文字で示されている。
  alleluia alleluia-a-a-a nativitas GLORIO-o-o-o-se VIRGInis marie-e-e EX SEMINE-E-E-E abrahe orta de TRI-i-i-i-bu JU-u-u-u-da clara ex stirpe david [alleluia-a-a-a]
 音楽のテクステュアにおける微妙な変化によって重要な単語の初めを強調するレオニヌスの手法は、容易に理解できる。オルガヌムとディスカントゥスの部分は、全体にうまく対照化されている。(繰り返される母音は、純粋に図式化するためという理由から三つのまとまりで示されているが、実際には、その部分は長さにかなりの違いがある。)新しい言葉がディスカントゥスで始まり、オルガヌムでどれだけしばしば終わるかに気づかれるだろう。一つの意義深い点--「ex semine」--では、ディスカントゥスがその最後の母音のまさに終わりまで続くのだけれど。このことの重要性は、モテトゥスの出現が認識される時に見られるだろう。別の写本には、このオルガヌムの後のヴァージョンがある。音のいくつかは異なっているが、非常によく対応しているものもある。最後には、オルガヌムの最初の「アレルヤ(Alleluia)」を繰り返さず、新しく作曲された「アレルヤ」が、もちろん同じ単旋律聖歌を用いてだが、用いられている。
 次の重要な段階は、ペロティヌスの、この単旋律聖歌の再度の作曲と共に来る。彼は、3声の曲を作曲し、それは若干異なった4つのヴァージョンで知られている。そして、彼はレオニヌスが自分の曲でしたよりも多くのディスカントゥスの部分を導入し、こうして長さを短くし、さらに対照を強めている。
  alle-E-E-E-LU-ia Alleluia-a-a-a NA-TI-VI-i-i-i-tas GLORIO-o-o-o-se VIRGINIS MARIE-E-E-E EX SEMINE-E-E-E-e-e-e abrahe orta de TRIBU JUDA-A-A-a-a-a clara ex stirpe david. [alle-E-E-E-LU-ia-a-a-a]
 このアレルヤ(Alleluia)の別の三つの曲がウスター(Worcester)写本の中に見い出される。それは、ペロティヌスの版とディスカントゥスが EX SEMINE で始まる点を除いて完全に異なっている。ここでは、ウスターの作曲者は、ペロティヌスのクラウスラを一音一音借用しているが、歌い手たちに最後の E でヴァカリーズ(母音)で歌うことを許す代わりに、ペロティヌスのクラウスラに基づくモテトゥスを一般に連想させる二組の言葉の一つを使っている。これらの言葉は、こうしてオルガヌムをトロープス化している。それは、ここでは括弧の中に示されている。

  .. EX SEMINE ABRAHE [DIVINO MODERAMINE
   IGNE PIO NUMINE PRODUCIS DOMINE
   HOMINIS SALUTEM PAUPERTATE NUDA
   VIRGINIS NATIVITATE DE TRIBU IUDA
   IAM PROPINAS OVUM PER NATALE NOVUM
   PISCEM PANEM DABIS PARTU SINE SEMINE] ORTA DE ...

 この「オルガヌムの埋め込まれたモテトゥス(motet-embedded-in-organum)」は、ある時には一般的ではない作曲法のほとんど唯一の例であると考えられていたが、今では、そうした実践は、かなり一般的であることが知られている。恐らく、テキストのないクラウスラの代わりであったのと同じようには標準的ではなかったけれども。
 純粋に音楽的観点から見て、それほど重要でないものに、オルガヌム全体に数組の言葉を交互に付け加えるという、一般にコントラファクトゥム(contrafactum)として知られる方法があった。高い人気を博する曲は、本来意図されていたものとは別の典礼の場合への使用が強いられるというのは避けられないことだった。こうして、レオニヌスとペロティヌスの音楽は、ある写本では、別の代案のテキストが付けられている。これらの一つが Optimam Partem(アレルヤの詩、マグダレナの聖マリア)であり、もう一つは、Diffusa est gratia (アレルヤの詩、処女マリアと殉教者)(Alleluia Verse, St. Mary Magdalene)(Alleluia Verse, Virgin & Martyr)である。万聖節'(All Saints' Day)は、新しいテキスト、アレルヤの Judicabunt sancti を付け加えることで表現される。一方、コンポステラの絶えざる影響は、聖ヤコブ(St. James)の祝日のための特別なアレルヤ Santissime Jacobe の中に見られるだろう。全般に、これらの新しいテキストは、何ら音楽的変化を伴っていない。時に、それらは歌い手たちが両方の版を手に持てるように、固有のテキストの下に書かれることさえある。
 クラウスラの主な目的が、存在するオルガヌムを短く美しくすることであった一方で、その副次的な効果は、一つの基本的枠組みの中で歌い手に万華鏡のような組み合わせの多様性を提供することであった。一つのグラドゥアーレやアレルヤには、代用のクラウスラが挿入されうる場所がいくつも含まれており、説明の目的のために、それらは、a, b, c, d, e, f と呼ばれることになる。これらの多くは、声の様々なグループのために異なる形で存在し、それで、有効な曲の総数は、例えば、a が4,b が2、c が2、などのようになるだろう。それから、歌い手たちは、a1, b2, c1, d3, e1 と f4 を、あるいは、恐らく、a3, b1, c2, d3, e1 と f2 を使うことを決めたかも知れない。可能な組み合わせの数は莫大であった。私たちのアレルヤ Nativitas の場合、代用のクラウスラが挿入できるところが5つ知られている。最初の「アレルヤ」(Nativitas の)「tivi」の音節、「Marie」と「ex semine」という単語、そして最後に「Abrahe」の[Abra」の音節。

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