アカイア人の貴族社会に属する吟遊詩人たちは、叙事詩の語りの吟詠
に、声の旋律的図式を用いた。こうした定型は、ギリシアへのドーリア人の侵入による深い変化の後も、ホメロスの詩の中で伝えられた。紀元前7世紀から、叙
情詩人たちは、人間の精神と身体との徳(カロカガティア)を讃えていた。それは、都市国家(ポリス)の民主主義といわゆる僭主政治へ移行していく中でも、
まだ有効であった貴族の概念に属していた。紀元前5世紀には、このイデオロギー体系は、アイスキュロス、ソフォクレス、そしてアリストファネスによって歓
迎されていた。
エウリピデスが、貴族的イデオロギーから離れ、下層の階級の感受性に近づいた時(それは、現代の分類法を用いるなら「中産階級(ブルジョワジー)」と定義
しうるだろう)、音楽の意義は、深い変化を遂げ、詩人音楽家の姿は、2つの異なる専門家と決定的に分かたれた。
続いて、紀元前4世紀に始まる一般にヘレニズムと定義される時代では、古代の役割機能から音楽の独立が生じ、明らかに音楽内に変化が起こった。この変化
は、プラトン思想やアリストテレス思想の様々な音楽論に描かれている。
ヘレニズム時代の音楽活動は、複雑な人々によって為された。俳優であり音楽家であり作家である人によって。彼らは、様々の社会階層によって、また、東方や
ギリシア・ローマ文明の広大な地域の中の様々な民族によって形成されたごちゃ混ぜの民衆の要求に応じていた。そうした人物は、現代の「大根役者」あるいは
「名人巨匠」という人物像と比較することができる。
古代世界においては、それ故、音楽は、3つの局面を通過した。
貴族社会の環境の中で、詩と統合した音楽、「ブルジョワ階級」社会の環境で、詩や演劇から比
較的独立した音楽、そして、開かれたコスモポリタンな社会環境の中で、充分自立した音楽。