惣田正明のホームページ

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last updated 97/07/25
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初めての方に

惣田正明のホームページへようこそ


 これまでほんの少数の人に「落書き帖」なるものを送付してきたのですが、今回、ホームページを作って一般の人にも読んでもらおうと思いました。不特定多数の人に読んでもらうのには、若干の抵抗もあったのですが、中には興味を持っていただける人もいるのではないかと期待しています。私の関心の赴くままに書いていきますので、興味を持たれた方は、是非メールをください。
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落書き帖

第74号

[初等数学史] [やさしくない英語] [難読漢字][その他]
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初等数学史53

 この頃(BC1500年頃)から、日時計の遺物が発見されています。エジプトのものは、現在ベルリン博物館にあります。それまで蓄積されていた数学的天文学的知識から推定されるように、原始的な日時計であるにせよ、優れた時計体系を発展させていたことが示されています。この時計では午前まで6時間午後に6時間あり、この分割方法が後にヨーロッパで採用された12時間制へと発展していったと書かれています。

 セティ一世(BC1350年頃)の頃までには、アーメスの時代に必要とされた数字より大きな数字が要求されるようになっていたことが、現在ルーブル美術館にあるローリン・パピルス写本の中の問題から見て取れます。

  107893塊の重さ     364,371 ten
  6121塊の重さ        21,600 ten
  合計の重さ          385,971 ten
  残り               6,354 ten
  合計             392,325 ten

 この問題自体は、大きな数字が用いられていたことを示す以外にはほとんど重要性はないということです。

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やさしくない英語69

『 Necho hired crews of Phoenicians to make the journey. The Phoenicians lived at the eastern end of the Mediterranean, where Israel, Lebanon and Egypt are today. They were interested in Necho's plan, because their traders wanted to find a new route to their markets in the western Mediterranean, avoiding waters which were controlled by their Greek rivals.』

 『 The New Cambridge English Course 4』から続きです。これが事実とすれば、当時、ギリシア人とフェニキア人との間に交易上の確執があったことになりますね。今回は単語なしでいきましょう。

「ネコは、航海のためにフェニキア人の船員を雇いました。フェニキア人は地中海の東の端、今日イスラエル、レバノン、エジプトのあるところに住んでいました。彼らはネコの計画に興味を示しました。というのも、貿易商人たちは、ライバルであるギリシア人の支配していた海域を避け、西地中海にある市場への新しいルートを見つけたく思っていたからでした。」

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難読漢字72

「学解(ガクゲ)」「末那識(マナシキ)」「阿頼耶識(アラヤシキ)」「禁遏(キンアツ)」です。「禁遏」は「おしとどめてやめさせること」です。

 今回も今井淳・小澤富夫編「日本思想論争史」(ぺりかん社)からです。

「まず、法然にとって、神は、単に現世利益を期待する祈祷の対象でしかなく、来世の浄土往来を欣求する念仏行者とは無関係の存在であり、神に対する祈りは無益な徒労であって、後生を恃む専修念仏こそ大事であった。」
「伊勢神道は、伊勢の外宮の祠官度会氏が中心となって唱道した神道説であるため、別に外宮神道・度会神道とも称せられる。」
「『釈日本紀』は、鎌倉慈愛後期に、兼方の父兼文が一条実経等の貴族たちに対して行った『日本書紀』の講義の筆記を中心にまとめたものであるが、その講筵に列した貴族たちの関心の的が神代紀であったという事実は注目に値する。」
「さらに彼は、神道の教典(三部ノ本書・神経)を確定し、礼奠の執行方法と場所を規定し、全国の神道家の組織を計ったのである。」

から「欣求」「恃む」「外宮神道」「度会神道」「講筵」「礼奠」を取り上げます。

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その他

「落書き帖」バックナンバー

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